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僕は気づくべきだったんです……なぜ『吹奏楽部』ではなく、『すいそうがく部』だったのかを……
「はぁ~部活どうすっかなぁ」
誰もいない教室に1人の人間が頭を抱えていた。放課後になり何をするわけでもなく、10数分が経過している。
――今俺は重大な選択を迫られている……即ちそれは高校の部活選択。普通なら中学校の頃にやっていた部活を選んだりするのだろうが、俺の場合その選択肢は無い。俺と睨めっこしているこの「希望部活届け」の選択肢に「帰宅部」があれば、まるを付けてもいいのだが……
いや、やはり「帰宅部」の欄があっても選択するのはよそう、高校生になって帰宅部を自ら選んでしまうのは彼女が欲しい俺にとって自殺行為と言える。やっぱ可愛い子がいる部活入りてぇな。
最低の理由だが俺にとっては譲れない。というか元々部活をやっていなかった俺には部活を続けていくためのモチベーションを維持する材料が必要だ。
部活動見学には幾つか行った。囲碁将棋部、弓道部、卓球部、美術部、演劇部、水泳部、ソフトテニス部……
勝手な妄想であまり厳しくなさそうな所へ行ってみたけど、運動部関係も文化系関係もどれもこれも経験者ばっかりで付いていける気がしなかったんだよな~。
さらに無駄な時間が5分経とうという時にその少年へと誰かが話しかけた。
「ねぇ君。そんなとこで何してんの?」
――廊下で話す声にしては教室にまでよく通る声だ。もしかして俺に話しかけたのだろうか?
少年が睨めっこを続けていた紙から声のする教室の扉の方へと顔を向ける。
清潔感のある黒髪が印象的な、どこか子供っぽい雰囲気の女の子が開いた扉に片手をつき少年の方を見つめる。奇麗な白いセーラーに落ち着きのある少し暗めの赤いスカーフがよく似合い、春の暖かい日の光がその姿を幻想的にも見せる。
「ねぇ、もしかしてまだ入る部活決まってなかったりしない?」
「え、ああ、はいまだどの部活にしようか迷ってます」
その答えを聞き少女の顔に一層晴れやかな笑顔が咲く。少年は部活動の勧誘であることを知り少しだけ落ち込んだ表情を見せたが、すぐに元の表情を取り戻す。目の前にいる、しかも自分にむかって奇麗な女の子が声をかけてくれている現実がその気持ちを打ち消した。
「じゃあさ、「すいそうがくぶ」入んない?」
――『吹奏楽部』? ってあれだよな、楽器吹く部活。あんまり興味ないし、経験者じゃないと入れないような気がして見学に行ってなかったな。
少年は手元にある部活動一覧を確認すると1番下の欄に『すいそうがくぶ』という印刷された文字を見つけた。何故か漢字ではなくひらがな表記で明らかに違和感を放っていたが少年の注意は声をかけた女子生徒の方へと向いていた。
「でも、俺楽器の経験ないですよ?」
「大丈夫だよ! 皆そんなもんだし、見学だけでもどう?」
――経験者が少ないのか? 思ったより緩めの部活なのかもしれない、見学だけならいいかも。この人と仲良くなれば部活入んなくても儲けもんだしな。
「見学だけなら行きます」
「じゃあ私の後についてきて」
部活動を見学するという行為においては最低な理由を掲げる少年の心情を女子生徒は理解していた。教室でうなだれる少年を1度確認してからトイレの鏡で身だしなみを整え、声をかけたことを少年は知らない。
女子生徒の2、3歩後ろを少年が歩く。追い越してしまわないように歩幅を調整しながら大人しく部室であろう場所へと付いていく。
沈黙が辛かったのか少年が口を開いた。
「あの、先輩……でいいんですか?」
「うん、そうだよ。私は小鳥遊明姫3年生よ。あと、こっからはこの目隠ししてね」
見た目からして高校3年生には見えない明姫がスカートのポケットから黒いハチマキのような布を少年の方へと向ける。手に収まりきらなかった両端がぶらぶらと揺れている。
――って、え? 目隠しするの?
想像していなかった言葉を投げられ少年は硬直する。
「ほら、早く」
少女に急かされ揺れる黒い布の左端を掴む。明姫が手を離した黒い布の反対側も掴み自分の手で目隠しをする。
それを確認すると明姫は少年の手を繋ぎ少し小走りで連れ回す。空き教室に入り一周したり、階段を登っては降り、余計に扉を開く。
いくつもの奇行とも思える寄り道の後、最上階に上がり屋上がある扉の前まで歩みを進めた。その扉に触れることなく横の壁に明姫の手が軽く触れる。音もなく壁が開き2つの影は中へと消えていった。
――部活に必要な何かを試されているのだろうか? まさかこのまま変な所に連れられて怖いお兄さん達にジャンプさせられたり……はたまた個室に連れられてちょっと薄い本的展開が待っていたり!!
明姫が急に立ち止りそれに伴って少年も歩みを止める。繋いでいた手を解き少年の背後へと回りするりと目隠しが外される。
「えっと……ここは?」
「驚いた? すごいでしょ! ここは普段選ばれた人しか入れないんだよ?」
少年の勝手な妄想とは程遠い光景であった。目の前には重々しい金属の扉があり、扉の上部にはその扉と同じ材質の金属板がはめられている。何やら漢字が書かれているがその字は黒くすす汚れていてまともに読むことが出来ない。掃除が行き届いていないというより、古くなりすぎたため彫っていた文字が霞んでいるようだ。かろうじて最後の『部』だけが視認することが出来る。
――ここは吹奏楽部の部室か? この扉はあれか、防音的なやつで特殊な加工をしているのかもしれない。俺のことを選ばれた人と持ち上げたり、わざわざ目隠ししてまで連れてきて、この扉を見せて俺を驚かそうとしてくれたり、部活の勧誘って大変なんだな。素直に喜んでおくのが男ってもんだよな。
「うわ〜マジすごいっす小鳥遊先輩! 感激しました!」
少年が素直に喜んでいる様子を見て少女は不適な笑みを浮かべる。
「ふふ、選ばれなかったら忘れちゃうけどね……」
明姫の意味ありげな言葉に少年は疑問の表情を浮かべている。
それを見て再び怪しげな笑みを浮かべ、右手を重々しい扉に触れる。扉の一部であった場所がくるりと回転し小さなパネルが現れる。明姫がパネルに表示された1桁の数字を数回触ると扉が左右に分かれた。
――すごいな。この学校自動ドア導入してんのか!!
少年から溢れる素直な感想を知ってか知らずか、明姫は満面の笑みを浮かべ奥へと進む。少年はさっきのように歩幅を調整しながら後追う。
「おつかれーみんなー、期待の1年生を連れてきたぞー」
通路を進んだ先にある扉を開き、明姫が右手を掲げ軽快な挨拶をする。鳴り響いていた統一の無い音がピタリと止んだ。
その開けた空間にいた数人もの生徒が楽器を持ち、扉から入ってきた2人を見つめる。
「こんにちは、部活動の見学に来ました。よろしくお願いします」
全員の目が自分の存在について興味を持っていることを悟り少年が挨拶をすると、興味と驚きの表情から一変、期待と安堵の表情に包まれる。
「こんにちは部長、Oh! 1年生デスか! 歓迎スルぞ!」
「どうもよろしくッス」
「これは嬉しいね」
少年が思うより明るい歓迎だったのか緊張していた顔が幾分和らいだ。
――結構美人な人が多いし、この部活悪くないかもしれない。
歓迎ムードの中、明姫が言葉を発する。
「じゃあさっそく――」
それを遮るかのように警報が部屋中に鳴り響く、甲高い音と共に部屋が薄い青色に染まる。
――なんだ? 火事か? どうしよう早く逃げないと……
少年の考えとは真逆に部屋は落ち着いている。それぞれが手に持っている楽器お置き、悠長にスワブを通したりクロスで拭いたりしている。
そんな中チューバのそばに立っている、細身だががっしりとした体格のひと際大きな男が口を開く。
「音萌警報レベルいくつだ?」
「ん~と、ppッス。英先輩」
音萌と呼ばれた女の子はトランペットを片手にチューナーを見てそう答えた。
「残念無念~、1年生くんは1回お休みなのです~」
トロンボーンをケースにしまいながらマウスピースの穴から少年を覗く少女が言った。
少年がなんのことかわからず隣に立つ明姫へと目を向けるが、何か悩んでいるように眉に皺を寄せ小首をかしげている。
「部長……連れてけば? 問題ないと思う」
フルートをクロスで磨きながら少女が提案した。
「うーん、そうね。じゃあどんな楽器がやりたいのかを先輩の演装を見て、ってことで連れてっちゃおうか。ね?」
少年をここまで案内した明姫が少年の方へと目を向ける。
――うーん、よくわからないけど、部活の練習についてくるかってことだよな? ここじゃできない練習を見学させてもらえるのか。折角だしどんな感じか雰囲気知っておきたいな。
「ぜ、是非見学させて下さい」
「pp程度ならこのメンバーで余裕だろう。他の連中が来る前にとっとと始末するぞ」
ファゴットにスワブを通しながら長身の男が鋭い目線で言い放つ。
――なんだ始末って? 宿題をやっつけるとか言うし、1曲始末するみたいなこの部活独自の表現なのだろうか? っていうか気になるなあの棒、すごい燃えそう。
男から聞こえた不穏な単語に疑問を抱くも、音楽について全くの素人である少年はその言葉の不自然さに気がつくことが出来なかった。
「木管4と金管3か……まあ見学には悪くないわね。仁くん、グリモワール持ってきて、私は楽器持ってくるから皆配置ついてー」
明姫のその言葉を聞き、部屋にいた吹奏楽部員が半円状に並び、持っていた楽器をケースを片手に待機する。
――移動するから楽器しまってるのかな? 俺はどうすればいいんだ?
明姫がピンク色の鮮やかなケースを下げ、すぐに部屋へと戻ってきた。
「ああ、そういえば君まだ名前聞いてなかったね」
――そういえば自己紹介すらしてなかったな。
「名無歩無です」
「そっか歩無君ね。じゃあ、えーとそこ立って」
少年がそこと指示されたところに立つ。
「部長、今回のグリモワールです」
チューバを持っていた仁が小部屋に入り、何百と並ぶ譜面の中から仄かに光る1冊を持ち出し、明姫にそのスコアを渡す。
その表面にはこう書いてある。「ルパン三世のテーマ」
「じゃあ行っくよー」
一瞬で真剣な顔つきになった明姫が、右手をグリモワールと読んでいた譜面に右手をかざす。
「今、我らが命ずる。彷徨える魂よその閉ざされた心の門を開け」
パラパラパラと手をかざしていた譜面がめくれ、緑色の光を放つ。
同時に周囲を紫とも黒とも言える光が包み、足元には幾重に重なった時計の針のように回転する速さが異なる円が出現する。象形文字のような読解不能の図形がいくつも円と円の間に描かれている。
次の瞬間部屋が真っ白な光に包み込まれる。
―
――
―――
「おーい、歩無君、いつまで目を瞑ってるの?」
あまりの眩しさに思わず歩無は目を閉じていた。今さっき目の前で起こった不思議な光景を思い浮かべ、自身の理解できる現象に置き換えながら、ゆっくりと目を開く――そこには