第三話 学生寮Ⅱ
シャイローズ伯は、今や老齢のエルフである。
彼が雷神と呼ばれていた時のことを知る人々のほうが、今となってはよほど少ない。
それでも、彼は高名な魔術師であることに、何ら変わりはないのだ。
「よく来たな。月影。君と最後に会って何年になるかな?」
「そうですね。もう10年以上にはなるでしょう」
シャイローズ伯が最後に月影の国を訪ねてきたのは、まさに10年程前。
彼がまだ子供のころで、この時には周りに仲間たちが沢山いてくれた。
月影の出身地、ディビルレイ。連合国家であるその国には、月影の他にも王子たちがいた。
「ディビルレイを出て、何年になる?」
「そうですね。もうかれこれ5年にはなります」
13歳のときに国を出て以来、5年は帰っていない。彼らの国では13歳ともなれば既に成人だ。酒も飲めるし、ある地域では選挙権を与えられる。しかし戦争に参加する兵士としての義務も負う。
「そうか。それで、君の親父さんから少し前に手紙が届いたぞ」
「存じております」
シャイローズ伯にとって最悪と言ってもよい文面は、もちろん月影にも届いていた。しかし彼自身がそれを気にする必要もないから、特に話には出さないことにする。
これは政治の面において外交の基本であるが、シャイローズ伯は政治などとは無関係の人間だ。彼はだからこそ魔術において実力者でありながら、全く権力とは縁がないのである。
「アクアディオス共同大学に通わせたいとある」
「そのようですね」
「君はどうなのだ?」
「無論、こんなところで学ぶ機会などそうそうありません。私はこれまで、武芸にしか興味がありませんでした。しかしこれからは自らの国を支えるために学を積まなければなりません」
これは月影の本心だった。彼はいずれ、国の主君たる兄を支えなくてはならない。
本来なら、こういった事情は他国が付け入るすきにもなる。例えば野心家の弟に付け入り、兄に対して反乱を起こさせてその国を弱体化させるということは、この世界では日常茶飯事だった。
しかし、その点では月影は兄の乱丸のことを信頼し、尊敬してやまなかったのである。
だから、兄を支えるために学を積むことを嫌とは思わなかった。
「しかし、君はそうだとしても、ここに通う学生たちは君のことを快くは思わないだろう」
「そうでしょうね。何せ、俺はディビルレイの出身。でも、だからと言って俺がそんなことに屈すると思ってますか?」
「・・・・・・思わないな」
ディビルレイ。
その歴史は苦難と奇異と、そして苛烈な彩に満ちている。
それは権力闘争と、血塗られた戦争の後に現れた連合国家だった。
開祖は秋津島吾郎。彼はそれまで混乱していたディビルレイを瞬く間にまとめあげ、連合国家の祖を築いた。一説にはこの世界とは別の場所からやってきた人間だとも言われている。
その真意は定かではないが、ディビルレイは他国から呪われた国と呼ばれて久しい。
「確かに、俺たちは古代国家の権力闘争に負けて落ちぶれた貴族や豪族の集合体かもしれない。ただ、その話ってのはどれほど昔の話なんですか? 500年も昔の話ですよ」
500年前、世界的に権力闘争の嵐が吹き荒れた。
その結果、多くの貴族や豪族たちが国を追われて新天地を求めた。幾多の嵐を乗り越え、広大な海を渡り、たどり着いたのがディビルレイと呼ばれる巨大な島嶼だった。彼らはここに新たな国家を作る。しかし同じくたどり着いてきた人々との争いも勃発。
彼らは血みどろの戦いを、秋津島吾郎が現れるまでの100年続けてきた。
しかし英雄の登場よって戦争は終結。
島嶼はそれぞれ国家としての体を保ちつつも、連合国家として構成されつつあった。そしてさらに200年後、連合国家ディビルレイが歴史の表舞台に立つ。
それはまさに月影の爺さんの時代、隣国マグダラス共和国がディビルレイの存在を確認。属国に仕立て上げようとしたときのことである。
「しかし、奴らは全滅した」
「そう、ひねりつぶされた」
ディビルレイ軍はマグダラス軍を圧倒的な兵力差で壊滅させた。戦死者は3万人におよび、ここに連合国家ディビルレイの名が世に聞こえ始める。
しかも彼らが認知されたのはそれだけではない。
限られた空間に、限られた民族がひしめき合うのだ。混血は免れない。これが差別の種となっていいる。
「いくら精強であれ、それだけでは人々は君たちの存在を認めはしない」
「そうでしょうね。俺も混血だから」
月影は獣人族と人間族の混血である。
父親は人間族、そして母親は獣人族だ。つまり、兄も彼も、その混血であり双方の特徴を持ち合わせている。
「だからと言って、それが何の意味を持つというのです? 俺は俺であって、混血であるから劣っているとは少しも思わない」
「・・・・・・君はそういうだろうと思った。他の二人も、同じことを言ったよ」
「他の二人っていえば、俺はあいつらしか思い浮かびませんけどね」
「そうだ。君が思っている二人組さ。彼らもここにいる。今から再開を楽しむと良い」
「へぇ。じゃあ、シャイローズおじさんは俺たち悪がき三人を同時に面倒見てくれるのか」
「不本意ながらね」
この時には観念したのか。あるいは少しは月影や他の二人にも大人になったという希望を見出したのかもしれない。シャイローズ伯は困ったような笑みを浮かべていただけだった。
その時、彼の部屋のドアをノックする音が聞こえる。
「入りなさい」
「お父様。月影様がいらっしゃってると聞きました」
外からおずおずと部屋に入ってきたのは、シャイローズ伯とは対照的にとても美しい―――彼の名誉のために言っておくが、シャイローズ伯は決して醜いというわけではない。ただ、鼻がすこしばかり大きすぎるだけだ―――少女だった。緑色のドレスに身を包み、長い耳をぴくぴくと動かしながら入ってくる。瞳の色は青く、細い体はか弱いラインを強調している。金髪は流れる黄金の川のように美しかった。
「えっと、どちら様でしょうか?」
月影はパッと見て、それが誰だか分らなかった。恐らくシャイローズ伯の娘であることは予測できたのだが・・・・・・。しかしシャイローズ伯の娘となると、一人しか思い当たらない。
「覚えておられませんか? ユーリです」
優しげに笑った女性の笑顔に、確かに月影は見覚えがあった。
「思い出した! お前、あの泣き虫か!? 泣き虫ユーリだろう?」
「その呼び方はやめてください。私ももう大人ですよ」
「そうか、そりゃあ悪かった! でも本当に大きくなったなぁ」
ユーリ・シャイローズ。彼女はシャイローズ伯とその妻の忘れ形見。彼の妻は数年前に他界してしまったが、ユーリという娘を残した。彼女に最後に会ったのも、恐らく10年前だと月影は記憶している。
「お兄様はお元気ですか?」
「あぁ、元気だよ。そろそろ家督を継ぐらしい」
「そうですか。でも、あのお方にとっては息苦しいのではないですか?」
「そうかもな。でも、長男の務めってやつだろう? それにいずれ、俺が支える」
「月影様も変わりましたね」
クスリとユーリが笑う。
「そうか?」
月影は自分が変わったなどと思ったことは一度もない。
彼は今まで通り、悪童のままだ。それでも、他人には違う風に映るのかもしれない。
「さて、月影様。そろそろ寮に案内いたしましょう。我が主、彼はここにいさせても、よろしいでしょうな?」
「いいだろう。何も問題はなさそうだ。まぁ、多少問題があっても、お前の父親ほどではないだろう」
シャイローズ伯に言われると、親父が何をしてきたのか激しく気になる月影である。
しかし今は考えないことにしておく。
「では、こちらにどうぞ」
再びギャラハット氏にしたがって、月影は敷地内を歩くのだった。




