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女子力とはつまり、自己研鑽の究極の怠慢の結果である?

 


 先日、Eテレで放送していた番組を観ていてちと頭をかすめた所感である。

 番組は、エーリヒ・フロムという社会心理学者が記した『愛するということ』について概要を説明するという内容のものだった。

 エーリヒ・フロムは、『自由からの闘争』でも著名な研究者である。


『愛するということ』を、端的に説明すると、「人間的に成熟して初めて、人は人を愛することができる」ということだった。

 手前味噌な人間や、大人でも甘ちゃんな奴は、本当の意味で人を愛することができない、不可能だとフロムは言っている。(筆者は著書を読んでいないので、音声は小声で頼んまっせ)

 人から愛されることばかり考えて、どうすれば自分は人から愛されるかという方向へ頭を悩ませ、自分から人を愛するということを多くの人は知らない。欲求を他者へ押しつけるのではなく、人は人を愛することができるようになるために、修練を重ねなければならない。修練とは、人と深く関わりをもつことであり、すなわち人間的な成長を遂げていくということである。

 当たり前のことなんだけれども、改めて言われると開眼する思いだった。



 それで、今回のサブタイトルの話と繋がるわけであるが。

 最近巷で騒がれる「女子力」という言葉は、つまり記号の押し売りである。

「朝は紅茶からはじまり、ベランダで育てたハーブを活用した食事を欠かさず。お昼はもちろん手作りのお弁当。夜もヘルシーな和食を中心に。趣味はピアノ、最低二日に一回は掃除をして、週末はヨガとアロマテラピーの講座で充実。お化粧もオシャレも完璧。こんなわたし、すごいでしょう、素敵でしょう、愛されて当然でしょう、結婚したいでしょう、そうでしょう!」

 てな、具合に。

 女子力を定義すると、家事ができ、趣味やプライベートが充実している女性とされるだろう。しばしばそのような女性は、「女子力が高い」という表現でもって評価される。


 いや、たとえば上記のようなことを実践している人がいたとして、それが「本人が好きでやっていること」や、「本人を構成する要素として自然にそれらが機能している」ならば別段問題はない。

 問題なのは、上記のようなことを「女子力のために行う」ことである。

 料理が上手くなりたいから料理をする・習うのではなく、女子力を高めるために料理をするという類のことである。

 私はそこには、自己というものは存在していないと考える。一見、「自分のため」のような行為に思えるが、それは「誰かから見て(誰から見ても)好意的に映る自分」であり、本来のその人らしさ、その人にしかない長所を殺している所行のように思う。自己研鑽じこけんさんをしているようでまったく反対の方向へ行ってしまっている。しかも暴走という速度で。


 生きていくうえで、生活力が高いというのは望ましいことである。しかし、そのことと女子力が高いということは必ずしも符合しない。それどころかまったく逆をいっていると言っていい。

 生活力が高いというのは、その人の経験から培われた人間的魅力であり長所だ。ひるがえって女子力が高いというのは、有り体に言って張りぼてな記号であり「商号」である。

 女子力を血眼になって、あるいはステータスとして追究するような人は、自分は女子力という商号を付けた、棚に陳列されるような商品であると高らかにうたっているに等しい。

「商号」を人間として愛する人など、きっといない。

 そうして、そのことに気づかずに、たとえば誰か(男性)に評価され、交際するなり結婚するなりしたとして、自分は「選ばれた」と思っているとすれば、目も当てられない悲劇であろう。

「わたしは家事もできるし、趣味も充実しているし、素敵でしょう。こんなわたしは愛されて当然。わたしを愛して愛して愛して!」と他者へ自分という商品を押し売りした結果に決して矛盾しないからである。


 このような人が人間的に成熟しているかなど、言うまでもないだろう。実際にこんなことを口に出している人を目にすれば、誰であれ辟易へきえきし、倦厭けんえんするに決まっている。

 けれど女子力という言葉は、この押し売り行為を何重にもオブラートに包み、「自分を磨くために努力していること」としてすり替えてしまうおそろしい作用を果たす。ガクブルである。


 自己研鑽とは、周囲との関わりがあって初めて積まれるものである。女子力ということばかりに目を向けていれば、人間的な成長の機会を自ら放棄していることに他ならなくなる。

 このような重大な問題を語らずして、「女子力、女子力」と馬鹿の一つ覚えのように騒ぎ立てる最近の風潮にも、なにやら薄ら寒さをおぼえる。


 フロムが言うところの愛するということは、人間的な成熟なくしては成し得ない。つまり女子力が高いからといって人を愛せるわけではないのだ。人を愛するというのは、至難の業なのである。

 吹けば飛ぶような商号を得るために邁進するよりも、もっと大切なことがあると筆者は思うのである。





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