ダイヤ改正でショック! の段
通勤で使用している電車のダイヤ改正が行われる予定です。この間、電車のアナウンスでそれを知ってびっくりしました。うつらうつらしていたけれど、ぎょっとして目が覚めました。ちょっと、もっと早く教えてよ! と鼻息荒くホームページを見てみると、およそ三ヶ月前の日付で“ダイヤ改正のお知らせ”の文字が。まあ、人生そんなもんです。
それでも文句たらたらに、「えー、この間変えたとこやんか。バスのダイヤだって最近変わったのにー」と定期入れの中に入っている時刻表を繰り出しました。すると、改正平成22年の文字が。
……わたしの感覚ってどうなってんだろうと、己でツッコミを入れました。この間、最近ってアンタ、三年も前やないの……って。年を重ねるってそういうことです。(どういうことだ)
しかしまあ、一番ショックだったのは、せっかく覚えた夕方のラッシュ時の自分なりに心地よい乗り換えの仕方がなき物になってしまうということでしょうかね。
どの時間のどの車両が比較的空いているか、乗る車両の位置によってどの駅で座ることができるかなどわりと分析してたんですけどね。一からやり直しせねばならなくなりました。あー、面倒くさ。
しかしですね。(なんだ、まだあるのか)わたし、つくづく思うんですがね。人間の脳の働きってすごいなと。別に自画自賛してるわけじゃありません。変容する社会のシステムを大小に関わらず脳が再構築しているんですよね。
たとえば、改正されたダイヤを覚え直して、多少なりとも通勤のサイクルが変わることに順応することだったり、新しく知り合う人とすでに知り合っている人との相関関係を記憶したり(これは小説にも同じことが言えますね)、業務の個々の仕様をその都度覚えたり、と。周囲の変化に伴って、一度構築されたサイクルを壊して、効率よく動けるためにもう一度新しいサイクルを作り直す、となんともすごい芸当をやってのけるものです。だから、別にわたしのことを言ってるわけじゃないですってば。
脳は使っていないと錆びるらしいですからねー。ダイヤ改正のショックを受け入れて、心地よさを再び手に入れるための労力は惜しむなって天啓でしょう。
そんな理屈っぽく説明などせずとも、単に覚えるって言えば仕舞いなのでは。というご意見、ごもっとも。(ブチ切れながらの返答)




