道
パーティの翌日、たくさんの動物が、二日酔いを訴えているというのに、医者のトムソン氏は、どこに隠れてしまったのか、どこにも、その姿見当たりませんでした。
実際に、病院ばかりでなく、自宅の方まで、トムソン氏を探しにやったのですが、どこにも、その姿は見られませんでした。
キツツキが、トムソンの病院にわからぬ位の穴をあけ、そこから中を覗いてみました。
中には、タヌキが一匹、暖炉の前のソファーの上に丸くなって寝ていました。
「トン~、ジャラメシ~♪」
と、昨日の宴会の余韻が覚めやらぬ、ライオン村長は、トムソン医者の行方不明の報告を聞いても歌を歌い出しそうになっただけでした。
という具合に、一晩あけても、昨晩の大パーティの影響は、村中で尾を引いていたのです。
村中で、持病が悪化するもの、吐き気をもようすもの、頭痛になやむもの。パーティの後遺症は、いろんな形で現れていました。
この状態をきっちり収められる人物は、医者のトムソン氏をおいてほかにはなかったのですが、トムソン氏は、いつまでたってもみんなの前に、姿を現すことはありませんでした。
* *
そのころ、トムソン氏は、もう日中のあいだ、森の中を歩きに歩き回っていました。そして、やっと、森の中で自分が迷子になってしまったことが、実感されてきました。昨晩パーティの終わったあと、この医者は、あまりに酔っていたので、自分が恐ろしい迷いの森に入り込んでしまっていることに、気づかなかったのです。
完全に、酔いが醒めたとき、自分が、森の奥に迷い込んでしまったのに気づいて途方に暮れてしまいました。
それでも、何とか抜け出せると高をくくっていましたが、日が落ち、夜になり、闇が訪れ、森の四方から、猛獣たちの声が響いてくると、トムソン氏は、自分の生命に危機が迫っていることを実感しないではいられませんでした。
「森中に、深く分け入ろうとしている、あなたは誰?」
トムソン氏は振り返って自分の周りを見てみました。
そこは、二つの道がちょうど合流したところでした。 そこに、美しい女性が立っていました。女性の体からは、強い光が放たれ、トムソン氏は、目がくらみそうになりました。
森の中で、医者は、森の精霊たちが女神様と呼んでいるものに遭遇しましたのです。
女神様は、医者に聞きました。
「そこの医者!あなたは、途方に暮れた顔をして、この森の空気を、新鮮で澄み切った空気を澱んだものにかえてしまったと、森の精霊たちからクレームが、来ています。あなたは、この森でなにをしようというのです」
「おお、あなたは、本当に森の女神様ですかい? わたしは、日頃からあなたにお世話になっている、医者のトムソンというものです。わたしは、昨日のパーティーで、羽目を外してしまいました。森の中に迷い込んでしまったらしいのです。一日歩いて、私は、さらに未知の世界に足をふみいれてしまったのかもしれません。私の耳に、これまで聞いたこともないような獣の声が聞こえているのです。もう村に戻れません」
「戻れないとは、どういうこと?」
女神様はいいました。
「たしかに、この森の住人たちは、あなたが、もといた世界に戻り、また、静かな暮らしに戻ることを望んでいます。ですから、あなたは、もとの世界に戻りなさい。」
トムソン氏はどうやってここにたどり着いたかも分からないので、帰れといわれても、どうしようもなかったのでした。
「……」
トムソン氏は、返事ができずにいました。
「あなたは、どの道をたどってやってきたのですか?」
トムソン氏が、女神様に言われて、振り向くと、トムソン氏の背後には、二本の道がありました。しかし、今となっては、どちらの道をやってきたのかさえもわからなかったのです。
「あなたは、自分の来た道がわからないのね。では、わたしが助けてあげましょう」
女神様はいいました。
「それぞれの道のいく方向を向いて立ち、目を閉じてご覧なさい!その道が、どんな世界につづいているか見えてくるはずです」
トムソン氏は、女神に言われたように、一本の道の向かう先を向いて立ち、目を閉じてみました。すると、そこには、輝かしい大都会の景色が見えてきた。そして、そこに暮らす人たちの幸せそうな顔が見えてきました。人々は皆、満足そうに笑っていました。トムソン氏は、目を開くと、もう一方の道の向かう方に向き直り、目を閉じてみました。すると、今度は、貧しい農村の村が見えてきました。そこの住人は、非常に疲れた様子で、どんよりとしたまなざしで、放心状態でありました。
「あなたは、どちらの道をたどって、この世界にやってきたのですか?その道を、教えてくれたら、その世界にあなたを戻して差し上げましょう」
トムソン氏は、大都会の景色が心に良い印象として残っていましたが、正直に、女神に告げました。
「こちらの貧しい世界で、私の患者たちが、私が戻ってくるのを待つてくれているはずです」
トムソン氏の話を聞くと、女神は困った表情になりました。
「それは困りました。わたしは、あなたを、その貧しい村に返してあげるわけにはいきません。わたしは、こうして、何百年もの間、ここを通る人間たちをテストしてきました。これは、正直ものという人材を集めるためのテストでもあるのです。私が祀られている大都会の町では、正直者が不足しています。とくに、正直者の医者となったら、不足は非常に深刻です。わたしは、私を祀っている大都会の町の人たちの幸せを望む女神であります。だから、あなたのような貴重な人材を、わたしは黙って、故郷の村に帰すわけにはいかないのです。あなたは、これから、都会の町で、幸せに裕福に暮らしてもらうことになります。女神であるわたしが、あなたの幸せを保証するというのですから、あなたには、なにも文句はないはずです」
女神は、トムソン氏にいっさいの反論を許しませんでした。
まもなく、森を、一陣の風か吹き抜けていきました。
これは、不思議な風でありました。それは、季節に反して生暖かく、目を凝らしてみると、いろいろな森の精霊のすがたを風の中に見とることができました。精霊たちに混じって、トムソン氏のすがたをみることができました。
この風は、トムソン氏の村を何周も、何周も回って、村にお別れをすますと、大都会の方向を目指して一気に、吹いていきました。
* *
トムソン氏は、女神が約束したとおり、この大都会で幸せになりました。
医者は、金持ちの多く集まる病院の医者に収まることができました。
ある朝、趣味の良いカフェのテラスで心地よい朝日を浴びながら、新聞の記事に目を通していました。新聞には、ひどく貧しい村のことが記事になって出ていました。
医者のトムソン氏は、それが、自分のもとの村であることにすぐに気づきました。そして、記事の写真には、懐かしい顔が載っていました。
それをみて、トムソン氏は思いました。
「おやおや、寒いのに、みんな薄着だねぇ。これは、医者としては、ほおっとくわけにはいかない。特にこれからの季節は、寒さには、気をつけないと風邪を引いてしまう」
トムソン氏は、村に電話しました。電話にでたのは、ライオンの村長でした。
ライオンの村長は、行方不明になっていた医者のトムソン氏から電話が入ったので驚きました。ライオンの村長は、トムソン氏が、大都会の病院で働いており、なに不自由ない暮らしをしていると聞き、返事ができなくなりました。もともと、貧しかった村は、トムソン氏がいなくなってから、さらに貧しくなっていたのです。
トムソン氏は、電話での話で、ライオン村長の落胆と絶望の気持ちを十分に感じ取ることができました。
そこで、トムソン氏は、ライオン村長に、女神様に森で出会ったときの話をしましてみました。そして、ライオン村長も、森で女神様に会い、貧しい村について、相談に乗ってもらうようにすすめました。
村長は、翌日、森に出かけて行きました。半信半疑ではあったものの、うまくいけば、自分たちにも、大きな幸運が転がり込んで来ることを、当然期待していました。
ライオン村長は、迷い子になるために、森の中を、知らない道知らない道と突き進んで行きました。
すると、ついに、ライオン村長の前に、女神様が現れました。
――よしきたぞ! トムソン氏の話の通りならば、『ここで、元の村に返してあげます。つきましては、後ろをみて、二つの道のどちらからあなたはやってきたのですか? 』そんなことを聞かれるはずだぞ。
ところが、女神様の様子は少し変でした。女神様は、迷子のなっていることで、ライオン村長を心配しているわけではなさそうでした。
女神さまは、左右の手に一枚づつに紙切れを持つており、それをライオン村長に示しました。
「北風に吹かれて、これらの紙があなたの村からこの森まで飛んできました。あなたの村から飛んできた紙を持ち帰ってくださいね」
女神様が、村人たちに示したのは、二つに分かれた道ではなく、二枚の請求書でした。一枚の請求書には、確かに見覚えがありました。それは、支払いもせずにほおって置いたあの日の請求書でした。あの日というのは、トムソン氏がいなくなった時のパーティーの酒代や料理の代金の請求書でした。もう一枚も、同じ名目の請求書ですが、額面は、ゼロになっていました。
請求書を見て、ライオンの村長は怒り出しました。というのも、あの日のパーティーは、医者のトムソン氏の誕生日を祝うために開いたものだったからです。
「そんなもん、今更持ち出してどういう了見だ!?」
ライオン村長の口から、つい不満が漏れ出しました。
「なんですって?」
反抗的な村長の態度に、女神様も切れてしまいました。
「そんな言い方をしてもいいのですか。わたしは、あなた方に幸せも不幸もどちらももたらすことが出来る女神ですよ」
「そんなもんよう分からんけど、はっきりしていることは、そんな昔の請求書持ち出してくるものの魂胆だよ。あの藪医者のトムソンは、俺たち!貧乏な村民に自分の誕生パーティーの経費を支払わせようとしているんだよ!女神でも何でも、そんなヤツのいうことは信用できません! 俺は、そのもう一方の額面ゼロの請求書をいただきましょう。これに関しては、村のわたしの支持者たち、村民もわたしのことを良く理解して、万全の支持をいただけるものと確信しています」
そういうと、トムソン氏は、女神様の手から、額面ゼロの請求書をもぎ取りました。そして、女神様の反応などお構いなしという様子で、満足げな表情を浮かべて、村へ帰っていきました。
* *
ちょうど、ライオン村長が、森の女神様に盾突いた日から、雨が村にさっぱり降らなくなってしまいました。そして、さらに不思議なことに、昔からあったはずの、村はずれの森が、ライオン村長や医者のトムソン氏が迷い込んだ森が忽然となくなってしまっていたのです。
冬になっても、夏になっても、からりと晴れた日差しばかりの日が、一年以上も続いていています。
「異常気象です! 」
と、地元の放送局では、騒ぎはじめました。
しかし、そう言われなくても、村民には、分かっていることです。
さらに、これがなにやら、あの女神様となにやら関係があるのではと、村民たちがずっと噂していました。
「何を恐れているんだ! 弱虫どもめ!」
ライオン村長さんは、怒り出してしまいました。
雨季がやってくれば、雨が降り出すに決まっている、それは、ライオン村長の人生の経験から自明の理でありました。
しかし、雨季は訪れることなく、飢饉の夏がはじまりました。
ある日、ライオン村長は、井戸掘りをはじめました。夢枕に、ライオン村長の爺さんがたって、井戸掘りをやるように指示を出したそうです。
井戸掘りは、思ったような成果を上げることは出来ませんでした。
誰もライオン村長に面と向かっては言いませんが、あの女神に盾突いて、村の運命はいっそう傾いてしまったと考えていました。
夏が終わり、お祭りの時期がやってきました。出稼ぎにでていた、村のものが帰ってきました。彼らが、持ってきた雑誌に、村をでていった医者のトムソンの記事が載っていました。
トムソンのほうは、景気が良さそうでした。村長がそれを目にするのは良くないと思って隠していたのですが、村長はその雑誌を見つけてしまいました。村長はそういう方面では鼻が実によく利くのです。
お祭りが近づいたといっても、依然として、雨は降りませんが世の中、わるいことばかりではありません。
トムソン氏から、お祭りが開けるように、仕送りがとどきました。
仕送りは、予想より多めに届きました。というのも、トムソン氏の誕生祝いの例の請求書の分をトムソン氏が足して送ってくれていたのです。
ささやかな祭りを、執り行うことが出来そうです。
「トムソン氏はいい奴だ」
それは、村長ももとからわかっていました。
村長は、トムソン氏のことを思って涙していた。苦労の毎日ですっかりおいぼれたライオン村長の腕の中には大都会で暮らすトムソン氏の写真を眺めました。ライオン村長が見つけた写真はフレームに入っていました。その写真を眺めているうちに、ライオン村長の頬をつたって一筋の涙が流れました。
『医者のトムソンのやつは、寒き季節だというのに薄着で、働いてうちの村に仕送りしてきたのだ』
村長は、雪の降る町で、薄着で写っているトムソン氏の写真をみて、誤解してしまったのでしょう。
トムソン氏は、暖房の利いた、ぬくぬくの病院で働いているところの写真なわけでした。それは、ライオン村長以外の村民には、よくわかっていました。しかし、村民は、村長には黙っておくことにしました。
ライオン村長は、大干ばつから、村を守るために、毎日働きづめだったのです。昔村にいた、トムソン氏のことはライオン村長にとって頑張るための心の支えでありました。
祭りの晩、少し酔ったライオン村長は、今はなくなってしまったサバンナの夢を見ました。
夢の中で、ライオン村長は、若々しい足取りで、シマウマを追いかけていました。
了
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