抱きしめた、蒼-episode 蒼葉 美月-
ある日…
電話が鳴り、生まれ育った町へ戻ることになった。
なぜ戻ることになったかって?
それは、その…お世話になった方が亡くなって、線香をあげに行くためだよ。
『よ! 美月、あの施設の食堂のおばちゃん亡くなったらしいんだ。だからさ、俺の代わりに葬式に出てきてくれよ』
『別にいいけど、いつ?』
『今週の土曜』
『ちょうど休みだから、行ってくるよ』
『そうか、施設の人たちもお前が来てくれたら喜ぶよ。ありがとな』
『うん。』
『それと…』
俺と兄貴はさ、まだ小さなころに親が死んで身寄りもなくて、施設へ預けられたんだ。お世話になった方って、そこの食堂のおばちゃんのこと。
「人間は腹をすかせていたらダメ! お腹いーっぱい食べて外に出ていくのよ。満たされた心の器は、きっと素敵な未来を選択させてくれるから」
って、よく言ってたな。
高校を卒業して、大学は兄貴が学費を出してくれたから大阪へ。
就職はなんとなく東京へ。
故郷を列車で離れるたびに少し大人になれた気がした。
夢は、たぶんあったと思う。
でも、もう捨てた。
最近は仕事に追われ、会社と家の往復で全然帰っていなかった。
だからこの機会に、何年ぶりかに列車に乗って帰郷することにした。
新幹線を最寄り駅で降り、施設までは各駅停車。1時間に1本しかない列車に乗り、その不便さも懐かしく思いながら窓際の席に座った。
ポケットからイヤホンを取り出した。
急に聴きたくなった兄貴といつも一緒に聴いていた曲。
兄貴はちゃんと夢を叶えて指揮者になった。
列車が走り出すと、昔の記憶が次々と蘇ってくる。
あの駅から乗ってくる女の子をナンパした。
「は?どこがいいんだよ」ってまわりから笑われたな。
この駅から乗ってきた奴とはケンカもした。
「弱いくせに」って肩を叩かれて慰められたな。
晴れ渡った空の下、川が流れ、山がそびえ変わらない風景を窓から眺めているうちに、鼓動が速くなり始めた。
何でもできると思っていた。
何にでもなれると思っていた。
窓に映っているのは変わってしまった、ぼやけた自分。
やがて…列車は…トンネルに入った。
暗い窓に映った顔は、はっきりとした自分。
美月はハッとした。
あの頃の瞳を輝かせた顔が…まだそこにいた。
施設に立ち寄り、おばちゃんがよく作ってくれたオムライスのレシピをもらった。
「これ、これー。」
その夜、マンションへ戻り、また明日からクソ忙しいだけの毎日が始まる。
でも、その前に…
おばちゃんのレシピを見ながらオムライスを作った。
そして、お腹いーっぱい食べた。
翌日…
俺は音楽教師の採用試験を受けることにした。
『それと…な… 来月、子供が産まれるんだ』
『そっか、おめでとう』
『名前はもう決めてあるんだ』
『なんて名前にすんの』
『未來』
完




