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第六話 逆噴射の朝、石は受けて整える

 北門は朝から重かった。検閲列は蛇みたいに伸び、商人の溜息と家畜の鳴きが層になって積もっている。

 昨日の“同期ずらし”が止まった反動——逆噴射のゆり戻し。秩序を戻すと、別の場所が膨らむ。物理だし、政治だ。


『接続良好。こちら女神ミナ。北門の検閲は二段階化。帳合せが粗く、列が“詰まったり急に流れたり”しています』


「混雑のリズムが崩れると、人は怒る」


『怒りは拍の乱れ。十拍沈黙、効きますよ』


「会議だけじゃなく、門でもやるの?」


『やれます』


 ユノが俺の右横、白い衣で立つ。彼女の足音は今日も無音だ。

 検閲台の前では副長が部下を怒鳴り、役人が帳面に印を押し損ねては戻し、列の三カ所で喧嘩の芽が同時に膨らんでいた。

 遠巻きに、投げられた小石が石畳を滑る。「王城の回し者が流れを止めたせいだ!」の声。

 矢印はこちら。最短証明は石を呼ぶ。昨日の自分が言ったとおりになっている。


 俺は列の真ん中に入り、指輪を軽く撫でる。〈再挑戦〉は今日一回。ここで切るべきか——まだ違う。

 まず、帳尻だ。


「副長。検閲台を三から二に減らして、一時一本化を。通す条件を“軽→重”で段階的に戻す。今は情報より流れを優先」


「一本に? 混むぞ」


「今は既に“並ぶ→止まる→苛立つ→割り込み→揉める→止まる”の無限ループ。一本にして“通る→通る→たまに止まる”の拍に統一したほうが、怒りの波が立たない」


 副長は短い時間で計算し、頷いた。さすが現場の人。

 役人に合図、検閲台の荷を一つ畳み、縄を張り直す。

 列の先頭が一本化され、最初の十人が“流れ”を思い出す。


「——十拍沈黙!」


 声を張る。

 列が一瞬、奇妙に聞き分けよく静まる。人間は数えると止まれない。

 十拍の間に、俺は簡易の看板にデカ字で書く。


本日臨時:

1)身元札/行き先/積荷概略のみで一次通過

2)詳細は城内で二次照合(任意抽出)

3)急ぐ荷は右列(医薬品/食料)


 看板を高く掲げ、ユノが無言で支える。白い衣は看板より効く。

 流れが戻る。足音が拍になり、鼻息が均される。

 石は飛ばない。飛ばす手が、拍を取り戻して不意に恥ずかしくなるからだ。


『乱数観測。いいリズムです。あなた、門番を最適化するのが上手い』


「褒めかたが変だよ」


『管理者は誉め方にクセが出ます』


 列の端で観光客風の若者が紙片を配っている。「王城は記録を改竄している!」

 なるほど。**ロガー(記録屋)**がいる。俺の“レポート”に石を投げたい側。


「お兄さん、改竄って?」


「見たんだよ! 昨夜“観測窓”とかいう部屋の前で、王城のやつらが数字の雨をいじってた。証拠は……」

 若者は胸元の紙を探り、顔色を変えた。「……あれ?」

 紙がない。

 ユノが白い袖の内側から、丁寧に折り畳まれた紙片を出す。

 盗ったわけじゃない。落ちてたのを拾っただけだ。彼女の無音は、拾うためにある。


「これは“遅延/三秒”の記号。半角詰めの“/”。署名。——書いたのは君か」


「ち、違——」


「違うなら、配るな。違うなら、学べ」


 紙片をたたんで返す。

 若者の顔は赤から青へ。逃げた。

 ロガー本人じゃない。ただの火の粉。火元は別だ。


「王女に“一次通過→二次照合”を固定運用にできるか、確認しよう」


『転送——「昼までの暫定、承認」。アリアはあなたの“看板の字”を褒めています。バランスが良いと』


「字を褒められるの、地味に嬉しいな」


『地味に、効きますから』


 列の先で、荷車が傾き、袋が落ちた。乾いた粉が舞い、周囲が構える。

 火薬じゃない。小麦だ。

 けれど、噂は火薬より速い。

 「火薬だ」と誰かが口にする前に、俺は袋の口を開き、指を突っ込んで舐めた。


「パン!」


 周りから笑いが漏れる。拍が崩れない。よし。


     ◇


 昼前、門の流れが安定したころ、悪い乱数が来た。

 列の中段。母親が赤子を抱き、目の前で検閲役が首を振る。


「身元札の書式が旧式だ。今は新様式。戻れ」


「戻れません、家に薬が——」


 列がざわつく。

 旧式は旧式、役人は規則で動く。

 だが、こういうとき、役人は憎まれ役になる。拍がまた乱れる。


「副長。ここ、切ります」


 俺は母親と役人の間に入り、紙を受け取る。旧式の札は角判の位置が違うだけ。本籍・氏名・顔の刻印は問題ない。

 規則の穴は、運用メモで埋められる。

 かつてギルドで、紙埃を吸いながら学んだ地味な技術。


「——臨時通達。旧式札は一次通過可。二次で新様式へ置換。費用は王城持ち。理由は“医薬品搬入の確保”。副長、署名を」


 副長はため息を吐いて印を押し、役人が渋い顔で頷く。

 母親の膝が崩れ、礼を言おうとして言葉が出ない。

 ここでヒーローぶると一回目になる。

 俺はただ、看板を指さす。「右列へどうぞ」。

 拍は崩れない。役人の面子も死んでいない。

 女神の声が、指輪の内側で柔らかかった。


『“助ける”と“流す”の帳尻、良。あなたの最短は、誰かの遅さを削らない』


「そういう最短でいたい」


     ◇


 昼。石畳に日が伸びたころ、列の後方で小さな爆ぜが起こった。

 袋が割れた? 違う。紐が切られた音。

 縄が外れ、簡易検閲台が倒れる。

 意図的。

 手元の紐を切った男が、群衆に紛れて逃げる。

 追うのは簡単だ。だが、俺は追わない。

 台の足を拾い、布の裂け目を押さえ、倒れかけた台を起こす。ユノが片側を支え、俺がもう片側を押し、近くの商人を目で呼ぶ。

 “助けるほうが早い”と伝わる。二人、三人、と手が集まる。

 台は起き、列は崩れない。

 男は逃げ切った。

 でも、列を壊す目的は果たせていない。

 優先順位は「人命>国家>個人の情」。追いは次だ。


「ミナ、今の紐の切断音、角度は?」


『北西から。包丁の刃筋。——“厨房”の方向です』


「厨房へ逃げた?」


『はい。あなたは追わない選択をしました。正しい。今は流れが最優先』


 副長が肩をすくめ、俺の耳元で低く言う。


「すまんな。現場はいつも“穴”を背負う」


「穴は、お互い様です」


 副長が笑い、拍を一つ戻した。


     ◇


 午後。門は“通る→通る→たまに止まる”の拍を保ったまま、夕方に向かって薄くなる。

 俺は『乱数ゆれレポート』を書き、アリアに送る。

 項目は三つ。

 ——二段階化の一本化で拍の回復。

——旧式札の臨時措置で怒りの減衰。

——破壊行為は“逃走優先”。列は守る。


 返ってきた返答は簡潔だった。


承認。二段階運用は暫定→常設へ。旧式札は三ヶ月の猶予。破壊犯は王都警邏で追う。——良い帳尻。夕刻、観測窓へ。


 観測窓。

 数字の雨に、昨日の“署名”がまたひとつ追加されていた。半角の“/”が、今度は角度を変えて“∠”になっている。

 アジャスターからの返事。

 彼/彼女は、たぶん誇りを持っている。敵であっても、最短の向こうで職人は通じる。


「アリア。門の運用、常設に?」


「する。怒りの拍は税収を落とす。あなたの“看板の字”は、税収を上げる」


「褒めるところ、そこなんだ」


「政治は数字で褒めるのが好きよ。——それと、もう一件。恋愛条項、王城法務が読んで、条文を二つ追加したいと言っている」


「法務が恋愛条項に口を出すの、面白いな」


「面白いから、やる。第八条(撤退の儀式):関係終了時は“十拍沈黙→感謝の朗読→署名破棄”。第九条(緊急迂回):当事者の心身危機時には条文の適用を停止。復帰は当事者合意による」


「良い条文です。……撤退の儀式、恥ずかしいけど効く」


「恥ずかしいものは、だいたい効く」


 ユノが横で短く頷く。彼女は“撤退”の儀式にうるさい。戦の人だから。


     ◇


 その夜。

 北門の影で、ガイルが壁に背を預けてこちらを見ていた。拘束は解かれているが、顔はいくらか痩せた。

 敵意は、鋭さを少し失って、代わりに照れの角が出ている。


「……昼の、札の件。妹が、助かった」


「あれは俺じゃない。運用の勝利」


「運用の勝利、ね。……俺、手ぇ、貸す」


 短い。けれど、十分。

 ゆり戻しの“悪い運”を、少し解像度の高い運に変える。

 俺は頷き、右手を出す。

 ガイルは渋々、でも確かに握った。


『二回目さん。今日、〈再挑戦〉を使いませんでしたね』


「使い所がなかった。良い日だ」


『はい。あなたの一回は、時々“使わないのが最適”になります』


「最善は、だいたい恥ずかしい。使わない最善は、特に恥ずかしい」


『でも、気持ちいい』


「気持ちいい」


 星が少し滲む。

 明日も朝が来る。稽古もある。書面も更新する。

 世界は複雑で、だいたい変だ。

 変だから、整えるのが楽しい。


【本日の“最適化メモ”】

・混雑は“一本化→再分流”で拍を揃える。怒りは拍の乱れ。

・現場の恨みは運用メモで救う(旧様式→一次通過→二次置換/費用は上流持ち)。

・破壊犯は“追わない”選択が効く日がある。列(生活)>犯(面子)。

・ロガー/アジャスターには署名を残させる。敵でも職人は記録を愛す。

・〈再挑戦〉は“使わない”が最短のときがある。使わない最善ほど、だいたい恥ずかしい——でも、列は流れる。



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