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第四話 乱数ゆれレポートと夜稽古

 王城から貸与された簡易執務机は、引き出しを開けるたびに木の匂いがする。薄い紙と軽い羽根ペン。文字は軽く、責任は重い。

 ——本日の提出物、『乱数ゆれレポート』。臨時アナリストの一発目だ。


 まずは指輪に触れて回線を開く。


『接続良好。こちら女神ミナ。初回レポート、期待値は高めに設定しておきます』


「ハードル、最初から上げますね」


『上げておけば、あなたは最適化しますから』


 机の前で、俺は昼までのログを思い出しながら、箇条書きで打つ。

 神託掲示板の更新タイミングは日の出・正午・夕光の三回。ただし今日の正午は、更新が七秒遅れた。七秒。人間の作業では出にくい、機械的でもない、誰かの介入を臭わせる遅延だ。

 さらに、地下書庫の転送紋が四半刻ごとに微弱発光。通常は反応しないはずの“予備回線”。王族用のルートに、誰かが視線を当てている。


「まとめた。アリアに送る」


『転送。——受信確認。「いいわ。午後、掲示板裏の観測窓を開く」だそうです』


 観測窓。掲示板の裏側、乱数種ランダムシードの変動を見るための小部屋。上級官職でも簡単には入れない。

 俺は呼吸を整え、紙の最後にひとつ添える。


提案:本日夕刻、城下で音の偏りが顕著。市壁の北東、石畳の上で足音が増減を繰り返す“空白のゆらぎ”。囮の可能性あり。剣聖の護衛の下、現地確認を推奨。


『アリア承認。「ユノに回す」。——早いですね』


「音の偏りは苦手じゃない。目より先に来るから」


『あなた、ユノに気に入られやすい設計です』


「設計者は誰だよ」


『だいたい世界です。たまに私』


     ◇


 夕刻、城門の外は人の温度でできている。屋台の呼び声、荷車のきしみ、犬の尻尾。

 ユノが並んで歩く。白い衣は、夕陽で薄金に染まる。


「音の偏りは、どこ」


「北東の壁際。屋根の高さで反響が変わる。足音のリズムが、三拍子と四拍子で入れ替わる地点があるはず」


「三拍子四拍子」


「囮が“観客を集める拍”を混ぜてる」


 ユノは頷いた。踵を鳴らさない歩き方は、もはや彼女の呼吸だ。

 壁際に沿って進むと、小さな広場。大道芸の輪ができていて、笑い声が溜まっている。

 輪の外側、石畳に白い粉の線。

 輪の内側、帽子を伏せた奇術師。

 輪のさらに外側、空白。

 人が不自然に避けている一角がある。そこだけ音が少ない。

 ユノと目を合わせ、輪を崩さず、外側の空白に身体を滑り込ませる。

 石畳の継ぎ目、薄い油。

 膝をつくと、鼻に来る匂い。

 ——火薬。


「囮は大道芸。狙いは——人払いで仕掛けた火」


「時間は」


「芸が終わる二曲目で点火。拍の切り替えと合わせる」


 ミナが指輪の中で、静かに言う。


『二回目さん。ここ、再挑戦を切れば、誰も怪我しません。ただし今日はもう、使わないと決めましたね』


「決めた。でも別ルートで間に合う」


 ユノの肩が、僅かに近づく。

 剣聖は耳で世界を切る。

 俺は口で世界を動かす。


「大道芸さん。二曲目、一拍だけ貸してください」


 奇術師がきょとんとした。

 俺は輪に向かって声を張る。


「拍手、十拍。せーの!」


 人間は数え始めると止まらない。

 拍が一拍伸びる。

 その一拍で、ユノが足先で線を削り、俺が油に砂を混ぜる。火薬の芯を擦り落とし、壁の風下に向けて流す。

 二曲目のリズムが始まる。

 火は起きない。

 人は笑う。

 音は、何も知らない。


「完了」


 ユノが短く言う。

 奇術師が帽子を持って深々と礼をした。「助かった」とは言わない。言う必要がないからだ。

 俺たちは輪を離れ、城壁の陰に寄る。


『解析完了。火薬の配合は王都標準ではありません。北方製。掲示板の七秒遅れと同じ系統の匂いがあります』


「裏で“誰か”が走ってる」


『はい。上位存在の直介入は無し。ただし、人間側に“乱数をいじる術”を持つ者がいる』


「ロガー(記録屋)か、アジャスター(調整屋)か」


『呼び名は何でも。あなたの“最適化”に対抗できる、珍しい人です』


 ユノが俺を見る。瞳の奥に、戦場の地図。


「夜、稽古。来い」


 誘いではなく、宣言。

 剣だけではない、“読み合い”の稽古。俺には必要だ。


     ◇


 王城裏庭の稽古場は、夜風がよく通る。砂地。灯りは最低限。

 ユノが木剣を一本、投げてよこす。

 俺は受け取り、重心の位置を確かめる。

 〈再挑戦〉は使わない。今日は、失敗が欲しい。


「三十合。かかれ」


 一合目、正面から。弾かれる。

 二合目、進むふりで引く。読まれている。

 三合目、足音を殺して踏み込む。柄で受けられ、肩に一撃。

 五合、十合、十五合。

 ユノは一歩も崩れない。

 剣先は常に“まだ来ない”場所を指し、俺の気配が“来るかもしれない”瞬間にだけ、わずかに揺れる。


「息、上げすぎ」


「はい」


「音、整えろ」


「はい」


 二十合目で初めて、刃の線が触れた。かすった。

 ユノの目が、ほんの少しだけ笑う。

 そこから、さらに十合。

 三十合目、俺は膝をついた。


「負け」


「うん。良い負け」


 いい負け。

 それは、再挑戦の前に必ず必要な材料だ。

 ユノが水を投げる。

 喉に冷たさが落ちて、頭が明るくなる。


「明朝、もう一度。一合だけやる」


「一合」


「一合に全てを詰めるのは、戦の常。あなたの“最適化”は、その一合のためにある」


 指輪が、指の内側で微かに震える。

 日付が変われば、〈再挑戦〉は一回戻る。

 使い所の宣告を、世界がしている。


『二回目さん。明日の一合に、切るのですね』


「切る。剣じゃなくて、間合いに」


『良いですね。あなたの恥ずかしい最善、好きですよ』


 稽古場を出る前、ユノが立ち止まる。

 月に白い衣。斜めの影。


「王女の条件、“合意”。忘れるな」


「忘れない。書面で行く」


「書面」


「はい。ハーレムの合意書。役割分担と優先順位、意思確認の更新頻度。笑うなら笑っていい」


「笑わない。戦の規律は、恋にも効く」


 ユノはそれだけ言って背を向ける。

 歩幅は一定。踵は鳴らない。

 俺は砂地に、棒で短い数式みたいな線を描いた。

 人間関係は乱数ではない。だが“揺れる”。

 揺れには整え方がある。


     ◇


 夜半、観測窓。

 アリアが鍵を開け、薄闇の部屋へ通す。

 壁一面が半透明の板で、神託掲示板の裏側が見える。

 数字が雨のように流れ、ところどころに微小な波形が立っては消える。


「七秒の遅れは、この波形。外部から“同期ずらし”を受けた痕。神殿の正規回線ではない」


「北方製の火薬と同じ匂い」


「ええ。王都の外。——“あなたの敵”が、少しずつ試している」


 アリアは腕を組む。

 横顔は、情報の海を読む人の顔だ。

 俺は板の前に立ち、指で空中の数字をなぞる。

 神託の裏に、人の意思が混じる。

 混ざるということは、読み合いが可能だ。


「アリア。僕に、観測窓の閲覧権限を」


「条件が増えます。毎晩、五十字の“揺れ所感”を提出。恋愛条項は前提」


「承認」


 彼女はペンを取り、許可証に署名した。

 俺の名前の上に、薄く笑いの影。


「……君、ほんとうに書面で恋をするのね」


「最適化は恥ずかしい。けど、効く」


「効けばいいの。政治も、恋も」


 短い会話で、明日の地図が一枚増えた。

 観測窓の数字は、変わらないようで、わずかに揺れる。

 眠気が手の甲に降りてくる。

 日付が変わる直前、俺は指輪を外し、掌にのせて息を吹いた。


「一回。明日の一合に」


 指輪が、静かに熱を返した。


     ◇


 夜が終わりに近づき、城は息を潜める。

 廊下の角、影がひとつ滑る。

 手枷を外した手で、誰かが壁の継ぎ目に指を差し入れる。

 金属が擦れる音。

 ——ガイルだ。

 良くない顔だが、最悪ではない。

 彼は観測窓の扉の前で立ち止まり、拳を握る。

 叩くのか、と一瞬思う。

 叩かない。

 彼は拳を下ろし、歯を噛み、身を翻して去った。


 復讐フラグは燃えやすい。

 けれど、折った枝は、すぐには燃えない。

 俺は寝台に横になり、薄く笑った。


 ——明朝、一合。

 再挑戦は、そこに切る。


【本日の“最適化メモ”】

・音の偏り=拍の混在。一拍借りるだけで事故は消せる。

・乱数いじりの敵は「同期ずらし」を好む。七秒は人の手の癖。

・稽古は“良い負け”を先に作る。一合に全部を詰める準備。

・合意は書面。笑われても効く(更新頻度も明記)。

・〈再挑戦〉は“明日の一点”に集中投資。気持ちよさは、だいたい遅れて来る。

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