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第三話 聴取は剣より速い

 朝の王城は、音が整っている。足音の間隔、紙の擦れ、扉の蝶番。ずれる音は、すぐ浮く。

 俺はいつでもどおり、指輪を一度撫でた。今日はまだ使わない。ここは一発勝負で拾える学習量が多い。


『接続良好。塩分は取りましたか、二回目さん』


「塩むすび二つ。最適」


『いいですね。人間は米で動きます』


 聴取の会場は小さな会議室だった。楕円の机。壁に地図。窓の外、王城の旗。

 席には四人。

 王女アリア。

 書庫の管理人。

 衛兵隊の副長。

 そして——ガイル。ギルドの顔なじみ、俺の苦手なタイプの男が、場違いに綺麗な鎧で座っていた。


「よぉ、リオ。呼ばれてるって聞いて驚いたぜ。Nのくせに」


 口角の形が、運で勝つ人のそれだ。

 ゆり戻し表、今日も荒ぶってるか。


 アリアが手短に議題を述べる。

 第百二十七番議事録の欠落頁(二十六)の追跡。

 書庫の閲覧記録では、最終閲覧者は三人。管理人、王女補佐の書記、臨時の護衛。

 護衛は——ガイル。


「俺か? 知らねえよ。紙なんか触ってねえし」


「閲覧記録は触ったことを覚えています。あなたが忘れているだけです」

 アリアの声は真っ直ぐだ。

 副長が渋い顔をする。


「欠落が出たのは事実だ。だが王女、護衛の任を担った者の顔を潰すのは——」


「顔は潰れません。事実は潰れません」


 剣帯から、音が鳴った。軽く、乾いた音。

 扉の前に影。

 ユノ。剣聖。

 彼女は音のする椅子を避けて立ち、会釈だけして壁際に寄った。


「見学」


 それだけ。

 場の空気が一段締まる。

 この面子で嘘は通らない。読み合いの場だから。


「では始めましょう。リオ、あなたの所見を」


 突然、矛先が来た。

 俺は立ち、机上の議事録と転記メモ、閲覧ログの写しを見やる。

 答えは二通りあった。

 ひとつは、無難な中間案。

 もうひとつは、ギリギリまで踏み込む案。

 前者は安全。後者は速度が出る。

 聴取は剣より速い——ユノがそう言いそうな場。

 俺は後者を選んだ。


「欠落頁は持ち出しです。理由は三つ。

 一、頁の抜き方が“破り”ではなく“糊剥がし”。書庫の修繕机でしか使わない道具跡がある。

 二、閲覧記録の時刻と副長殿の巡回ルートが噛み合っていない。犯人は巡回の“空白三分”に動いている。

 三、王女補佐の書記は左利き、管理人は癖で角を丸める。抜かれた痕は右利きで角を立てる”癖。……残るはひとりです」


 ガイルが鼻で笑う。


「推理ごっこかよ。証拠は?」


「証拠はすぐ出ます。二十六頁は“王都防衛の人員補填”について。足りない兵をどう埋めるか。——冒険者枠の増加、王城護衛の臨時採用基準の緩和。

 この頁を抜くと何が起こるか? “今の採用”が無効になります。つまり、最近の誰かが護衛権限を喪失し、聖域区域への立ち入りが取り消される。

 その無効期間を誤魔化したい人がいる」


 沈黙が落ちた。

 副長の顎がわずかに動き、机に置いた名簿を開いた。

 そこには、臨時護衛の名が並んでいる。

 ガイルの名の横に、日付。二十六頁の施行日と一致。


 ガイルが椅子を蹴った。


「ふざけんな! 俺は王女のために——」


「王女のためなら、頁を抜かない」

 ユノの声が切った。刃の音がしたわけじゃないのに、切断の現象だけが残る声。

 ガイルの動きが止まる。

 アリアが軽く頷いた。


「副長。閲覧記録の魔紋署名を照会して。……リオ、あなたは二回目。どうやってここまで踏み込んだ?」


「手数の最適化です。昨日、返却の順番を整えたことでログに早く触れた。そして、失敗を一度踏んだから、通話のタイミングも最短で切れた」


『格好いい言い回しをしましたね。事実ですけど』


 副長が顔をしかめる。


「魔紋署名、照合一致。臨時護衛ガイル、承認なく閲覧。……ガイル、弁明は?」


「は、はめられた! 俺は……俺は、見ただけで、抜いちゃいねえ!」


「見た時点で違反です」

 アリアが淡々と言う。

 ガイルの顔色が変わる。ゆり戻し表が、ひっくり返った音がした。

 俺は深く息を吐いた。ここで突き放すと、逆恨みが鋭すぎる。

 ゆり戻しは扱いが要る。


「王女。裁定前に提案を。頁の復元作業、僕がやります。写しの在り処は推測できます。昨日の“修繕机”に糊の微跡。そこに“紙粉”が残っているはず。成分から同ロットの紙束を特定し、筆跡は日付印字で照合。半日で戻せます」


 アリアが目を細めた。笑っていないのに、許可の気配。


「半日で」


「条件があります。——剣聖の護衛を、ください」


 視線が一斉にユノへ流れる。

 彼女は瞬きを一度だけして、頷いた。


「走るなら、踵を鳴らすな」


「了解」


 ガイルが机を叩いた。


「は? なんでお前が護衛——」


「護衛の定義は対象に付いて標的から守ること。今日は標的が“情報”です。剣聖は音を斬る。雑音が多い日には、剣より頼りになる」


 言い切ると、アリアが小さく笑った。


「いいわ。許可する。——ガイルは拘束。副長、規定にのっとって」


 副長がため息を吐き、ガイルに手枷をかけた。

 視線が俺を刺す。復讐フラグ、一本点灯。

 ここで折っておくべき言葉がある。


「ガイル。お前のやった事は駄目だ。でも、俺は助け舟を出す。頁を戻せば、処分は軽くなる。俺は帳尻を取る。それが俺のやり方だ」


 ガイルの目が揺れた。

 憎悪の角が、少しだけ丸くなる。

 憎しみをまっすぐ育てられると、後で厄介だ。最善は、だいたい恥ずかしいが、こういう一言も恥ずかしい。押す。


     ◇


 修繕机は地下二層の奥。窓のない部屋。

 ユノが肩で扉を押し開ける。

 部屋の真ん中、削った紙粉と糊の跡。

 ユノは言葉少なに、部屋の隅々を巡回し「音が少ない」と言った。

 音が少ない——敵がいないとも言える。


『化学分析、行います。という冗談を言ってみたかったのですが、私は神なので匂いで分かります。糊は王城標準、紙は北倉庫の三番棚、秋納入ロット』


「助かる。アリアに回線を」


『接続しました。……王女、北倉庫を開けます』


「許可する。衛兵に通達。——リオ、在庫を洗って、頁を戻して。午後までに」


「承認」


 北倉庫の三番棚。紙束の角に、自分と同じ小傷がある。ロット印の微妙な欠け。

 該当束を抱えて修繕室へ戻り、筆致と罫線位置を合わせ、二十六頁を復元していく。

 ユノは黙って立ち、俺の背後の「音」を切り続ける。

 足音。廊下のざわめき。遠くの咳。

 彼女の耳の前では、雑音が薄くなる。


「剣で、音を斬るんですか」


「選ぶだけ。不要な音は通さない」


「便利だ」


「訓練は長い」


 会話は短く、意味は重い。

 紙が一枚、正しい位置に戻る。糊が乾く。

 指輪が熱を帯びる。

 使いどころが、くる。


『二回目さん。午後に“乱数”がひとつ来ます。廊下で誰かが転ぶ。あなたが手を離すと、頁がズレます。避けられますか?』


「避ける。踵を鳴らさないで走る」


 ユノが視線だけで頷いた。

 廊下の向こうで、慌てた足音。書記が抱えた紙束が傾き、足元のバケツに——

 俺は椅子を蹴り、扉へ滑る。踵は鳴らさない。

 紙束を片腕で支え、バケツを靴先で戻し、転びかけた身体の肩を押して重心を復帰させる。

 紙は宙を羽ばたいたが、床に落ちたのは一枚だけ。

 ユノが、扉の内側で微かに口角を上げた。


「走り、良」


「ありがとうございます」


 修繕室へ戻り、最後の糊を押さえる。

 頁が座る。

 議事録は、もとに戻った。


     ◇


 午後の聴取・二回戦。

 復元頁の提出。

 アリアが確認し、印を押す。

 副長が処分案を読み上げ、ガイルは目を伏せた。

 終わり際、アリアが言った。


「業務連絡。リオ、あなたは王城臨時アナリストに任命します。報酬は通常の二倍。条件は二つ。

 一、毎日、神託掲示板の**“乱数ゆれレポート”を提出。

 二、恋愛は合意**を最優先。——剣聖、立会人をお願いします」


「承知」


 ユノがあっさり言う。

 俺は笑うしかない。


「王女。政務に恋愛条項は必要ですか」


「必要です。最適化は人を不安にする。合意はその不安を整える。——それと、あなたの“二回目”は、政治の資産です」


 言い切って彼女は椅子に戻る。

 ユノが廊下に出て、肩越しに言った。


「昼。食べたか」


「塩むすび二つ」


「もう一つ行く」


「行きます」


 石畳の上、踵を鳴らさずに歩く。

 指輪が小さく震えた。

 使わずに済んだ。

 今日の〈再挑戦〉は、明日のために残す。


 夕陽が、昨日より少しだけ喉に甘い。

 最適化は地味だ。だが今日も、気持ちよかった。


【本日の“最適化メモ”】

・聴取=読み合いの場。安全案と踏み込み案、速度が必要なら後者。

・“犯人探し”は手口×動機×ログの三点照合で短手数。

・復讐フラグは折れるうちに折る(一言の恥を飲む)。

・護衛の定義は対象×標的。情報を守る日は剣より耳。

・〈再挑戦〉は持ち越しも最適化のうち。

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