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第二話 王城の小口は罠の香り

 王城の門は、見上げると胃がきゅっとなる高さをしている。石垣は日暮れの色を吸い、衛兵は槍の柄で暇を叩いている。

 俺は胸の内側で指輪を撫で、声をかけた。


『接続良好。こちら女神ミナ。通話はあなたにだけ聞こえます。他者には無音、便利ですね』


「ネーミングは今決めましたよね」


『はい。管理者はいつだって命名権を欲しがるものです』


 軽口に救われる。緊張は雑音、削るべきノイズ。

 王城の小口依頼は、文書の回収だった。王女アリアの部署から“古い議事録”を地下書庫へ戻す。転記と照合、ついでに虫干し。

 一見ただの雑務。だが雑務はだいたい、重要だ。


 案内された執務室で、彼女は待っていた。

 王女アリア。政務の中枢。机の上は整然とし、インク壺は角度まで揃っている。

 目が合った瞬間、測られた気がした。測定器みたいな視線。


「君がリオ。南区の掲示を、今日のうちに三件片付けた人」


「はい。文書の回収と転記、承ります。王女殿下」


「アリアでいい。敬語を最適化したいのなら、対象の望む呼称から整えるべきでしょう?」


 言葉の刃。切れ味抜群。

 これが強敵だ、と直感する。


 依頼内容は三点。

 ——王命議事録「第百二十七番」を地下へ返却。

 ——返却前に頁欠けがないか対照。

——返却後、執務室の鍵を戻す。

 作業自体は簡単。だが、罠の匂いがする。王女は仕事でテストをするタイプだ。


『補足します、二回目さん。王城の書庫ルールは厳格。鍵の管理は最重要。ここで失敗した冒険者は、二ヶ月前に一人、出禁になりました』


「……鍵か」


 俺は議事録の束を腕に抱え、アリアから小さな金色の鍵を受け取る。冷たい。

 それから、にっこり笑ったアリアが、さらっと爆弾を置いた。


「地下は迷路。衛兵は案内しない。閉門までに返却して」


 つまり、タイムアタック。鍵をなくせば即死。

 ——一回目の俺は、このあと、油断した。


     ◇


 地下書庫は、空気自体が紙の匂いをしている。湿度が喉に張り付く。

 通路は等間隔の魔灯で照らされ、扉ごとに番号が刻まれている。

 議事録を返すべき部屋は「D-127」。

 俺は軽く地図を頭に描き、脚を進め——角で人とぶつかった。


「あっ——」


 紙束が宙に舞う。儚い白雪。

 慌てて拾い上げた相手の手は傷だらけ。

 黒髪を後ろでまとめた女性。武人の立ち姿。腰には木刀——いや、鞘の擦れ具合が尋常じゃない。本物だ。

 その目が、ざらりと俺をなぞる。


「前を見ろ」


「す、すみません」


 彼女は紙を揃え、乱れ一つない動きで俺に返す。

 そして去る。

 ただそれだけの接触だったが、指輪がぴくりと脈を打った。


『ユノです。剣聖。あなたの将来の分岐に、明るい旗が立ちましたね』


「通知、軽いな」


『課金通知よりは静かにしています』


 気を取り直して進む。

 棚の列。扉の刻印。——D-127。見つけた。

 鍵を差し込む。回す。

 重い扉が、動かない。


『あ、申し上げ忘れていました。地下扉は二重鍵です。もうひとつは管理人が持っています。あなた、今——』


「閉門まで、あと二十分」


 詰んだ。

 いや、まだだ。選択肢は二つ。

 ——管理人を探す。

 ——扉の仕掛けを読む。

 前者は運。後者は技術。

 指輪を一度撫でる。まだ使わない。この状況は、失敗して学べる。


 扉の金具に触れた瞬間、指先が冷えた。

 錠は古式。だが、最近手が入っている。油の匂いが新しい。

 鍵穴の左右に、目立たない凹みがある。指で押すと、魔紋がうっすら反応した。

 ——魔紋。魔法で描かれた操作回路。

 ここに“印”が必要だ。

 印? この城で印を持つのは——


『王女です』


「つまり、アリアの許可を取りに戻る必要がある」


 閉門まで、十五分。

 距離、往復で二十。

 間に合わない。

 ……使うか。ここで、〈再挑戦〉を。


 いや、待て。おそらくこれは試験。

 鍵の返却と、時間管理と、報告ラインの最適化。

 王女は“どう動くか”を見るはずだ。

 ならば、失敗ルートを一度踏もう。情報を取るために。


     ◇


 一回目(この地下での一回目、という意味)の俺は、王女の執務室へ駆け戻り、扉の仕様を伝えた。

 アリアは腕を組み、短く言った。


「判断は悪くない。でも遅い。君は地下で気付いた瞬間、私に通話すべきだった。通話手段を持っているでしょう? その指輪」


 ぐうの音も出ない。

 彼女は机の引き出しから押印用の印を取り出し、魔紋の凹みに押すよう指示した。

 地下へ戻る頃には、閉門の鐘が鳴っていた。


「——失敗。次は、失敗に再挑戦してから来なさい」


 静かな叱責。刺さるほど静か。

 俺は頷き、廊下の柱の影に身を寄せ、深呼吸して——


〈再挑戦〉——起動。


 時間が巻き戻る。靴音が逆さに走り、魔灯が逆順に点る。

 戻る地点は、D-127の前。鍵穴の凹みに気付いた瞬間へ。


     ◇


 二回目。

 俺は扉の前で、指輪に触れた。


「アリア。通話、可能か?」


 カチ、と微細な音。すぐにクリアな声。


「早い。……扉の仕様に気付いた?」


「凹みが魔紋。押印が要る。閉門まで、あと十五分。二分以内に印の受け渡しができれば、返却完了が可能」


「“二分以内”の根拠は?」


「書庫から執務室までの距離、往復一四分。押印の手順に要する三十秒。警備の巡回が今、南翼に移動中。空路がある」


「いいわ。右の壁、三枚目の石板の裏に王族用の転送紋。座標を開くから、印を受け取りなさい。——予備です。さっき叱ったのは、あなたが持っている道具を使わなかったから」


 くす、と小さく笑った。

 転送紋が起動し、壁が光る。小箱が現れる。中には朱肉と印。

 これを凹みに押し当てる。魔紋が走り、錠が静かに解けた。

 扉が開く。

 乾いた空気、紙の匂い。

 俺は議事録を台に置き、頁欠けを照合する。

 ……一枚、足りない。


『ありますね、“落丁”。いや、これは“抜き取り”か』


「アリア。第百二十七番の二十六頁、欠落」


「把握済み。君に問う。——返却を優先するか、欠落の報告を優先するか」


 選択肢。

 この問いの答えそのものより、答え方が試されている。


「返却を優先する。理由は二つ。書庫の在庫整合は扉単位で管理。鍵を戻すまでデータが“未返却”のまま固定され、欠落の追跡が遅れる。先に返却でプロセスを閉じる。そのうえで、欠落の報告を即時。同時に、地下の閲覧記録を洗って、二十六頁を誰が抜いたかログを照会」


「——正解。私はあなたの“順序の最適化”を見たかった」


 印を戻し、扉を閉め、鍵を抜く。

 書庫から執務室までの帰路、足取りは軽い。

 だが角を曲がったところで、再び人影。

 ユノ。剣聖。

 立ち止まって、俺を一瞥。

 今度は、ほんの二秒。


「走るなら、踵を鳴らすな」


「ご助言、痛み入ります」


「音は敵を呼ぶ。味方も呼ぶ。選べ」


 それだけ言って去る。

 短い言葉の中に、戦場の数学が混じっている。

 二秒の視線で人柄を測るのは無茶だが、彼女は**“読み合い”の人**だと分かった。

 読まれないために、読む。

 そういう者同士は、だいたい相性がいい。


     ◇


 執務室に戻ると、アリアはペンを止めた。

 鍵を置く。印を返す。議事録の返却完了を報告。欠落頁についての所見も簡潔に述べる。

 彼女は、口角をわずかに上げた。


「よくできました。最適化できる人は、報告も圧縮する」


「圧縮しすぎて内容が失われるのは最悪ですけど」


「失われていないから言っているの。——では、次。欠落頁の件、明日の朝、王城内で聴取があります。君にも出てもらう」


「冒険者の僕が?」


「関係者として。君が“二回目”であることは私の興味の対象でもあるから」


 その言葉に、腕の毛が逆立った。

 どういうことだ? 俺の再挑戦を、彼女は——


『観測していますよ、アリアは。神託掲示板の管理ログが、あなたの“やり直し”で微妙に揺れる。賢い人には見える揺れです』


「隠せないのか」


『完全には。ですが、あなたが“善い方に”使う限り、上位権限は黙認する仕様です。私も、そこは同意見』


 アリアが椅子から立つ。

 近づく。

 間合いが縮む。

 彼女の瞳は、やはり測定器だ。俺の心拍でも読み取るのかと錯覚する。


「君は“最適化された返答”をする。政治は、それが嫌いではない。恋愛は——たぶん、嫌います。君は恋の返答で、最適解を外す勇気を持てる?」


「テスト、早くないですか」


「先に条件を共有しておく。合意は政治の根幹。君が“ハーレム”を構築するなら、全員の合意形成を明文化しなさい。書面でもいい。私はそういう男が好きです」


 王女、強い。

 剣でも魔法でもなく、ルールで斬ってくる。

 俺は苦笑し、最適化された返答をあえて外す。


「最適化された返答は、今はしません。考えます」


 アリアの口元が、ごくわずかに崩れた。

 勝ち負けでいえば、俺の一点。


「では、今日は上がっていいわ。明日、聴取で会いましょう。——二回目さん」


 “二回目”と呼ばれて、指輪が微かに熱を帯びた。

 執務室を辞し、廊下を歩く。

 角の向こうから、白い影。

 ユノがまた、一秒だけ俺を見る。

 わずかな頷き。

 これが彼女なりの「見た」。


『分岐、豊かですね。あなたは今日、良い帳尻の取り方をしました』


「褒めるときだけ会計用語なの、やめない?」


『数字が世界を丸くします。……それと、注意。あなたの〈再挑戦〉の疲労持ち越しが微増。今日はもう使わないほうがいい』


「分かってる。最後の一回、明日の聴取に回す」


『承認。では、今日はゆっくり塩と水分。人間はバフが切れるとすぐ寝落ちますから』


 ギルドへ戻る道、石畳に夜が降りてくる。

 街灯の光が、さっきより優しい。

 最適化は地味だ。だが、今日も気持ちよかった。

 失敗を踏んで、リトライで最短に戻す。この往復こそが強さになる。


 背後で、王城の鐘がひとつ鳴った。

 閉門。

 俺は指輪をそっと外し、掌に転がして、空を見上げた。


「明日も、最善を。……だいたい恥ずかしいやつを」


 夜風が、笑った気がした。


【本日の“最適化メモ”】

・報告は圧縮+順序(返却→欠落報告→ログ照会)。

・通話系SSRは“距離”を溶かす。まず使え。

・政治相手には、たまに最適解を外すと効く(合意の地ならし)。

・扉は大体、鍵が二つ。人の心もだいたい二重鍵。

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