第十話 均一禁止令、初日と上神の爪先
翌朝、王都法務が走った。
“ゆらぎ条項”は夜のうちに条文化され、日付が変わると同時に試行。
看板屋は泣き、官吏は笑い、冒険者は「何それ美味いの?」と言った。
『接続良好。こちら女神ミナ。——お祝いに、神殿の鐘音にランダムな欠伸を混ぜました』
「やめて。寝坊の言い訳が増える」
『人間は言い訳をゆらぎと呼ぶのです』
王都広場の掲示板には、新しい紙が貼られた。
均一禁止令(ゆらぎ条項・施行細則)
・神託更新:時間±2〜5秒のゆらぎを維持
・検閲:一本化→再分流のテンポ比 3:1〜4:1
・祭祀:最初の一打は半拍遅らせる勇気
・舞踏:同一パターン連続は最大四曲まで
・行列:歩幅の平均化を禁じる/同期器の使用禁止
数字は固いが、読めばちょっと笑う。笑いは拍をやわらげる。
俺とユノとアリアは、広場で初日の様子を見守る。
朝露が石畳を薄く光らせ、屋台の老婆が値札に「曲がりきゅうり割」を書き足し、子どもが太鼓を一拍遅らせる。
都市はすこし人間の顔になった。
「——良し。で、市民の反応は?」
「『難しい単語が多いけど、おもろい』だそうです」
と、ガイルが片手を上げて報告に来た。門で鍛えた声は、もう街に馴染んでいる。
彼は胸を張って言う。「俺、今日は“列の踊り子”だ。右列が止まりそうなら腰で拍を取る係」
言い方は相変わらず斜めだが、機嫌がいい斜めになった。
『観測窓、安定。零秒は今のところありません。——ただし、神殿から上位通知。“監査”が来ます』
「上神アーカイバ?」
『はい。あなた方が“制度”に手を入れたので、爪先だけ降りるそうです。全身は来ません。爪先は文句を述べ、時折メモを置きます』
「たまにいるよね、メモで殴るタイプ」
『愛が深いだけです』
◇
神殿の監査室は白でできている。窓枠、机、帳面、香。
空気の温度が、紙の中身で決まる部屋だ。
俺とアリアは席に座り、ユノは壁際で立つ。指輪の中でミナが軽く咳払いし、上位回線を開く。
『——上位存在アーカイバ。接続。ゆらぎ条項の内容を受信——』
机の上に薄い影が落ちて、紙が一枚勝手にめくれた。
声は若くも老いてもいない。湿り気のない鉄琴。
『均一禁止。人間語としては面白い。——質問。ゆらぎを保護する合理性は?』
「免疫です」
俺は即答する。
数字の雨の端を指でなぞりながら、続けた。
「都市は生き物。同調しすぎると、外部からの攻撃に弱くなる。微小な不揃いは、変化への予行です。免疫。
神託更新も同じ。ゆらぎを持つ予報のほうが、人は賭け方を学ぶ」
『賭けは不純だ』
「純粋な都市は、すぐ死にます」
アリアが扇の骨を軽く鳴らす。「政治は雑音を必要とする。静寂は、支配者にすら不利。耳が鈍るから」
ユノは短く「剣も」と添える。
影が黙り、紙の端が一拍だけ揺れた。
評価のタイミングは、不愉快なほど正確だ。
『反論は後にする。——次。あなた(リオ)個人の能力〈再挑戦〉は、制度の“ゆらぎ”に過剰な補正を与える。運用規範を提出』
「提出済みです」
アリアが別紙を滑らせる。
〈再挑戦〉運用メモ(暫定)
・一日一回
・“言い直し”より“言い置き”を優先
・公務中は使用前に十拍沈黙
・“関係”に切る場合、全当事者の同意を(恋愛条項参照)
『恋愛条項……ふむ。人間は書面で恋をするのか』
「するようにしました」
俺が言うと、影はわずかに薄くなった。笑ったのかもしれない。
そして——紙の角がぴんと跳ねる。
上位存在の癖。試験の合図だ。
『神託掲示板、これより“零秒+逆拍”を試す。あなたの条項が生きるかを見る』
「逆拍?」
ミナが低く唸る。
次の瞬間、観測窓の数字列が逆走した。
日の出のはずの更新が“日没の型”で走る。
市場の呼び声が息を吸う前に落ち、門の列は背中から崩れる。
最悪のテスト。時間の裏表が混ざった。
「十拍沈黙」
アリアの声。
監査室の空気が固まり、俺は紙と人を二列に並べる。
紙——神託の裏の補助線。
人——門、市場、祭祀。
同時に拍を置く必要がある。〈再挑戦〉は——まだ切らない。切りたくなるほど、切らない。
「ガイル、門を“後ろから”数え直せ。最後尾から十拍で先頭に拍を送る。『後ろ優先』を流せ!」
「了解!」
指輪越しの声が太く返る。
市場にはユノ。「呼び声は尻上がりに。最初の一言を小さく、最後を大きく。逆拍を食べる」
「承」
祭祀は——昨日の小祠の子らだ。
俺は観測窓に一行を打つ。
逆拍=“出口優先”の拍。入口からではなく、戻りから揃える。
『送信。——子らに届いた。太鼓、戻りの手から入る』
数字の雨が、ひとつ戻った。
逆走の棘が短くなり、門の列が後方から動き始める。
最初に出るべき者が少し待ち、最後尾が先に進む。
不公平に見える動きだが、逆拍の世界ではこれが合理だ。
都市は、持ち替えに強くなる。
『上位監査、継続。——次は“偽終わり”。会議を終わったふりで途中で再開する』
やめてくれ。そういうのは会議あるあるだ。
けれど上から来る試験は、だいたい日常の延長で殴ってくる。
アリアはすぐ扇を閉じ、「終わり」を宣言——しない。
扇を開いたまま、「十拍沈黙」の合図だけ置く。
終わりに見せず、踊り場を作る。
俺は広場の掲示板に、もう一行だけ貼る。
本日、終わりの合図は二回鳴ります。最初は“偽”。二回目まで片付けないで。
市井の笑いが先に起きる。
「偽の終わり」が先に知られてしまえば、偽に効き目はない。
上位の爪先が小さく引っ込む気配。
『なるほど。“先に笑う”で無効化。……では最後。——恋愛条項の緊急迂回を試す』
「そこを試すの、上神の趣味が悪い」
ミナがあからさまに不機嫌だ。
だが監査は止まらない。
王城の北塔から煙が上がり、使いの者が駆け込む。「屋上庭園のベンチ、風で転倒——けが人一名!」
三者デート会議の場所だ。
誰かが風で足を滑らせた。条文の“公開範囲=内側”は守られている。
だが今は、条文より人命。
「緊急迂回、発動」
アリアが即答。
合意書の第九条。危機時は条文の拘束を停止する。
俺とユノは走る。踵は鳴らない。
北塔へ、階段を飛び、風の鳴る屋上へ。
ベンチの脇、倒れているのは——若君だった。
銀灰の髪。あの舞踏会の。
護衛も付けず、ひとりで監査の様子を見に来たのだろう。
彼は自嘲した。「……“均一禁止”を笑いに来て、風に笑われた」
「笑われたのは、こっちです」
俺は膝をつき、捻った足首を固定し、ユノが風下に立って風の角度を削る。
十拍。
若君の呼吸が落ち着く。
俺は合意書の写しを見せる。「緊急迂回で、今は条文も公開も後回し」
若君は薄く笑った。
「……合意書、いいな。嫌味を言う予定だったが、やめる。——監査委に、私も観察者で入れてくれ」
「監査は“第三者”がいいんですけど?」
「第三者も、増やすほうがいい」
アリアに任せる案件だ。
ミナが耳打ちする。
『上位監査、終了。アーカイバ曰く「爪先は満足した」。——あなたの“ゆらぎ制度”は暫定承認』
「爪先、ありがとうと伝えて」
『伝えます。可愛いメモを添えて』
「メモはやめよう」
『やめません』
◇
午後、広場に戻ると、瓦版屋のオヤジが新しい号を掲げていた。
『終わりが二回鳴る街で、終わりを焦らない方法。——まず笑え』
見出しは歌みたいで、ちょっと悔しいくらい良い。
学匠ギルドの老人が「詩だな」と言い、法務の若手が「法で詩を守れる日が来るとは」と肩をすくめる。
俺は乱数ゆれレポート/監査版に、今日の一行を加える。
逆拍の都市:出口から拍を置くと、入口が救われる。
アリアは扇で風を送り、「夕刻は合意書の署名更新。若君もオブザーバーで呼ぶわ」と宣言。
ユノは「稽古」と一言。
ガイルは「列の踊り子、残業」と笑う。
女神は指輪の中で、やたら上機嫌だ。
『文明、前進。——二回目さん、今日の〈再挑戦〉、残っています』
「残しておく。明日の“終わり”に切る」
『良い。終わりに切る予告、好きです』
終わりが二回鳴る街で、終わりを焦らない。
今日はその練習を、みんなでやった。
夕陽が、均一でない速度で沈んでいった。
【本日の“最適化メモ”】
・均一禁止=都市の免疫。微小な不揃いは変化への予行。
・逆拍テストは「出口から揃える」で受ける(後ろ優先/尻上がり)。
・偽の終わりは「先に笑う」で事故化。終わりの合図を二回に分割。
・緊急迂回は条文停止→人命先行。風の角度を削るのも拍の仕事。
・〈再挑戦〉は“切らない勇気”が制度を強くする。切るなら終わり際の言い置きに。恥ずかしいが、効く。