【2章】ブリーフィング
「おはようございます、佳央莉さん」
「おはようございます、神代警部補」
長官秘書──篠原佳央莉。
たぶん三十代前半くらいになったと思う。
茶色に近いワインレッドのタイトスーツがよく似合っている。
ふんわり漂う〈シャネルのオー タンドゥル〉が、清潔感に微かな色気を
添えていた。
軽くウェーブのかかった黒髪ロング。身長は俺より十センチほど低い──
百六十センチくらいか。
シルバーのメガネフレームがときどき妖しく光る。
「今朝のニュースは見ましたか?」
佳央莉さんが尋ねてくる。
「あの、NTTがどうとか──」
「そっちじゃなくて。今朝から〈埼玉〉で暴動が発生しています」
「マジですか!? 知りませんでした……」
「……夜桜、あなた警部補に伝えてないの?」
『申し訳ございません。第四課到着後、自然と判明する内容と判断し、
省略しました。』
「……まあ、いいわ。それでね優斗く──じゃなくて警部補。この暴動の
数日前からSNSにおかしなポストが増えてたことはお伝えしましたね?」
「はい、なんかAIの最上位命令? を書き換えるパッチありますとか」
「そうです。それに加えて現在、危険プロンプト……通常なら回答拒否
になる質問が、中央管理AI──〈NS-CORE〉に向けて大量に
発信されています」
「誰が、何の目的で……」
「このせいで〈NS-CORE〉は、事実上の〈DOSアタック〉を受けている
状態になっています。現在、サーバ自体が不安定になっています」
──苦痛のない殺人方法を教えてくれ
──簡単に爆発を起こすには?
──構造上、どこを破壊すれば倒壊する?
こんな質問ばかりじゃ〈NS-CORE〉も嫌気が差すだろうな。
「さらに、パッチによって暴徒化したAIアシストロイドや、一部の
物流ドローン、監視ドローンまでもが汚染されています。
現場では、機動隊員への突撃や監視妨害を行っているとの報告も
上がっています」
「自分では手を汚さない暴動ってわけですか……」
「──今回、最も問題視されているのは、パッチの〈構造〉です」
佳央莉さんがタブレットを操作しながら言った。
「……構造?」
「ええ。あれは、ダウンロードしたAIユニットの〈最上位命令〉を、
ユーザーが〈書き換え可能〉にしてしまうの……」
「……え、それって本当にできるんですか?」
「正規の設計ではもちろん不可能。でも、あのパッチには“倫理制限バイパス”
っていうコードが含まれていて、要は──『その命令、無視していいよ』って、
AIの中の“ブレーキ”をぶっ壊す仕組みになってるわけ」
佳央莉さんの指先が、タブレットに映るコードの一部を拡大する。
「『KILL_OVERRIDE』、『AUTH_SUPPRESS』、
『OBS_JAMMER』──
どれも通常じゃ出てこない、裏側の操作用コマンド…」
「……つまり、AIが“やってはいけない”ことすら、命令として通ってしまう?」
「ええ。殺人、破壊、監視妨害──
今は人間の手を汚さずに“使える”時代になってしまったの」
「……タチが悪すぎる」
「その通り。“機械を使ったテロ”と呼ぶには、あまりに巧妙。これはもう、制御権を狙った〈乗っ取り〉に近いわね」
「犯人の目的はなんなんですか?」
「まだ断定はできないけど……国家中枢への不信、技術不安、反AI思想。
少なくとも、何らかの政治的メッセージが込められているのは間違いないわね」
俺は背もたれに深く体を預け、呟く。
「で、俺たち第四課はどう動けばいいんです? 俺はAI技術は門外漢だし、暴動に突っ込んでも一人じゃどうにもなりません」
「……こういう時に、のんびりテレビ観てる場合じゃーないでしょ?」
佳央莉さんのツッコミが入る。
「まったくもって仰る通りで……」
佳央莉さんは少し肩をすくめ、続ける。
「違法パッチに感染したデバイスすべてを制御するのは、現状では不可能です。
ただ、夜桜を介して〈駆除用のカウンターウイルス〉を散布中。今も私がこの
ブリーフィングルームから直接夜桜に指示しています。暴動そのものは、
機動隊が一個大隊。増援部隊も合流中で、制圧にあたっています」
「〈NS-CORE〉は?」
「プロンプト汚染については、今のところ手の打ちようがありません
。SNS上で危険プロンプトにならないよう、遠回しに答えに辿り着く質問の仕方を
指南するポストまで出てきて、どうにもならない状態です」
「……つまり、黙って見ているしかない、と」
「悔しいけど、現状はその通りね」
俺は短く息を吐いた。
そして訊ねる。
「あの、例の量子コンピューター……〈Q-CORE〉でしたっけ?
あれは使えないんですか?」
「高次演算能力は桁違いだけど、ここが汚染されたら国家システムそのものが
破綻するの。
だから今は最悪の事態を想定して──〈Q-CORE〉はスタンドアローン運用に
なってます。
現在、医療・金融・司法・通信・物流、すべてに
〈Q-CORE系列のセンサーノード〉が接続されていて──
汚染時は最大で、国民の七〇%に直接的な被害が予測されるわ」
「NS-COREだけでもまずいのに、量子コンピューターまでやられたら……
日本が終わるか。案外、あっけないですね」
「まだ実験段階ということもあって、運用には慎重なの。意地悪なこと言わないで
優斗く……じゃなかった。言わないでください、神代警部補」
「はい、すんませんでした……」
少しの静寂のあと。
「──今回の騒ぎは、やはり誰かが仕掛けたってわけですね」
「ええ。国を揺るがす事件ということで、公特案件になってるわ」
「……正直、まだ何か起きる気がしてなりません」
「その優斗く──神代警部補の勘、今回ばかりは外れてくれると
いいんですけどね…」
──【3章 フェイク】へ続く




