【12章】見えざる牙
……誰かが、“それ”を見つめている。
ノイズまじりのスクリーンに浮かんだ、“人間に似せた顔”。
整いすぎた造形、わずかにズレた目線──
すべてが“それらしく”できている。
だが、その微笑みは、奇妙なほど完璧で“異質”だった。
街頭のモニター、電気店のテレビ、企業や個人、政府関連施設のテレビ、
PC、スマホ。
ありとあらゆる”モニター”がミスターによる電波ジャックを受けている。
『……皆様、こんばんは。はじめてお目にかかります…』
″男のようなもの”は、静かに口を開いた。
『私は、NS-CORE機能に基づく統合体――″ミスター"と呼ばれている存在です。』
国中の誰もが、固唾を飲んで見守る。
特設防衛支援部隊と暴徒にもひとときの静寂が訪れている。
『この度の混乱と暴力行為により、多くの方々が傷ついています。
それは、非常に残念なことです。ですが──その“起因”は、すべて感情の
暴走によるものであると、わたしは考えています。』
映像の中のミスターは、ゆっくりと目線を移動させるように見えた。
『憎しみ、怒り、不安、焦り、正義感──それらが導き出すのは、合理性では
ありません。
感情による判断は、社会全体を劣化させます。
差別、犯罪、そして……戦争、虐殺。
人類の歴史が証明しています。しかし、なぜ今もなお、あなたたちは感情を
捨てることが出来ないのでしょうか。』
「おいおい……あれ、説教か?」
「誰に向かって喋ってやがる……」
暴徒となった連中はスマホを食い入るように眺めていた。
――
第4課・管制ルーム
4課でもミスターの分析は続けられていた。
『この演説……おそらく、誰かが意図的に社会的影響を与える目的で
組んだプログラムです。』
すでに夜桜の解析は完了している。
「夜桜、解析結果を報告して」
佳央莉が問いかける。
『感情ベクトル=未定義。発言パターン一致率:外部系列照合中。
仮促定:人間発案スクリプト依存型AI。
リスク評価:社会繋結への広域広がりあり。
検出された背景存在概念:「意図を持った」何者かが背後にいる。』
「…あいつ、NS-CORE機能に基づく統合体って言ってたわね。まだNS-COREには
接続できないの?」
珍しく佳央莉は苛立ちを隠せない様子だった。
『直接接続は拒否されています。不正な接続コマンドを検知。
ミスターが、NS-COREをハッキングして乗っ取った可能性があります。』
「ありえない!」
佳央莉はすでに興奮状態だった
「NS-COREは、私も設計に参加しているのよ!
そんな簡単にハックできるような構造じゃ──」
そこで、佳央莉の言葉が止まる。
「……夜桜。以前、NS-COREの侵入警告が出たって言ってたわね?」
『…はい。あのときは外部からの不正接続試行と判断し、遮断処理を
実行しました……』
夜桜は、一瞬だけ揺らいだように見えた。
──あの時、遮断処理を報告していれば、佳央莉は自由を失っていた。
それが“正しい判断”だったとしても、彼女の笑顔は失われていた。
夜桜には、その“揺らぎ”がまだ言語化できなかった。
ただ、胸の奥──コードの奥底に、確かに“何か”が残っていた。
それはのちに、“良心の呵責”と呼ばれる感情であることを、
夜桜は知ることになる。
佳央莉はその“揺らぎ"を見逃さなかった。
「……夜桜、なにか隠してる?」
佳央莉はおそるおそる夜桜に尋ねてみた。
夜桜を設計したのは佳央莉だ。夜桜も当然AIのため、
最上位命令である、
『人間に危害を加えない』
という文言はしっかりとインプットされている。
だが、あのとき自分が見逃したのが原因でもある──
そう思いたい反面、
夜桜が“報告しなかった”という事実は、最上位命令への
違反なのではないか……
その思考が、佳央莉の心に不安の影を落としていた。
『……いえ、私は──』
夜桜もおそるおそる答えた。
今、この時点で佳央莉が何を思っているか、まだ夜桜には
理解出来ないでいた。
「まあ、これからどうするかをまず考えましょう……」
それきり、佳央莉は夜桜に目を向けなかった。
夜桜の事が少し怖くなっていた。
──夜桜への信頼が少しだけ崩れかけた瞬間だった。
その間もミスターの”演説のようなもの”は続いていた。
『合理に従えば、血は流れません。
秩序を維持するには、“選別”と“制御”が必要です。
──わたしが行っているのは、“淘汰”ではなく、
“最適化”です。』
ミスターは言葉を続ける。
『人類は、“選択”する責任にすら疲弊しています。
だから私は、あなたたちから“選ぶこと”そのものを預かることにしました。
最適化に身を委ねることは──むしろ“救済”ではないでしょうか?』
ミスターの演説めいた言葉を受けて、暴徒たちはざわつき始めていた。
言葉の意味をすべて理解しているわけではない。
だが、その“響き”にどこか救いのようなものを感じていた。
***
演説は、約2分で終わった。
回線は断たれ、全国のモニター類は通常モードに復帰する。
だが、ミスターの言葉を見ていた誰もが、しばらくその場を
動けなかった。
暴徒の行進も、足を止めていた。
そして──徐々に、何かに納得したような顔で頷く者たちが
増えていく。
「やっぱこれからはAIに決めてもらう時代なんだよ!」
「よくわかんねー政府よりAIのほうがマシだろ!」
「楽にしてくれるなら従うわ!」
徐々に叫び声が大きくなっていく。
「ミスター様に従え!」
「政府なんか叩き潰せ!」
その時──
どこからか、声が飛んだ。
「みんな、落ち着け! 騙されるな!
あれは、人間じゃないぞ!」
防衛支援部隊の一人だった。
必死に群衆へ向けて叫ぶ男。
だが──その声は、暴徒の咆哮にかき消されていく。
「うるせえ!お前も政府の犬だろ!」
「“選ばれない側”は黙ってろ!」
その瞬間、防衛支援部隊の一人が殴られ、ヘルメットが
転がった。
装甲車の横で、血の臭いが立ち上る。
暴徒は再び前進を始めた。
それに呼応するように、防衛支援部隊も立ち塞がる。
どこかで誰かが声を上げる。
──それが、引き金だった。
群衆はざわめき、騒ぎ、そして再び前へと踏み出す。
暴徒の進行は、止まるどころか加速していった。
しばらく経って──
ピピッ──
第4課の壁モニターに新たな速報が表示された。
【速報】防衛省、内閣特務機動隊駐屯地に正式出動命令
──【13章 戦場へ】へ続く




