9.二人旅
カタカタと音を立て丘陵の中を荷馬車が進む。
見渡す限り緑が広がるとても長閑で穏やかな風景。遠くの丘には黒い点のようなものがたくさんあり、目を凝らせばそれは動いているように見える。
荷馬車の後ろに座るシィアはフードの中で三角の耳をピンと立て、丘陵の黒い点を指差す。
「トーリ、あれは何?」
「あまり乗り出すと危ないシィア。 あれは、たぶん羊か牛だろうね」
「へぇー」
全てが初めて見る景色の、何なら荷馬車も初めてのシィアは興味津々で目をまん丸にし、隣に座ったトーリは小さく笑みを作る。
ラドネアから長距離馬車にて隣国ブラティバルの国境に向かう予定であったが、大規模な土砂災害が起こったらしく長距離馬車は軒並み運休となった。
何時になるかわからない復旧を待つか、遠回りだけど迂回路にて国境の町に向かうかの二択。
相談の上、二人が選んだのは後者。
そして現在、レテを出てから八日ほど経つ。
耳に心地よい車輪の音は丘陵の外れで止まり、親切心で二人をここまで送ってくれた男は、荷馬車から降りた白髪の旅人――トーリに言う。
「本当に先に進むのかい? この先はしばらく村はないぞ。何ならうちに泊まって明日出たらどうだ?」
「ありがとうございます。けどまだ日も高いので進めるとこまで進もうかと。野営の準備はあるので」
「ふーん…、そっちのお嬢ちゃんもそれでいいのか?」
急に振られたシィアは一瞬ビクッとしながらも小さく頷く。
「そうかい。…ま、あんまり引き止めても余計にあれだ。 ああそれと、ここいらは獣は出ても魔獣は出ない。けど峠を越えるとランドブルの生息地になるから気をつけろよ」
そう告げて、男は荷馬車を回すと二人に手を上げ引き返して行った。
小さくなる荷馬車を見送っていると隣から視線を感じる。見上げたら、何だか複雑な表情のトーリがシィアを見下ろしている。
「トーリ?」
「ん、いや…、皆んなちゃんとシィアが女の子に見えてるんだなぁって」
「? シィア元から女の子だよ?」
「うん、言われて見ればそうなんだけど…」
ボソッと零したトーリは軽く息を吐き、道に置いた荷物を担ぎ上げた。
「まあそれはいいとして、取りあえず先に進もうか。あんまりゆっくりしてると予定の場所までたどり着かないから」
「予定の場所? トーリはここ通ったことあるの?」
「割りと長い間色んなところを旅してるからね。無駄に色々知ってるよ」
「へえ、スゴい」
シィアの素直な称賛の声にトーリは苦笑を浮かべ、二人は出発した。
村から外れると道は徐々にただの踏み跡となり。低い草が生えた平原が続いた後、岩場と木々が現れて、やがて密度のあまりない森になった。
シィアはスンと鼻を鳴らす。
水場らしきものも見えないし水音も聞こえない。なのに空気に水気を感じる。
「トーリ、近くに水がある?」
「水? …ああ、シィアは本当に鼻が良いね。この先には湿地帯があるんだ。だからじゃないかな」
「しっちたい?」
「水っぽい土地でわかるかな。落ちると大変なことになるからシィアは僕の踏み跡をはずれないようについて来て」
「ん、わかった」
言われたようにトーリの後ろをついて進むと、密度を増した木々で少し薄暗くなった森の中に、土手のように盛り上がった細い小道が出来ていて。トーリはその上だけを歩いて行く。
その他の周りの大半は植物に覆われ、一部出ている地面は黒っぽくところどころに水たまりも見える。
要するにこの小道をはずれなければいいのだろう。けど、大変なことになるとは?
「落ちたらどうなるの?」
「周りはほぼ泥だからね、沈むよ」
「沈む…」
「そう。しかも泥は水と違って重たいし、一部はとても深いから沈むと抜け出せなくなる。その上、こういう場所は蛇も多いから」
「蛇? シィア、蛇は怖くないよ? 捕まえれるし」
足を止め振り向いたトーリは「普通の蛇ならね」とちょっとだけ眉尻を下げた。
「もしサーペントならシィアの方が捕まるから」
「サーペント?」
「魔獣だね」
「まじゅう…」
シィアは首を傾げる。
さっきの荷馬車の男の人も言っていた言葉だ。
「それについては後で説明するよ。――さ、もうそろそろ着くよ」
ホラと促され少し行くと、突然森が開けた。
視界に広がったのは割りと大きな、澄んだ青い水をたたえた泉。透明度が高く、覗き込むと底に泳ぐ魚たちが見える。
夢中で水底を覗くシィアに小さく笑い、トーリが向かったのは泉のほとりにある大きな木。その根元に荷物を置いてシィアを呼んだ。
「シィア、今日はここが野営地だよ」
「それじゃあ、火を起こす? それとも天幕を組む?」
トーリの元へと駆けて来たシィアは弾んだ声で言う。
八日も経てば慣れてきたシィアは火起こしも天幕の組み立ても手伝えるようになった。とは言っても宿に泊まった日を抜けばそれもまだ三回ほどで、言うならば今は練習中のやる気に満ちた楽しい時期だ。
そんなシィアに、だけどトーリは笑って首を振る。
「火は起こすけど、今日は天幕はいいんだ」
「え?」
首を傾げるシィアにトーリは上を指差す。その指の先には空を隠すほどに広がった良い葉ぶりの梢があるだけ。
見上げたシィアはやはり首を傾げる。
「?」
「ふふ、今日は木の上で寝るんだよ」
「えっ?」
「木の上の枝と枝に寝床を張るんだ。ハンモックって言うんだけど」
「え、スゴい!」
「そう、シィアにも体験してもらおうかと思ってね」
そう言ってトーリは荷物からロープを取り出すと頭上の太い枝へとロープを投げて絡め、それを使ってスルスルと枝の上へと登った。直ぐに上から声がかかる。
「シィア、その縄梯子をロープの先に繋いで――」
「ん」
トーリが用意していたもうひとつ、ロープのようなものを掴んだシィアは大木の幹の飛びつくと、凹みを足がかりに二、三回飛び上がってトーリがいる場所へとたどり着く。
「はい、これでいい?」
「…は…、…凄いな、シィア」
「…? シィアスゴい?」
「ああ、流石獣人だな。身軽というか…、身のこなしが僕らとは全然違う」
「違う…」
『違う』という言葉に反応して瞬時に顔を曇らせたシィアにトーリは慌てて手を振る。
「あっ、決して悪い意味じゃないから。要するに運動神経が抜群で凄いってことだからねっ!」
「……シィア、スゴい?」
「ああ」
直ぐに気を取り直し尻尾をゆらゆらと揺らしたシィア。もしヒゲがあればそれも聳やかしてそうだとトーリは思う。感情の起伏がわかりやすいのは獣人特有である。
「取りあえず僕は梯子の方が楽だからこれは垂らして置こう」
持って来たロープで出来た梯子を枝に固定したトーリは、「シィアはここで待っていて」とそれを使って一度下へと降り、小さな荷物を持って再び上がって来た。
「これがハンモックだよ」
と、広げられたのは網目状に編まれた、――やっぱりロープだ。ロープの使い道が半端ない。
今いる木の上は太い枝が何本も枝分かれしていて比較的足場が広い。そこで、「これをこうやって…」と枝と枝の間にロープを張ったトーリがその中心部分に座り、そのままゴロリと寝転がった。
「わあ…っ!」
感嘆の声をあげたシィア。トーリの体が網目のロープに包まれて宙に浮いている。
何これ、楽しそう。
目を輝かせて眺めていればトーリが位置を交換してくれ、シィアはいそいそと寝転んでみる。
体が宙に浮いているので何となく心許なく感じるが思ったより快適だ。そしてやっぱり楽しい。
「気に入ったみたいだね」
「うん!」
ゆらゆらと揺らしているとトーリがそう言い、シィアは大きく頷く。
「そう。楽しいで何よりだけど、一応意味はあるんだよ」
「この、えっと…ハンモックの?」
「ハンモックというか、水場は他の動物たちもやって来るからね。その避難のためもあって木の上で寝るんだ。ハンモックは、まぁ寝転がって落ちないようにくらいの意味かな。それに幸いにもこの辺りは樹上に適した獣はいないから、シィアのように身軽には登っては来れないだろうし」
「獣……、まじゅう?」
「ん? ああ、これはどちらかと言えばただの獣対策かな。…そうだね、そろそろ火起こしもしないといけないし、じゃあ下に降りてその話でもしようか」
その話とはたぶん『まじゅう』の話だ。後で説明するとも言われたし、必要な話なのだろう。
( でも別にこのまま話してもいいのに )
ハンモックの寝床が気に入ったシィアは名残惜しみながら起き上がり、先に下へと降りたトーリの後を追った。




