7.ゆびきり
『おとうさんとおかあさんのお墓にお花を供えてから行きたい』
それがシィアがトーリに願ったこと。
森に入るがいつものところには見つからず、少し足を伸ばした先でやっと目当ての花を見つけて。シィアが採取に掛かかろうとすると、ついてきていたトーリから声がかかる。
「セレンソウだね」
「セレンソウ?」
「その白い花の名前だよ。花弁…花びらが五枚だろ? だから五つ花弁草って言うんだ。でも、どちらかと言えば水気の多いとこに咲く花なんだけど…」
「水気? ならその先に川があるよ。辿って行けば滝もある」
「へえ、滝か」
「……行ってみたい?」
「そうだな、そんなに遠くないなら花は帰りにして、滝まで行って少し休憩しようか」
「じゃあシィアが案内する!」
人のあまり来ない滝はシィアのお気に入りの場所。予定変更の申し出に尻尾をブンと振り、シィアは意気揚々と先導をかって出る。
滝に向かうにつれ川は細くなり幾つもの筋を作り、草木は濃く、朽ちた木には苔がむして緑の絨毯が広がる。
「凄い…、まさに手付かずの森だな」
その感嘆の声に、朽木をひょいと飛び越えたシィアは、足を止め森を仰ぎ見ているトーリを振り返る。
「もうすぐそこだよ」
「ああうん」
再び歩き出したトーリを確認してシィアは足場のあまり良くない森の中を軽快に先行く。
濃厚な森の香りの中に水気を含んだ冷えた空気が混ざり始めたら突然目の前が開けた。
あまり高低差はないが岩の斜面を幾つもの白い線が流れる落ちる優美な滝。斜面にある灌木、その隙間からも水は流れ落ち、シィアは滝つぼを回り込み灌木へと近づくと濡れるのも構わず手を伸ばして、そこに成っている赤い実をいくつかもぎ取った。そして滝つぼの縁で滝を見上げているトーリの元へと駆けて戻る。
「トーリ! これあげる、美味しいよ」
「ん? ああ、フォンベリーだね。それは確かに美味しいだろうけど…、それよりもびしょ濡れじゃないか。ちょっと待って、今なにか拭くものを、」
「いらないよ、そんなの」
トーリの言葉をあっさりと断るとシィアは勢いよくブルルと頭を振る――と、
「わっ! ちょ…、…シィ…」
そんな切れ切れの声が前方から聞こえてハッとする。
( ――あっ! しまった…!)
何度もおかあさんに注意されていた、これはしちゃいけないって。
そろりと視線をあげると、案の定シィアから飛び散った水しぶきを浴びて唖然とした表情のトーリがいる。
「……ご、ごめんなさい…」
耳をへにょりと下げてすぐに謝るもトーリは俯き肩を震わせた。
「………ふ…」
「ふ?」
「…ふはっ、は、はははっ」
「ト、トーリ…?」
突然の笑い声に驚いて耳をピンと立てたシィアの目の前で、顔をあげたトーリは目尻を擦り何とか笑いをおさめると、ちょっとだけ恨めしそうな顔をした。
「待ってって言ったのに…」
「ごめんなさい…」
「…ふふ、いいよ。 でもちょっと昔飼ってた犬を思い出した」
「……犬…」
深い意味はないだろうけど、何となく複雑な気持ちになったシィアの頭の上に「間に合わなかったけど」とタオルが被され、ほら、よく拭いてとの声。
「寒くない時期とはいっても濡れたままでは体を冷やしてしまうからね」
「トーリは?」
「僕はそんなに濡れてないから大丈夫。……あ、でもそういえば、今朝僕の手を掴んで『冷たくない』ってのは何?」
「今朝? ………ああ!」
それは、本来生きてる人が持つべきの匂いが、トーリから感じ取れなかったので不思議に思って確認した件だ。
気にしてなかったけど今だってそうだ。タオルでゴシゴシと頭を拭きつつそれをそのまま伝え、追加で告げ足す。
「でもトーリの手首から脈は感じたし、体だって温かかったから変だなって」
「………なるほど」
被ったタオルの中で聞こえたトーリの声はびっくりするくらい低くて、シィアは慌てて顔を出す。
「…トーリ?」
「ん?」
「……」
普通である。トーリは柔らかく目を細めシィアを見下ろす。だけど、だけども。
シィアは感情にとても敏感であるのだ。
トーリからほんの少しの小さな違和感を感じ取って、耳と尻尾を下げたシィアはどうしようかと考える。
( …どうしよう )
きっとシィアが言った言葉のどれかで気を悪くさせてしまった。でもトーリにはシィアを嫌になって欲しくない。
置いていかれたくない。一緒にいたい。嫌われたくない。
( ならどうすればいい? )
ぐるぐる回る思考の中で必死に考えて、そして思い出した。
「――あのっ、トーリ、あのねっ、この滝を登ったとこに白く光る石があるんだ。 シィアにはわからないけど、たぶん凄いものみたいで、だからシィアちょっと取ってくるね!」
「え? あっ、ちょっ、シィア!?」
呼び止めるトーリにタオルを押し付けシィアは滝へと走りその横を駆け登る。
見放されないためにはシィアが役に立つことを見せればいい。あの、マルノーという男が奪っていったということは石には価値があるんだ。
( それをトーリにあげれば喜んでくれるはず! )
そんな結論に至ったシィアはいつも石を拾っていた場所にやって来たわけだが、そこらに転がっていたはずの石がひとつもなく辺りは踏み荒らされたような足跡だらけ。理由などすぐにわかった。マルノーに場所を教えたことを今さらに悔む。
でも駄目元で洞窟の中も探してみるけど見つけたのは親指の爪ほどの欠片が少し。シィアが肩を落して洞窟から出ると、追いかけて来たトーリが焦ったようにこちらへと来る。
「シィア! ああ良かった…、居たね。――で、どうしたんだい、急に?」
先ほどの雰囲気は消え失せ安堵と戸惑いの表情を見せるトーリに、シィアは握った手を開く。
「ん? …ああ、石か…。これは集光石だね、でもどうして?」
「トーリにあげようかと思って…」
「…僕に?」
耳も尻尾も下げたシィアは上目遣いにコクリと頷く。
「トーリ、さっきシィアのせいで機嫌が悪くなったから」
「え?」
「でもこれだけしかなくて、あのマルノーって人が持っていったんだと思う」
「え、え?」
「これだけしかないけど、これでトーリはシィアを置いてかない?」
「え、…や、待って待って」
トーリが片手で目元を覆い、もう反対の手を開き制止を求めたのでシィアは一旦口を噤む。
「…えっと、僕が機嫌が悪くってのは、たぶんさっきのことだと思うけど、それは誤解だから」
「誤解…?」
「ちょっと驚いただけ」
「……驚く…?」
「うん、まあそれはいいよ。それで何でマルノーの名前が? そいつ昨日シィアに傷つけられたって言ったやつだよね?」
「…シィアが見つけたこの石が欲しいって、だから教えた。じゃないと二人のお墓から持って行くから」
「…ああ、…なるほど…」
トーリの声が再び低くなり、シィアはビクッと身を竦める。
今度のは明らかに怒っている様子だ。
そしてさっきのは驚いたということだけど、そうだっただろうか? でも声に嘘はみえない。
目元を覆っていた手がはずれトーリの薄灰色の双眸がシィアを見た――と、眉尻が下がる。
「…本当に、感情に敏感なんだね。でも今の不機嫌はシィアにではないから。それに、僕はシィアを置いては行かないよ。約束する」
「……約束…」
「ああ、約束だ」
トーリは大きく頷く。でも、シィアは知っている。
「約束は守られないものだよ。だっておかあさんはどこにも行かないって言ったのに死んじゃった」
だからシィアはひとりぼっちだ。
「それは――」と、トーリが眉を寄せる。
「…うん、それは仕方ないよ、それが人の摂理だ。皆んな遅かれ早かれ何れは亡くなる」
「トーリも?」
「………、シィアもだよ。年を取れば皆んな」
「……」
シィアだって寿命という言葉はちゃんと理解している。おとうさんが亡くなった時におかあさんから教えられたから。でも、それでも――と、やっぱり思ってしまう。
しゅんと肩を落したシィアに、声のトーンを少し上げてトーリが言う。
「――よし、じゃあこうしよう」
シィアの目の前にしゃがんだトーリは自分の小指を立て、同じように立てたシィアの小指を取り、その二本を絡めた。
「……?」
「指切りって言うんだ」
「ゆびきり?」
「そう。約束をする時に使う僕がいた国の儀式…、というかおまじないみたいなものかな。ただし約束を破ったら一万回殴られた上に針千本飲まされる」
「えっ!」
びっくりしたシィアの耳が勢いよく後ろに倒れるのを見てトーリは小さく笑った。
「まあそれは脅し文句みたいなものだから。約束を破らないようにって」
「シ…シィア絶対破らない!」
「うん、…ふふ、じゃあまあ『指切りげんまん 嘘ついたら針千本飲ます』――と、はい、もう指を離していいよ」
「離す、…の?」
「ああ」
シィアは恐る恐る小指を離す。当然何も起こりはしないけど、小さく安堵の息を吐いたシィアにトーリは言う。
「これで約束は成立だ。僕はシィアを置いては行かない」
「あ…、うん…、…でもあの、シィアも何か約束がいる?」
これではトーリだけが罰を負うことになり公平ではない。そう思い言ったのだけどトーリは笑って首を振った。
「いらないよ」
「でもっ」
「それじゃあシィアがもっと元気になって自分の世界を広げていくこと、かな」
「……シィア元気だよ?」
「なら完璧だ。さあ日も傾いて来たし花を摘んで帰ろう」
そう言ってヨイショと立ち上がったトーリ。
何となくはぐらかされた感はあるが、トーリがそれでいいと言うならシィアがそれ以上言うことはない。




