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世界は僕らに優しくない  作者: 乃東生
〜 波立つ行く手 〜
53/73

53.バティスト / 予兆


 ゲホッゴホッと激しくむせながら意識を戻すと、目の前には黒っぽい人間がいて。シィアはヒクッと息を詰まらす。そしてまたむせた。


 そんなむせるシィアにほんの少し申し訳なさそうな気遣う声がかかる。



「……大丈夫か…?」

「う、うん…ゲホッ、大丈夫…」



 黒くしっかりとした眉をぎゅっと寄せ、とても険しい表情を見せる男だがその声は本当に心配しているとわかる。それに。



「……シィア、あなたを知ってるよ」

「……」

「トーリと、話してたね」

「……ああ、レテの町で会ったな。立てるか?」

「うん」



 男は起き上がったシィアの肩に毛布をかけ、立ち上がるのを支えてくれる。顔は怖いけどその仕草は丁寧で優しい。

 


「船から落ちたんだよね、…ここは?」

「ログニアの魔導船だ」

「ログニアの? シィアの乗ってた船は?」

「後ろだ」



 振り返ると壁のような船の側面があり、首を上に向けると覗き込む幾人かが見えた。その中に知った顔が二つ。シィアの口から自然と安堵の息が漏れる。助かったのだと。



「シィア! 待ってろ、今梯子をもらって来る!」



 そう言って一人――グエンダルは姿を消し、もう一人、トーリはシィアと視線をあわすと表情を緩めて小さく頷いた。そして両手を口の横に当て言う。



「後ろの男、バティストは顔は怖いけどシィアには優しいだろうから大丈夫だ!」

「うん、わかってる」



 元気だというようにトーリに大きく手を振っていると、「あの男はなんて言った?」と声がかかる。


 グエンダルがいなくなった今、波や船の音でこの距離ではシィアしか会話は成り立たない。当然シィアの声もトーリには届いてないだろう。

 尋ねたバティストはシィアではなく上にいるトーリを見上げていて。シィアの位置からはその表情ははっきり見えないが声は少し硬い。



「…バティストはシィアには優しいって」

「……」

 


 シィアの説明にこちらを見たバティストは途端渋い顔をする。だけど否定はしない。

 苦虫を噛み潰したような表情で何か言おうとして、でもそんなバティストに同じ黒い服を着た男が声をかけてきた。



「大尉、もう一人も目を覚ましたようです」

「…わかった」

「もう一人?」



 シィアが尋ねると黒い目がこちらを怪訝そうに見た。



「共に落ちただろう?」

「……ああ…」

 


 共にというか巻き込まれたのだ。

 無事で良かったとちょっとは思うが正直どうでもいい。むしろ関わりたくない。


 眉をぎゅっと寄せたシィアの顔から何か察したのだろうバティストはそれ以上は何も言わず。声をかけてきた男とこの場を離れた。

 なのでシィアはまた上を見上げる。そこにはやはりトーリが心配そうな顔で見下ろしていて、シィアがこちらを見たことに気づくと誤魔化すように顔を繕う。

 結局、いつも通りにトーリに心配をかけさせてしまった。

 安心してもらうために小さく手を振るとトーリは眉を下げながらも笑顔を浮かべた。






「――何故私の言うことが聞けない!」



 上を見上げていると背後でそんな大きな声が聞こえて。耳を揺らしたシィアは後ろを振り返る。

 それはバティストが消えた方向だ。

 しかも、この声はあの子爵だとかいう男の声。また迷惑をかけているのだろうか?



「シィア?」



 上からトーリの心配そうな声が降る。シィアが急に振り返ったからだろう。

 シィアはトーリを見て何でもないと緩く首を振ると、「ちょっと見てくる」と手ぶりで示して声のした方へと向かった。




 シィアがいたのは船尾で、声は船頭の方からする。

 なのでそちらに行ってみると、遠巻きにする船員たちの輪の向こうには厳しい表情のバティストと、シィアと同じ毛布を体に巻き付け震えるずぶ濡れの男。



「この魔導船なら数時間で港に着けるだろう!だからさっさと向かえと言っているんだ!」

「…できかねる」

「まだ言うか! 大体この船は帝国のものだろう! 私は帝国の貴族だぞ!国民を速やかに安全な場所に送り届けるのは当然だ!」

「だから今 元の船に戻れるよう手配している。それに我々はまだ任務中でこの場を動くことは出来ない」

「カリブディスはもう倒しただろう!」



 バティストに突っかかる濡れ鼠な男の声にシィアはハッとする。


( そうだ、カリブディスは!? )


 辺りを見渡すとすぐにそれらしき白い体が見える。炎はもう落ち着いていて、その周りを囲うように数隻の物々しい船がいる。

 


「あれは帝国の船?」



 シィアは近くにいた船員に尋ねると、急に声をかけられた男はビクリと振り向き、シィアを見下ろし大きく目を見開いた。けれどすぐにその眉尻が下がる。



「えぇ…、なに、かわ…っ」

「…?」

「――や、うん、そうだよ、あれは帝国の船で、カリブディスが本当に死んでるかどうかわからないために警戒して囲んでるんだ。なんせ今まで見たこともない怪物だからね」

「ふーん…。でもアレ、もう死んでるよ」

「え?」



 驚く男を促してバティストの元へ行く。



「…あの、大尉、この可愛い…、いえ、お嬢さんが話があると」

「――は?」



 厳しい表情のまま振り向いたバティストはまず男――部下を目にし、それからシィアを見下ろしたあと、再び部下に視線を戻して小さく息を吐く。



「…お前はもう戻れ」

「はっ!」



 急に背筋を伸ばした部下の男は素早い動きで側から離れ――際にシィアに小さく手を振って、苦い表情のバティストがシィアを見る。



「その話というのは今必要なのか?」

「必要かどうかはわからないけど、あのカリブディスはもう死んでるよ」

「……何故そう言い切れる?」

「匂いも気配もそう言ってる」

「……」



 きっぱりとしたシィアの言葉にバティストの眉がぎゅっと寄り、見た目だけで言えばさらに怖い顔になった。だけどそれは嫌悪だとかそういうものではなく。

 バティストが「は…」とひとつ息を零し口を開こうとした――、その背に声高々な横やりが入る。

 


「ほら見ろ! カリブディスは死んだって言ったぞ! ならもう問題ないだろう、さっさと私をヒュルセイまで連れて行け!」



 濡れ鼠な男――ダンドルの騒がしい声が耳に入った瞬間、バティストは眉を寄せたまま静かに目を閉じた。

 そのうるさい声に、本当は耳を閉じたかったのかもしれないバティストに代わり、シィアはペタンと耳を伏せる。



「おい! 聞いてるのか!」

「…聞いている。ただ何度も言うようだが今は任務中で動くことは出来ない」

「――っ! …このっ、軍人風情が! 私は貴族だぞ、軍人など貴族(私たち)の言うことを聞いていればいいんだ! 逆らうな!」

「……」



 目を閉じたままのバティストがこめかみにピクリと筋を浮かす。

 いい加減苛立った気配を見せたバティストだが、今のこんな流れにしてしまってのはシィアのせいだ。

 そう思いバティストを見上げると、もう目は開いていて。シィアと目が合うとほんの少しだけ視線を緩めたが、その黒い瞳はきびしい光を宿してダンドルへと向く。



「そろそろうるさいな…」

「――は?」

「そうだな、そちらが貴族であることを引き合いに出すのならこちらも言わせてもらおう」

「な、何をだ…?」



 バティストのきびしい視線にたじろぐ男。一歩近づいたバティストはダンドルより厚みも上背もあり、ぐっと背筋を伸ばし見下されると威圧感が凄い。



「私の名は、バティスト・ボードリー。騎士爵を貰い今はボードリーの姓を名乗ってはいるが、元はバティスト・()()()()()

「――なっ!?」

「貴殿もおそらく知ってるだろうディディエ家の者だ」

「…な…、…なんで、また…」

()()?」



 零された声を拾い一瞬怪訝な顔をしたバティスト。だけどすぐに何か察して船尾の方へ顔を向けた。

 それはおそらくシィアたちが乗っていた船の方向。その視線を追うようにシィアも同じ方へ顔を向けると、小さく見えた甲板の人影、トーリはまだそこにいて。


( …ディディエ…? )

 

 それはトーリと同じ名前。



「…あいつがその名を使ったか…」



 皮肉げに呟いたバティストは次に少しだけ声を低くしてダンドルへと言う。



「では、元の船に戻るということでよろしいか?」

「……」



 青ざめ震える男は項垂れた様子で無言のまま頷き、そこにタイミングよく「シィア、迎えに来たぞ」と船からの迎え――グエンダルが来た。






 梯子を登り切るとトーリが笑顔で迎えてくれる。



「おかえりシィア」

「うん」



 シィアはキュッと口の端をあげる。トーリが側にいるだけで何もかもが解決したと思えるから不思議だ。

 新しいタオルをもらい、それで頭を拭いながら下で指示を出しているバティストを眺める。

 グエンダルとシィアは難なく梯子を登ったけど、もう一人の男が難儀しているようだ、「こんな揺れるもの無理だ!」と喚く声が聞こえる。もしかしてこうやって戻るのが嫌だったから魔導船で帰りたかったのか。本当に迷惑極まりない。



「ねトーリ、あの人とトーリは家族なの?」



 尋ねるとトーリは一度瞬いたあと眉尻を下げた。



「…バティストか」

「トーリと同じ名前だったから」

「あー…、うん…。家族…と言えば家族だね。ただ、血は繋がってはないんだけど」



( …血が繋がっていない… )


 なるほど、それで全く似ていないのかとしっくりくる。それは見た目とかそういうことでなくて感覚的なものも合わせてだ。

 言いにくそうに答えたトーリ、何か事情があるのだろう。けれど血が繋がっていなくとも家族にはなれる。



「じゃあ、シィアと一緒だね」

「ん?」

「シィアのおとうさんとおかあさんもそうだったから」

「ああ…」



 シィアの本心からの言葉だったのにトーリの眉は下がったままで、ほんのり苦い笑顔を浮かべ「そうだね…」と頷いた。






 

  〜 波立つ行く手〜  終 






**






 ――そして。



 全てが白く染まった切り立つ山々の頂上。それより上には何もなく、あるのは星々を従えた藍色の空。

 ()が久しぶりに目を開け見たのは、その藍色に幾重も折り重なった色鮮やかな幕――オーロラ。それはある()()を意味する。


 男は胸に手を当て視線を伏せる。口元にはうっすらと笑みを浮かべて。



「…百二十年振りか…」



 静かに零したあとに上げた瞳は星々を映すこともなく、ただ黒く暗く光を持たない。

 


「さぁ、お前たちは、…世界は、どう動く?」



 口角をあげ楽しげに語る男の声は、だけど雪に閉ざされたこの場所と同じくらいに冷たく。

 男の視線の先で揺らめくオーロラは血のような赤へと色を変えた。






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