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世界は僕らに優しくない  作者: 乃東生
〜 波立つ行く手 〜
52/52

52.転落


「足元が揺れて体勢を崩すなら、足を床につけなければいい」



 そんな無茶苦茶なグエンダルの助言に、出来るわけないと思ったけど。要するに足をつける時間を短くすればいいと分かり、シィアは飛び跳ねるように位置を変えて触手を切断してゆく。

 シィアの武器は護身用にとトーリが渡して――こんこんと注意事項の説明を受けた――くれた、アダラインという硬い金属で作られたナイフ。切れ味は抜群だ。

 そして戦闘経験など大してなくてもこれぐらいこなせるのはやはり獣人だからだろう。



「見ろよ、あの身体能力…」

「獣人ってのはバケモンだな。それにあの嬢ちゃんも」

「あの子も獣人だろうよ、耳も尻尾もあるし。何よりさっきの狼獣人の無茶なアドバイスを受けてからの動きは並じゃねえ」

「…まあ俺たちは無難に行こうぜ」

「だな」



 船にはカリブディス対策のために雇われた人たちや報酬目当ての傭兵たちがいて。甲板で同じように戦ってる彼らの声を耳に捉え、ちゃんと獣人であると認められてるとシィアは気分を良くする。



「シィア、慣れてきたからって気を抜くなよ」

「わかってるよ」 



 グエンダルが近づいてきて言う。

 確かに、キリがないこの攻防に辟易してきた感はある。けれどトーリに言われたのだ『時間を稼いでくれ』と。

 だから切っても切っても再生するこの触手と戦うのは当然。


 それでも、減らない触手にため息が出るのはしょうがない。

 グエンダルが短く舌を打つ。



「ホントにうっとしいなこいつら! ――で、あいつはマジで何とかするんだよな、シィア」

「トーリのこと?」

「他に誰がいる」

「トーリの言葉は嘘じゃなかったし」

「まあ、何とかするんだろうが、遅えよ」


「遅くて悪かったな」



 待ちかねた声が背後から降りシィアはバッと振り向く。



「トーリ!」

「ごめん、待たせたねシィア、怪我はない?」

「全然へいき!」

「やっとかよ、待ちくたびれて全部殺っちまうとこだったぞ。…それで上手くいったのか?」



 軽口を叩くグエンダルにトーリは不敵に笑ってみせる。



「もう動いてもらってるさ」

「…もう?」



 怪訝な顔をしたシィアはふと潮の匂いに紛れた、また別の匂いに鼻をひくつかせ。ついでに、さっきまで活発に動いていた触手たちがその場で動きを止め震えているのを見た。

 グエンダルが鼻先を海へと向けスンと鳴らす。


 

「油か…? 海に油を流したのか?」

「ああ、食料用から燃料用までありとあらゆる油を投入してもらった」

「何で油なんて…」



 触手の動きが止まったことにこれ幸いと手すりに寄りカリブディスがいた水面を見下ろすと、暗い水面ではそこに油が浮いてるかどうかなどわかないがより一層油の匂いが強くなった。

 その中で、カリブディスの丸い円が波打つように動く様は苦しがってるようにも見える。シィアは振り返りトーリに尋ねた。



「油が弱点なの?」

「んー、油が、ってことはないかな」

「じゃあ何で?」

「そうだな…、シィアはクラゲって生物を知ってる?」

「クラゲ? …うんん」



 シィアが首を振るとトーリは「だろうね」と頷き言う。



「クラゲはね体を構成する大半が水分から出来てるんだよ。そして触手や毒針を持つ生物だ」

「水…」



 思い浮かべたのは先ほどの切り落とされた触手。確かに体から水が染み出ていた。

 シィアが思い至ったことがわかったのかトーリはまたひとつ頷く。

 

 

「おそらくカリブディスはクラゲに近いものなんだと思う。体の大半が水分だからか周りにある水の変化に弱いんだ、水温とか水質とか。凍らすのは流石に何人もの魔術師が必要だけど、逆はそれほど難しくはないからね」

 


 逆、と言ったその意味は。船は静かに、そしてゆっくりとカリブディスから離れて行き、その軌跡を遡るように赤い線が海を走る。そしてたどり着いた先で、カリブディスを囲むように炎の柱があがった。


  

「―――、―――」



 声にならない音が空気を揺らす。それはカリブディスの悲鳴。立ち上がる炎の中で、本体へと戻った触手が助けを求めるように空を掻く。


 手すりからそんな光景を覗き込み興奮に耳をピンと立てたシィア、そのすぐ後ろで声がした。



「…やったぞ、ハハ、助かった! これで無事に帰れる!」



 共に戦った男たちからではなく、小綺麗な服を着た男からの陶然とした声。あのダンドルと名乗った男だ。まだ終ったわけではないのに何をしに出て来たのか。

 同じことを思ったのだろう、傭兵の男が見兼ねたように言う。



「おいアンタ、まだ安全とは言えねぇ。中に戻った方がいいぞ」

「――は? それは私に言ってるのか?平民の分際で」

「いや、そういうことを言ってる場合じゃ…、」

「うるさいぞ、お前! もう勝負はついてるだろう。見ろ、もう虫の息だ。それにこいつは皆んなを苦しめた怪物だぞ、最期を見届けないでどうする!」

「いや…」



 別にこの男が見届ける必要はない。と、甲板にいる全員が思った。

 グエンダルが苛立たしげな息を吐き、トーリが仕方ないとため息をつく。そうして二人が動き出そうとした時、再び空気が揺れた。


 カリブディスの断末魔の藻掻きが海を大きく揺らして同じく船も傾く。シィアはとっさに手すりに掴まり難を逃れ、他の皆んなも床に伏せたり何かに掴まったりと自ら対処が出来た。けれど――、



「うわあぁぁっ!!」



 響いた大きな声。

 ひとり場違いだった男が体勢を崩して掴んだのは、寄りによってシィアだった。



「え?」



 男の体は手すりから外へと投げ出され、男の体重半分もないだろうシィアがその体を引き留められるはずもなく。掴まれたシィアはそのまま一緒に海へと投げ出された。



 「シィア!」と呼ぶ声が聞こえ、焦った顔のトーリとグエンダルが手を伸ばすのが見えた。けれどそれもすぐに船の側面へと変わる。



「――っ!! 」



 落ちてゆく間も男はシィアを離すことなく体勢を戻せぬままに海の中へと落ちた。


 海に大きな水柱が立つ。

 夜の海は冷たく心臓がキュッとなる。ただ幸いなことに落ちた衝撃で男とは離れることが出来た。なので慌てて水面に出ようとするが、真っ暗な水の中ではどちらが上かもわからず、ただ闇雲に手足を動かすだけ。

 力を抜けば浮上して方向もわかるだろう。けど、シィアは海に入ったのも、ましてや潜ったのも初めてだ。どうすればいいかなんてわかるはずもない。


 暴れるだけで体は浮かばず、藻掻くうちにガボッと水を飲んだ。


 ――苦しい!


 伸ばした手は縋るものもなく水を掻くだけで。元々暗い海の中の視界、すぐに意識も黒く染まってゆく。

 そしてシィアの意識はそこで途絶えた。




**




「「――シィア!!」」



 二つの声が重った。グエンダルが駆け寄り手を伸ばしたが僅かに届かず、水面へと落ちてゆくシィア。

 短く舌を打ち、すぐに手すりに足をかけたグエンダル、その背に後ろから引き止める手が伸びた。



「おおいっ、待て待て! 夜の海に飛び込んだって何も見えやしねぇよ! アンタも死ぬぞ!」

「うるせぇ!離せ!」

「誰かっ!こいつを止めろ!」

「離せっ!!」



 止める男たちを投げ飛ばし再度海に飛び込もうとするグエンダルに静かな声がかかる。



「落ち着けグエンダル、シィアなら大丈夫だ」

「は!? 何言ってんだお前!」



 トーリはシィアが落ちた場所から視線を外すことなく、軽く顎をしゃくった。



「見ろ、船が来る」

「あ? 船だぁ?」



 苛立たしげに返したグエンダルは飛び込む体勢のまま下を覗く。すると視界の端に急スピードで近づいてくる小型船がある。あんなスピードで走れるのは魔導船だろう。

 魔導船はシィアたちが落ちた辺りで止まると明るいライトを灯し数名が海へと潜った。

 装備もしっかりしているのか海の中でもライトが灯っているのを上からでも確認できる。そして程なくしてシィアの小さな体が海から引き上げられた。


 グエンダルはホッと息を吐く。だが、ダラリとした手足から意識がないように見える。



「おい…、大丈夫なのか…」



 思わず零れた声。この距離でただの人間になど届くはずはないが、魔導船の舳先に立っていた男はこちらを見上げてひとつ頷いた。

 

 同じく下を見守っていた男が小さく呟く。



「……、バティストか…」

「知り合いか?」



 その声には安堵と苦さがあり、下にいる黒い服の男は明らかにトーリを見上げて頷いていた。だから尋ねれば、



「……身内だよ」



 シィアが懐くいけ好かない男は、声と同じく苦い表情で答えた。




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