46.フラン
「危ないところだったねぇ、久しぶりのお客さん。でももう大丈夫だよ、あの熊はここには入って来れないから」
唖然とするシィアの、目の前にいる存在がそんなことを舌足らずな声で告げる。
声からするにあの光の中でシィアを呼んだ相手で、話の内容からしたら助けてくれたことになるようだ。けど。
一瞬の意識喪失のあとに気づけばここにいた。本来なら警戒すべきとこだと思うが、今のシィアには困惑しかない。
「あの…、えっと…」
困惑で零した声に、続きを待つように首を傾げた目の前の存在。頭の上に生えたピンク色のフワフワした長い耳が同じように傾き、つぶらで宝石のような赤い目が「何?」と問う。いや、実際本当に紅玉を使っているのかも。
これは紛れもなく『ぬいぐるみ』だ。
白いフリルドレスを着たピンク色のうさぎのぬいぐるみが、淡い紅色の壁に白い家具を備えた何とも可愛いらしい部屋にいる。そしてそれがしゃべっているのだ。
「……夢?」
「ん? 夢じゃないよー、現実だよ。もしかして急に移動したから驚いた? あれは転移の魔法。 助けてーって呼んだでしょ?」
「あー…、うん…?」
丁寧に説明してくれたのだがそれでも困惑は消えない。でもやっぱり助けてくれたらしい。 なので「ありがとう」と言えば「どういたしまして」と、ピンクのうさぎは笑った。
そう笑った。ぬいぐるみなのに感情も表情もある。なんだこれ?
どうしたって魔獣の類には見えないし、悪い感情も一切窺えない。
シィアをお客さんと言ったように、もてなそうとかそういった気持ちしか感じない。
ただしやはり『ぬいぐるみ』なのだ。シィアの知るぬいぐるみよりは随分と手の込んだものではあるが、やはりそこに生きているものの気配はない。
そう、それはどちらかと言えばトーリと同じ。
シィアはハッと思い出す。
そうだ、トーリがいた!
「戻らなきゃ!」
「えぇー、もう戻っちゃうの? せっかく来たのに?」
「でもトーリがいたの! 危ないかもしれない、早く戻らなきゃ!」
グエンダルがいるのだから自分が戻ったとしても意味はないと思う。でもトーリがいるのだ。
戻らないとと訴えるシィアに、思った通り「あの熊は狼がやっつけたよ」とピンクのうさぎは言う。そして。
「ねぇ、お客さんが言う『トーリ』って、白い髪の男の人?」
「…? …そうだけど」
「ふーん、そう。 今日はお客さんがいっぱいだねぇ。きっとご主人様も喜ぶよ」
「え?」
「じゃあ、招待するよー」
何のことだと問う前にピンクのうさぎはスカートを摘み優雅に膝を折った。お辞儀のような仕草だ。
すると、さっきまで何もなかった壁に扉が現れ、その扉から入って来たのは。
「――トーリ!?」
驚きの声をあげ、駆け寄るシィアを迎えてくれたのはその通りにトーリだ。匂いも気配も間違いなくトーリ、本物だ。
「え、なんでトーリもここに?」
「招いてもらったからね」
「招いて?」
「そうだよー、ここはご主人様のための部屋だもん。誰も彼もが来れるとこじゃないよ、わたしの許可がないと」
と、会話に加わってきたピンクのうさぎ。トーリはそれを見ても別段驚く様子も見せず、シィアよりもさらに小さいうさぎに合わせるように身を屈めた。
「招いてくれてありがとう。それとシィアを助けてくれたことも」
「シィア?」
ピンクのうさぎはシィアを見る。
「お客さんはシィアって言うの?」
「うん、そうだよ」
「わたしはね、フランソワーズっていうの。ご主人様がつけてくれだんだよ。でもいつもはフランて呼ばれるの。だから二人もフランて呼んでいいよ」
「それじゃあ遠慮なく、フラン、そのご主人に挨拶したいんだけど、呼んでもらえるかい?」
再び話を引き継いだトーリの声に、フランは困ったように首を傾げる。
「ご主人様は今はいないの。だいぶん前に出て行ったきりでまだ帰って来ないんだ」
「だいぶん前?」
「うんそう。うーんと前、その頃はご主人様のお友達とかお客さんがよく来てたんだけどね。今は誰も来ないよ」
「そう…。……それで、ご主人はなんて言って出て行ったか覚えるかい?」
「んーとね、皆んなが大変なことになってるから行かなきゃって。それでもし助けを呼ぶお客さんがいたら招いてあげてって。だからシィアも助けたの」
「その間に他の客は来なかった?」
「うんん、上で騒いでる人は沢山いたけどいつの間にか静かになったし、他のお客さんは誰も来なかったよ。だからシィアとトーリは久しぶりのお客さんだよ、ゆっくりしていってね」
嬉しそうに話すフラン。だけどトーリは複雑そうでいて少し悲しそうな、そんな顔でフランを見つめ小さく首を振る。
「ごめん、フラン。 僕らは戻らなきゃならないんだ」
「そんなぁ、もう帰っちゃうの…?」
フランはふわふわの耳をペタンと垂らした。
シィアたちの訪問を久しぶりと言ってた通り、ここ訪れる者は長い間いなかったのだろうと窺える。ということは、フランはその長い期間を一人で過ごしてきたということだ。
赤いきらきらとした目にも影が落ちる。
よくわからない存在ではあるけど、感情がある限り誰だって寂しさを感じるものだ。でもトーリが言うように、シィアたちは戻って旅を続けなきゃならない。
フランにつられてシィアの耳も垂れる。そのまま二人してトーリを見つめれば、気づいたトーリは眉尻を下げて困ったように笑った。
「じゃあこうしよう。もし良ければフランも来ないかい?」
「んん?」
「ここから出て、ご主人を探しにいこう」
「ご主人様を?」
フランの耳がピョンと上がり目が輝いた。
けれどすぐに耳は再び萎れ、俯いたフランは小さく首を振る。
「ダメだよ、フランはここを離れられない」
「何故?」
「フランはここを管理するために作られたんだもん。だから無理だよ」
「ああ…、そうか」
トーリは神妙に頷く。よくわからないが、要するにフランはここから離れられないってことのようだ。
「でも大丈夫だよ! 元からフランはここでご主人様を待ってたんだもん。だからこれからもずっと待ってるよ」
パッと顔を上げ、しんみりとした空気を晴らすようにフランは明るく言う。けれどトーリの顔は晴れず、さらに沈んだように見えた。そしてひとつの提案をフランに出す。
「じゃあ、眠って待つのはどうだろう?」
「ん? 眠って待つ?」
「そう。夢の中ならいつでもご主人に会えるんじゃないかな。ずっと待ってるのも暇だろ」
「…でも、そんなに上手く夢を見れるかな?」
「僕が魔法をかけてあげるよ」
「魔法を? 出来るの?」
「ああ、もちろん。だって僕はここに来れたんだよ。君のご主人と同じだ」
トーリがどういうつもりでそんな話をしたのかシィアにはわからないけれど、フランには考えるに値する提案だったようで。短い腕を器用に組んで目を閉じ「ウ~ン」と悩んでみせたあと、パチリと目を開く。
「うん、じゃあそうする。トーリ魔法をかけて」
つぶらな赤い目がトーリを見上げてきらめく。
トーリは僅かに目を細め「わかった」と頷き視線を伏せた。
寝転ぶフランの胸元に手を当てるトーリを、シィアは一歩下がって眺める。
トーリは魔力を持っているので魔法は使える人だ。だけどフランに話した魔法については嘘であると、シィアにはわかっている。トーリは一体どうするつもりなのか。
「フラン、目を閉じて」
「うん」
「そのままご主人のことを思い浮かべれるかい?」
「……うん、大丈夫、ご主人様笑ってる」
「そう…、それは良かった」
「でも、眠ってたら本当にご主人様が帰って来たときに気づかないかも…」
「大丈夫だよ、起こしてくれるさ」
「そうかな」
「そうだよ。 …じゃあそろそろ魔法をかけるよ」
トーリの声は優しく、そしてどこか悲しげで。
「おやすみ、フラン」
静かに告げたあとトーリの手のひらがポゥッと光り、フランの胸元から淡く光るピンク色の玉が浮かび上がった。
トーリはそれをもう一方の手で受け止めると、丁寧に包み込む。その柔らかな光はトーリの手の中に見えなくなった。
――と同時に、部屋の空気が変わった。
「…?」
気のせいかと思ったけど気のせいなんかじゃない。シィアは辺りに視線を巡らせ、トーリを呼んだ。
「トーリ!部屋が狭まってる!」
部屋の隅からググッと壁が迫ってきているのだ。
圧縮されてゆく空気に耳がツンとなり、シィアはペタンと耳を倒す。
このまでは押し潰されるかも! と、焦るシィアを尻目に、ゆっくりと立ち上がったトーリ。
「そうだね、この部屋はもう閉じるから、僕らも早く戻ろう」
「…え? …閉じるって?」
「管理者のフランが眠ってしまったからね」
「眠たって…」
シィアはハッとソファーに横たわるフランを見る。元々フランには生きてるものの気配はないが、その安らかな寝顔をシィアは知ってる。
「なんで!」
ぎゅっと眉を寄せシィアはトーリに詰め寄る。
「なんで、トーリ! フランはご主人を待つって言ってたのに!」
シィアを見下ろすトーリはやはり悲しげで、視線を伏せると緩く首を振った。
「待っても無理なんだよ。フランの主人は帰って来ない」
「! …なんで、 なんでそんなことを言うの!」
「シィア、この部屋はね、遺跡の地中深くにある空間なんだよ。遺跡に…、いや、遺跡とは呼ばれていなかった頃に暮らしてた人が作った。 それがフランの主人だ」
「!? でもそれじゃあ…っ」
「そう、それはもう遥か昔の過去だ。だからいくら待ってもフランが主人と会えることはないんだよ」
トーリの声は静かでいて同時に辛そうであり、シィアは何も言えなくなる。
フランはご主人が大好きで、だからこそ帰りを待ち続けた。徐々に狭くなりゆく部屋の中央、もう目を開けることのないフラン。
帰らないご主人をずっとずっと待ち続けるのと、大好きなご主人がいる夢の中で終わるのと。
トーリが選んだのは後者。どちらがいいかなんてシィアにはわからない。けれどフランの顔はとても安らかで。
だけど――、…だけど。
ただただ、悲しくてせつない。
「シィア、もう行こう」
そう言ってトーリがシィアへと手を差し出す。
「僕らまでここで眠るわけにはいかないからね。ここはフランと主人、二人だけの夢の中だから」
「……」
シィアは差し出された手をすり抜けてトーリにしがみつく。
自分ならどちらを選ぶのだろうか? そんなことを考えて大きく首を振る。
置いていかれるのも待つのも、シィアはどちらも嫌だ。
「トーリ、戻ろう」
ぎゅっとしがみついたままそう告げれば、トーリはどこかホッとした息を吐いた。




