42.シィアの反発
「トーリは魔力を集めてるの?」
「え?」
「さっきの、石に貯めた魔力って大丈夫なの?」
「…シィア?」
いつもとは違う硬く責めるようなシィアの声にトーリは目を瞬かせる。
当然トーリだってここが落し子の遺跡だというのは知ってるはずだ。なのにその呑気な態度にシィアはちょっとだけ苛ついた。
耳をぐっと後ろに倒しジッと見つめるシィアに、トーリの手のひらが向けられる。
「ちょっと待って、僕が魔力を集めるって?」
「違うの?」
「さっきのことなら、そのままにしておけないから回収しただけだよ。あくまでも副産物だ」
違うということらしい。じゃあそれならば。
「トーリは何を探しにこんな遺跡に?」
「ん? …こんな?」
「だってここは落し子が作った神殿だって聞いたよ、違う世界から来た危険な人間なんでしょっ? 」
「ちょ、シィアっ?」
「たくさんの人が死んだって、国を滅ぼしたって…。 …敵だって…、聞いたよ? そんな危ないとこなのに、トーリはなんでっ」
「……」
昂った気持ちのままに吐き出したシィアは一度大きく息を吐く。そんな様子を無言で見下ろしたトーリは、小さく静かな声を零した。
「…落し子の話は、あの狼から?」
「そうだよ、この神殿が落し子って人たちのものだって…。だから落し子って何?って」
「なるほどな…」
トーリは広げてた手をゆっくりと下ろして腰に当て、伏せた顔からは小さなため息が零れた。
その仕草は、どう見ても正より負の感情からの行動である。落胆とか失望とかで。
シィアは何か間違ったことを言っただろうか。
「トーリ?」
「………うん」
呼び掛けに返事はあったけれど続く言葉はなく。今度は深いため息が落ちた。
「うん…、ごめん、ちょっと考え事をした」
「……考え、事…?」
「ああ、いや…」
トーリが顔をあげる。いつもと同じトーリだ。
だけど、その表情が少しだけ硬く感じるのは、さっきまでのトーリの姿を見ていたからだろうか。
シィアを見つめ薄灰の瞳を少しだけ細めたトーリが口を開く。
「シィアは、初めて会った時に落し子として追われたことを覚えてるよね?」
シィアはコクリと頷く。
『落し子は脅威だ!』
『破滅を呼ぶ厄災だ!』
『国が滅ぶ前に引き渡さないと!』
町の人たちがシィアにぶつけた言葉と感情。話を聞いた今ならその気持ちもわかるが。けれど、あの時の恐怖は忘れられるものじゃない。
「彼らはシィアを落し子だと思い込み糾弾した」
「うん…」
「でも知ってるかい? シィアを糾弾した人たちは実際誰も落し子を見たことはないんだよ」
「…え?」
驚くシィアにトーリは小さく頬を歪めた。
「落し子が一番最後に現れたのは今から百二十年ほど前だよ。今を生きる普通の人が会える年数なんかじゃない。だから当然誰も見たことはないんだ。なのに、噂や伝承的なものだけでそうなんだとなってしまう」
「じゃあ、本当のことではないの?」
「……いや、完全にそうだとは言えないかな」
答えたトーリは緩く首を振る。
だったら――、とシィアは思う。けれど、トーリの様子はそんな口を挟める雰囲気でもなく。まごつく間にトーリはさらに声を重ねた。
「でもね、一面だけで全てを判断するのは早計で恐ろしいことだよ。現にシィアだって、その恐ろしさを知ってるはずだ」
「…?」
「さっき覚えてると頷いたろ?」
「あ…」
「シィアが追われたのは、皆んなと少し姿が違っていたというだけだ。その背景に落し子という存在があったとしても、シィアは何もを知らなかったし、何故追われるのかだってわからなかったよね。それなのに大勢の人がシィアを追い詰めた。それこそ偏った認識から」
トーリの声は淡々とシィアを諭す。
「考えることは大事だし、思うことも大事だ。シィアの言動も僕のことを思って言ったんだっていうのはもちろんわかる。けどそれはシィア自らが見ききし考え思ったことであればこそだよ。他人から与えられた思考でなく」
「でも、落し子がもういないなら、見ることも聞くことも出来ないよ」
でもと、不満を口にしたシィアはトーリを見上げて耳を後ろに倒す。
トーリの言いたいことはわかる。それに、一方的に向けられる悪意と増悪、様々な負の感情が渦巻く中で、トーリだけが何もなく、凪のように静かだったのを覚えている。
だけど今言ったように、それは今どうしようも出来ないことじゃないか。
ムクムクと湧いてくる感情。
シィアはただトーリが危ないかもしれないと思い言っただけだ。トーリだってそれはわかっていると言った。ならこんなにも問い詰めなくてもいいじゃないか。
それは突如に来た反抗期のようなもの。
喉の奥を小さく鳴らすシィアに気づかず、トーリはシィアの不満に答える。
「…同じだよ。落し子だろうとこの世界に生きる人間だろうと何も変わらない。知らない、わからないというだけで何もかもを否定するのはある意味傲慢なことだ。そしてここは言うように落し子たちの神を奉った場所で、彼らだって神を敬うんだよ。それもこの世界の人間と変わらない。 …シィアなら、わかるはずだよ」
この場所から悪意は感じられるか?と。
そこにはシィアへの信頼があった。だけど今のシィアには届かない。
不満に対する答えは間違っていないけれど、それはシィアの不満を解消する答えではなく。
止まらない衝動がシィアの口を衝く。
「…わからない…っ」
「え?」
「そんなのわからないよっ!」
「シィア?」
急に気色ばんだシィアにトーリは驚いた顔を向ける。
トーリを心配したからのことであったはずなのに、そのトーリへと不満をぶつけている。完全に理不尽な癇癪。でも止められない。
「シィアにはわからないし、勝手にシィアをわかったように言うトーリなんて嫌いだ!」
「…シィア…」
トーリの顔が驚いたものから困ったような寂しげなものに変わる。
こんなことを言いたかったわけじゃない。
トーリを嫌いになるはずなんてない。
でも止められない。だったら――、
「…先に戻る」
「シィア?」
「火の用意しないと」
「じゃあ一緒に、」
「――いいっ! 一人で行けるからっ」
トーリの声を遮り、シィアは身を翻した。
シィアの名を呼ぶ声を振り切って。
**
舞台の方まで追いかけたが、シィアの姿は既に見えなかった。その身軽さは流石獣人と言おうか。
そして代わりに、舞台の手すりの上にはもうひとりの獣人が陣取っていて、慌てて出て来たトーリを見て鼻面にシワを寄せる。
「おい人間、シィアが泣きそうな顔で出て行ったぞ。お前何かしたか?」
「泣きそうな? シィアが?」
「ああ、眉をハの字にして凄い勢いで駆けて行った」
「……そうか…」
「いやだから何かしたのかって聞いてんだよっ」
「…うるさいな…」
考え事の邪魔をするグエンダルにトーリは冷たい視線を向ける。
「それより、シィアを引き止めずに一人で行かせたのか?」
「馬鹿言え、止める間もなかったんだ。それにこの遺跡くらいの範囲ならどこに居てもシィアの気配は感じれる」
人間とは違ってな、と鼻を鳴らすグエンダル。それに関しては正直少し羨ましいとは思う。
だけど、気配を感じ取れたとしてもシィアの今の気持ちまでは読み取れないだろう。
視線を落とし嘆息する。人の感情に敏感なゆえに偽りや嘘を読み取れる、それはシィア特有の力。
表には出さないようにしていたはずだけど、今さっきの会話の中で何かを感じ取ってしまったのだろうか。
トーリはもう一度深く息を吐き出す。
でも、それもこれも、シィアに余計なことを言った奴が悪い。
視線をあげてその元凶を睨むと、グエンダルは今までと打って変わって獣人らしい鋭い目でトーリを見返した。
「なあ人間、お前さ、なんか変だよな」
「…は…?」
「気配が薄いんだよ。あり得ないくらいな」
「……」
本能か勘か。やはり獣人。
急にそんなことを言い出したグエンダルからトーリは自然を装い視線をそらす。
「…気のせいだろ。それかお前の獣人としての素質が無いか」
「は!?」
「気配も読み取れないなんて」
そう言って両手をあげて首を振ってみせると、ブワリと殺気のようなものがこちらへと向けられる。
「言っとくけどなっ、シィアが懐いてるようだから見逃してるんだぞ! もしお前がシィアに嫌われたら…、――わかってるよな?」
「嫌われたら、だろ」
「……チッ!」
盛大な舌打ちをしたあと、グエンダルは手すりから森へと大きく跳ねて駆けてゆく。その速さは流石だ。
そしてトーリは。
「嫌われたら、か…」
同じ言葉をもう一度繰り返し、ため息と共に肩を落とす。
自分で言っておいてなんだが、今は正直自信はない。なんせ『嫌い』と言われてしまったから。
肩を落としたまま取りあえず放ってきた荷物を取りに戻る。
けれどシィアに嫌いだと言われたことが随分と堪えているようで足取りは大層重かった。




