4.獣人の子
「うわっ! こっちに来たぞ!」
「早く逃げろ!」
周囲が恐怖と焦りで慌てふためく中、勢いよく飛びついてきたものに体当たりされトーリは少しだけよろめく。そして体勢を元に戻し見下ろせば、こちらのジャケットに隠れるようにしがみつき震える体があった。
砂色の髪の上に生えた大きな三角の耳はペタンと後ろに伏せられ、上着の隙間から垂れる、髪と同色の尻尾は今は萎んでいる。その姿は完全に怯えきった動物の子だ。
軽いため息を零したトーリに、焦った声が飛ぶ。
「トーリ先生! 早くそいつから離れろ!そいつは危険な落し子だ、何をするかわからない!」
「そうだぞ先生! 先日、マルノーはそいつに傷つけられたんだ、――なぁ、マルノー?」
「ああそうだ! そいつは危険だ!」
最後に加わった男の声に貼り付いている体が一瞬ビクリと揺れた。
トーリは下げていた視線をあげ、硬い表情を並べる男たちを見渡す。
「うーん…、危険で、何をするかわからない…ね」
どちらかと言えばのんびりとした口調のトーリとは対照的に、周りでは気色ばった声が飛び交う。
「落し子は脅威だ!」
「破滅を呼ぶ厄災だ!」
「国が滅ぶ前に引き渡さないと!」
「役人どもはまだか!」
「そうだ、丁度いい! 先生、そいつを掴まえといてくれ、捕縛器を持ってくる!」
高まる喧騒に、再び小さな背が跳ねて、トーリは大丈夫だというようにその背をトントンと叩く。そしてもう一度小さく息を吐くと口を開いた。
「皆んな大変盛り上がってるとこ悪いけど、この子は落し子ではないよ」
決して大きくはないけれど落ち着いたその声は、騒音のような他の声の中で逆によく響いた。
周囲のざわめきが波のように引く。
「…は? …先生、今なんて?」
「うん、落し子ではないって言ったんだ」
「いやだって、こんな変わった姿は落し子でしか…」
「そこが皆んな少し勘違いしてるんだけど。落し子は別に変わった姿をしてるわけじゃない。むしろ人でしかない。でも姿を変えれる術はもっていて――」
「じゃあコイツがそうだろ」
「いや、この子はただの獣人の子だよ」
「「「――は?」」」
大勢の声が見事に揃った。その中から代表して声をあげたのは、案内のために港から共に来た荷揚げ人のジルバだ。
「いや、先生。流石に他国との付き合いがあまりないこの国だって獣人の姿は知ってるぞ。彼らは体付きは俺たちと大概変わらないが、顔は完全に獣の顔だ。こんな中途半端な姿じゃない。これはアレだろ? 落し子たちが好んだ『ケモミミ』だとか『シッポ』だとかそういうのだろ」
そのジルバの言葉にトーリは呆れたように少しだけ眉をあげた。
「そんな微妙なことは広がってるのか…。でもジルバさん、この子は本当に獣人なんだ。獣人と、人間の間に出来た子だ」
ザワリと周囲に動揺が走る。
「――えっ、…や、でも、獣人と人間とでは子は出来ないって…」
「可能性がないわけじゃない。現に僕は他の国で何人かこの子と同じような姿の人に会ったことがあるからね」
しがみつく獣人の子の耳がいつの間にかピンと立っている。
こちらの話を聞き漏らすまいというようすにトーリは口元を緩めた。
「僕が会った彼らは皆んなとても優秀で思慮深く他の人たちとも良い関係を築いていた。だからこの子は別に脅威でもないし厄災でもない。ましてや落し子でもない。誰がどう見たってただの小さな子供だ」
「だけど俺はこいつに傷を負わされたぞ!」
そんな声をあげたのは先ほどのマルノーと呼ばれた男。なるほど、右手に包帯が見える。だけどだ。
「子供だって追い詰められれば反撃もする。獣人は爪が鋭いから大方それが当たりでもしたんでしょう」
「いや、だがっ」
「それじゃあ聞くけど、その傷を付けられた時の状況は? 貴方は全く何の咎もないと?」
「――そ、それは…」
簡単に同調を得られるとでも思ってたのだろう。言い返され言葉に詰まる男に冷たい一瞥を残してからトーリはぐるりと周りを見やった。
「ということで、皆さんわかってもらえましたか? この子が落し子ではないって」
「あー…、先生がそう言うなら…?」
「いやだがしかし…」
「おい、どうする…?」
後一押しといったとこか。ならばもう少し――と、続けようとしたところで、別の場所から援護の声が入った。
「その男の言う通りだ。それは落し子ではない」
人垣を割ってやって来たのは黒い制服を着た黒髪黒目の、厳しい顔をしたいかにも軍人というような男。
その風貌に似合った低い声は、トーリにしがみつく小さな体にも周りを取り囲んでいた町の人たちにも同様の効果をもたらした。
ビクッと身を竦め皆んな一様に押し黙る中、男は周りに目を向けることなくトーリだけを視線に止めて近づいてくる。
目の前で足が止められた。
前に会った時よりも一回り大きくなったように感じる体躯。だけどそうそう身長が伸びる歳でもないだろうから、さらに鍛えられ厚みが増したということか。トーリなど一捻りで倒されそうだ。
「やあ、お久しぶりですね、バティスト中尉」
「今は大尉だ」
「昇進ですか、おめでとうございます」
「………あんたは、本当に変わらないんだな」
黒い目が鋭く細められ、それにトーリは緩く微笑む。白っぽい色彩のトーリと黒でかためられたバティスト。対照的な二人は暫し無言で見つめ合う。
先に目を逸らしたのは制服の男。
黒い目がトーリの胸元へと降りると、見えてないだろうに三角の耳がペタンと伏せられさらにぎゅっとしがみつかれた。バティストの眉が寄り、トーリは「おや?」と目を開く。
だけど直ぐにそれも逸らされ、ひと呼吸置き、踵を返したバティストの前方からは、同じ制服の男たちとこの国の役人らしき男たちが急いだ様子でやって来た。
「隊長!」
「…はぁ、はぁ…、あの大尉様、どうなりましたか…?」
「誤報だ」
「え?」
「落し子はいない、居たのは獣人の子供だ」
「えっと、それは…」
「引き揚げる」
「――はっ」
部下たちはバティストの言葉に異を唱えることなくその意思に従ったが、役人たちは困惑気味で顔色も悪く。焦ったようにバティストを呼び止める。
「あ、あの、大尉様!」
「脅威はなくなった。他に何か?」
「あ、いえ、そうではないのですが…」
「ああ…なるほど。別に誤報であろうともどこにも咎がいくことはない。もちろん貴殿らの国に責を求めることもないので安心していい」
「――あ、ありがとうございます!大尉様!」
その読みは正解だったようで、急に顔色を良くした役人にバティストは視線で軽く頷くと、もう一度トーリの方を見た。
おそらく、何か言おうとしたのだと思う。が、途中で気持ちを変えたのか結局何も言わずに背を向け去っていった。
「…あの軍人は?」
集まっていた人々が役人の声でバラバラと解散してゆく中、トーリの側へと来たジルバが言う。
「トーリ先生の顔見知りそうだけど」
「ええ、昔からの知り合いというか…、大尉はログニアの軍人なんだ」
「えっ、あの帝国の」
「そう帝国の、確か特殊対策部隊みたいな名前のとこにいたと思う。いわゆる対『落し子』的な」
「うへぇ、だから偉そうなのか」
いや、偉そうなのはもっと昔からだから、とは言わずにおく。
そして今話したログニア帝国は、海を隔てこの大陸の北に位置する広大なガレーア大陸の西側ほぼ半分を占める大国である。この国など帝国の二十の一にも満たないだろう。
世界に影響を及ぼせるだろう大国、その軍人なのだから偉そうでも間違いはない。
「で、どうする?」
とは、ジルバ。視線はトーリの腕の中に固定されている。
「どうしましょう?」
トーリも苦笑いを浮かべながら視線を下げる。
緊張がピークに達したのか獣人の子は意識を失ってしまった。だけどジャケットを掴む手は放されることなく。なので今はトーリの腕の中にいる。
やっと確認出来た顔はとてもあどけなく、こんな素顔を見れば誰もこの子を脅威などとは思わないだろう。
何か夢でも見ているのか、頭を擦り寄せたと思ったら口の端がきゅっとあがる。
「……可愛いな」
「……ですね」
思わずつられてこちらも頬が緩む――を通り越してニヤけてそうだ。
あと、「『ケモミミ』の重要性がわかった気がする…」とのジルバの声は聞かなかったことにした。




