38.不審な訪問者
「トーリ、ティタの実も買う?」
「ああ。それと黒パンも増やしておこう」
「干し肉も少ないよ」
「うーん、まあそれは最悪コルガルで調達するかな」
ダブランテシュの町まで馬車で移動して、そこから南に歩いて五日。目的地であるコルガルの森の一番近くにある小さな町で野営のために必要なのもの買い足す。
まあ主に日持ちする食料ではあるが。
そして現在シィアはフードを被ってはいない。なので耳と尻尾はそのままの状態で、寄る場所全てで好奇の眼差しを向けられた。
時にはあからさまな嫌悪を向けられることもある。そう、こんなふうに。
「俺は人間相手にしか商売はしねぇんだ。兄さん、あんただけならいいが、その獣人もどきがいる限り物は売れねぇな」
露店の店主はシィアを指差しそう言い放つと、対面していたトーリの周り空気がぐっと冷えた。
「へぇ…、随分おもしろいこと言うね。そちらこそ自分が人間だとでも?」
「――なっ!? 俺はれっきとした人間だぞ!」
「あれ? そうなんだ。よく喋るコピモンキーかと」
「おいっ!!」
「まあこんな人間もどきの店でわざわざ買う必要もないか。行こう、シィア」
顔を赤らめ喚く店主を冷めた目で一瞥してトーリはシィアを促す。トーリは基本優しいが時折とても辛辣になる。
ちなみにコピモンキーとは、人の声真似をする頭頂部の毛がない赤顔の猿だ。特徴的なのでシィアでも知っている。
そして、言ってはなんだが確かに店主に似ている。
シィアはトーリを見上げた。
「トーリ、シィアあんなの気にしないよ」
店主の言葉などシィアは気にしていない。だってシィアがこの姿であることは今さら変えられるものではないから。それこそ生まれ変わらない限り無理だ。
それにこれまでの旅の中で、そのままのシィアを受け入れてくれる人たちはちゃんといることも知った。だからもういい。
「どうでもいい人に何言われたって痛くも痒くもない」
それは本心。強がりでもなんでもなく今のシィアは心の底からそう思う。
トーリはシィアを見下ろすと眉尻を下げ緩く笑った。
「シィアは随分と強くなったね」
「…? シィア強い?」
「ああ、とても。 シィアの世界が広がったってことだね」
「シィアの、世界…?」
「色んなことを知って覚えて、知識が増えると見えている世界も広がっていくんだ」
「それがシィアの世界?」
「そうだよ。そこで得られる知識や経験は力になる」
「じゃあもっともっと強くなれる?」
「ああ」
シィアが強くなればトーリの負担は減るし、役に立つことも増えるはずだ。
徐々に目を輝かせ耳をピンと立てたシィア。だけど実際はトーリの肯定こそがシィアを一番強くさせる。
「まあそれはそれで少し寂しいのだけど」
トーリの苦笑混じりに呟いた声は浮かれたシィアの耳には入らなかった。
**
コルガルの森はブラティバルと隣国二つに跨る大森林で、未だ手つかずの部分が多い未開の森だ。
というのも、コルガルの森は魔獣が多いのだと、その森の始まりにてトーリは言う。
「森林神殿はブラティバル側にあって、そこまでの道は比較的 人の手が入ってるんだよ。一応魔獣避けが設置されてるしね」
「じゃあ大丈夫だね」
「そうとも限らない」
「え?」
「あくまでも一応だから。そこから零れる魔獣もいるんだよ」
「えぇー…」
魔獣、魔力を持った獣。その怖さをシィアは知っている。簡単に攻略出来るものではないとも。
ぎゅっと顔をしかめたシィアにトーリは言う。
「まあ深いところに踏み込まない限りはそんなに強い魔獣は出て来ないとは思う。だから取りあえず魔獣避けの香を焚こうと思う」
「魔獣避けのこう?」
「香りだね。魔獣の嫌がる匂いをさせるんだ。だけど…」
トーリが言い淀んだ理由はすぐにわかった。それは獣人の鼻であり、嗅覚。獣人は人間よりも格段に鼻が利く。
「シィアには正直ちょっとキツいかも」
「じゃあ布で鼻を覆うとか」
「いや、ちゃんとした匂いを防ぐマスクはあるんだよ」
でも見た目がね――と、トーリが荷物の中から取り出したのは、鼻と口を覆うサイズの、浅いボールのような形をしたもので、その両横に突起物がついている。
「この突起部分に魔石を使ったフィルターが入ってるんだ。それが匂いを吸収する。不格好だし割りと仰々しいだろ?」
「………、…カッコいい…」
「え?」
ジッと凝視したあとに呟いたシィアの声にトーリは驚いた顔をする。
でもだ、これは前にトーリが着けていた暗視ゴーグルと通ずるものがある。シィアはあれも実はカッコいいと思っていたのだ。
何故か少し残念そうな眼差しでシィアを眺め、「シィアがいいならそれでいいけど…」と零すトーリから嬉々としてマスクを受け取る。横にバンドがついていて頭の後ろで留める仕様のようだ。
シィアがいそいそとマスクを装着しているのを横目で見て、トーリは香を焚くための香炉を取り出す。
ぶら下げられるよう鎖のついた金属製の丸い香炉。パカンと半分に開けられ、そこに魔獣避けの香を入れれるようになっている。
そして今度は香と火打ち棒を取り出し火をつけようとしたら――、
「それに火をつけるのは止めてくれね?」
トーリでもシィアでもない、第三者の声が割り込んだ。
「!!」
シィアは中途半端につけていたマスクを外し声の方へと振り向くと、そこにいたのは真っ黒な狼。……いや、黒い服を来た、黒毛の狼獣人だ。
マスクをしていて鼻が利かなかったとは言え耳は塞いではいない。それでも全く気配を感じなかった。
不意な登場人物に、耳を倒し警戒するシィア。その側へと寄ったトーリが静かに口を開く。
「…急に何を?」
「いや、だからその魔獣避けの香を焚くのは止めてくれって話」
さらっととそんなことを言う狼獣人にトーリは小さく眉を寄せる。
「君…、バインガレエズの一員だよな」
「えっ! オレのこと知ってんの!?」
「知ってるというか、この前ナドレーにいただろ?」
「あー…、…ああ。…なんだぁ、顔が知られるくらい有名になったのかと思ったのに」
( ……何だろう、この獣人。しかもバインガレエズの人? )
トーリが言うのだからそうなのだろう。
でも何でここに? 急に肩を落とし何かブツブツと呟く黒毛の狼獣人をシィアは怪訝な顔で眺める。前まではとても興味があった獣人の存在だが、今はちょっと苦い感情を覚えてしまう。
一通り愚痴らしきものを零して満足したのか狼獣人は顔をあげ、褐色の目がシィアを捉えて少しだけ細められる。そこには負の感情は見られず、どちかと言えば好意さえも感じられるが、それを上回るほどの『興味』がその瞳にはありありと浮かんでいて。
シィアが思わずトーリの背に隠れると大きな手がふわりと頭を撫でた。
見上げた先には小さく頷くトーリ。言葉などなくてもそれだけで色んなことが大丈夫だと思える。
なので再び視線を戻したら、今度は何故か不服そうな顔でこちらを見つめる狼獣人。
「あんた人間のクセに獣人と仲良すぎじゃね?」
「? …いや別に仲良くしちゃいけないって決まりはないだろ」
「でもよー、シィアは獣人なんだからオレと仲良くするべきだろう」
「は?」
「え?」
トーリは低くシィアは高く、驚きの声をあげる。
仲良くする云々は意味がわからないのでさておき、この獣人はシィアの名を口にした。
シィアは警戒を少し戻し尋ねる。
「なんでシィアの名前を?」
「そりゃあ獣人なんだから幾らでも呼んでる声が聞こえるだろ。それにナドレーでも聞いてたわけだし」
「あ…、…いやでも、それって、」
ついてきたってことにならないか?
シィアの疑惑の眼差しを受け、狼獣人はカラッと答える。
「そうだよ、オレはシィアに会うために来たんだ」
「え?」
「――は?」
先ほどと同じ声を二人は零すけれど、今度のトーリの声は驚きというよりは。
ハアと、吐き出すようなため息がトーリの口から零れる。
「急にしゃしゃり出て来て何わけのわからないことを…。…それで、もうシィアに会ったんだから用事は済んだろ。僕らは先を急ぐんだ、お前に構ってる時間はない。――さ、シィアもう一度マスクをつけて」
「え、あ、うん…」
いつもより早口で話すトーリに急かされたように頷くシィア。手に持ったマスクを再びあてがい、トーリは火打ち棒を手にした。
やはり慌てる狼獣人。
「ちょっ、だから待てって!」
「なんで待つ必要が?」
「その香りは獣人にはキツいんだよ!」
「知ってるさ。嫌ならさっさと離れればいい」
「いや、だから、」
「それにシィアにはマスクを渡してるから問題ない」
「いや…っ、……――あっ、でも服とかそういうのについた匂いはなかなか取れねえぞ!」
「……」
それはその通りだったようでトーリはぐっと眉を寄せて黙る。狼獣人はそこを突きどころと踏んだのか、ここぞとばかりにさらに言葉を重ねた。
「だから、そんな香を焚かなくてもオレがついてってやるよ!」
「……………は?」
三度目の、一番低い声がトーリの口から零れた。




