36.結果と結末
無力感に蹲りそうになったシィア。その背を、これまで静観していたトーリが支える。
「大丈夫だよ、シィアの言いたいことはちゃんと伝わったから」
「でもっ!」
大きく声をあげて直ぐに眉を寄せる。
( ……でも… )
こちらを見つめるパスクルの目はまだ赤く濁ったままで、伝えたかった相手にはこれっぽっちも届いてはいない。
きゅっと強く唇を噛み締めたシィアに、トーリは緩く首を振る。
「残念だけど、最初から聞く気のない者にはどれだけ言葉を重ねても届きはしないよ」
「だけどっ、…それでも…っ」
「それと、僕は少し怒ってるんだ」
「えっ?」
唐突に零された言葉にシィアは驚く。
その驚いている間にトーリはシィアをウェルネスカの方へと押しつけ、そのまま前へと出た。
( ……え…? 怒ってる? …怒ってるって… )
シィアが何かしてしまっただろうか?
今回の件に関しては心当たりがあり過ぎる。
トーリの背中を見つめ思わず顔を青くさせるシィアに、ウェルネスカがトントンと肩を叩き緩い苦笑いを浮かべた。
「大丈夫だ、あいつの怒りはシィアにではないから」
「え…、でも…」
「身内に対して感情的になるのは別に少年に限ったことではないよ」
「…?」
「要するにシィアに落ち度はないってことだ」
よくわからないままにウェルネスカが指差す方を見る。そちらには当然トーリがいて、トーリはパスクルと向き合っている。
そのパスクルが、何故か少し怯えた顔をしたのがシィアには不思議だった。
パスクルを見据えたままトーリが口を開く。
「君がここにいるってことは、シィアと父親の居場所がわかってたってことだ」
「………何のことかわからない」
「それに何か思い出したら連絡を、って言ったよね?」
「………知らないよ、そんなの…っ」
「またか。…知らない、わからない、君はそればかりだな」
パスクルと話すトーリの声は淡々としているがいつもより低く、そこには静かで強い感情が窺える。
シィアは首を傾げる。トーリが怒っている。それはパスクルに対して。
「なんで…?」
「そりゃーそうだろ。あの少年が父親を大事に思うように、トーリもシィアを大事に思ってるってことだ。そのシィアに対してあの態度はない」
シィアの零した声に答えたのはウェルネスカだ。そしてあの態度とはたぶん先ほどまでのシィアとパスクルのやり取り。
シィアにとっては失望、トーリからすれば憤り。黙って聞いてはいたがずっと不満を感じていたらしい。
「『仕方ない』って言葉で片付けるなら君の父親の現状だって仕方ないものだね」
「父さんは――! ……父さんは…っ」
「そう、君があの時の父親を止めていれば、それか僕らに居場所を教えていれば。…もしかしたらバインガレエズの粛正もなかったかもしれない」
「…っ」
「まあ、それこそ今さらな話しだけどね。それに実際それが罪の結果であって、それを実行したのは自分たちが呼んだ傭兵部隊だ。決してシィアのせいじゃない。君だってわかってるはずだ」
「……」
パスクルの無言を冷ややかな目で流し、トーリはひとつため息を吐いたあと続けた。
「寧ろ君はシィアに感謝すべきだ」
「……感謝?」
「今、君の父親の命を繋ぎ止めているのはその胸にあるアミュレットのおかげだ」
「アミュレット…?」
パスクルが邪魔するせいで立ち止まったままの担架の上、ロブレンの胸元にパスクルの視線が向く。
「その石の色を見て何か思うことはないか?」
効果が発揮されているのか金緑に淡く光る石。トーリのその声にパスクルは最初怪訝に眉をひそめたが、徐々に目を見開きバッとシィアの方を向いた。
視線が合う。だけどシィアはどういった顔をすればいいかわからずにウェルネスカの後ろへと隠れ、見えなくなった視界の向こう、トーリの声がする。
「現状、そのアミュレットで命を維持してるだけで一時しのぎに過ぎない。だから早く医者に見せた方がいい」
「………、…シィアに…」
「今現在君がシィアに言えることはないよ。君はまず、自分自身のこととしっかり向き合うべきだ。全てはそれからだ」
「……でも…」
「さあ、もう行ってください」
最後の声は担架を担ぐ人たちに向けてのものだろう。重さのある足音が遠ざかり、しばらくして、小さな足音がこちらに躊躇いを残しながらも続いた。
「……いいのか? 一時しのぎが本当に一時しのぎでしかないって言わなくて」
「どうせ医者が話すだろ」
「お前…割りと怒ってるよな? あのアミュレットを取られたせいか」
「馬鹿言え、そこまで意地汚くは――…シィア?」
二人の会話の途中、ウェルネスカの後ろから進み出たシィアは足音が遠ざかって行った方へと向き、その背にトーリが声を掛ける。
――が返事は返らない。
「シィア?」
再びのトーリの呼び掛けにやはりシィアは振り返らず。少しして、小さな背中からくぐもった声が零れた。
「…シィア、もうフードを被るのやめる」
「ん?」
「獣人…なこと、隠さないよ」
「ああ…。 ……うん、そうか」
「もし…、隠してなかったら、ホントの…、ちゃんとした友達になれたのかな」
「さあ、どうだろう。 状況はあまり変わらないとは思うよ」
「おい、トーリ…」
身も蓋もない回答にウェルネスカがたしなめる声を出すけど、トーリの言うことは間違いじゃない。隠していようといまいと、シィアが真実人間の子供でなかった限り、行き着く結果は同じだったとシィアも思う。
それでも、隠したことの罪悪感はどうしたって消えない。それならばいっそ隠さない方がいい。たとえ好奇の目で見られたとしてもだ。
それに、今はありのままでも大丈夫だと思わせてくれる人たちもいる。
だから、大丈夫。
( ――でも…、……でも… )
ただ一つ、残念に思うこと。
それは初めて出来たと思った友達が、シィアの独りよがりでしかなかったこと。……それだけ。
足元にポタリと落ちた雫に、慌てて顔を上にあげる。さっきまでハッキリと見えていた星たちはぼやけ、グイと目元を拭ったシィアの背に柔らかな声が降る。――シィアと。
「シィア」
「……」
「別に悲しい時は悲しい、悔しい時は悔しい、それを口に出したって態度に出したって誰もシィアを咎めはしないよ」
「……、別に悲しくなんて…」
「うん、そういう我慢は大人になってからでいい。だから子供のうちは泣いたって喚いたっていいんだ」
シィアを慰めるトーリの言葉。トーリの中ではやはりシィアは随分と子供だと思われてるようだ。
「………シィア、トーリが思ってるより子供じゃないよ」
「――え?」
零した声はさらにくぐもり小さくて。聞き逃したトーリに振り返ったシィアは勢いよく飛びつく。
それも難なく受け止めたトーリの腕の中で、子供じゃないと言ったシィアは子供のようにむせび泣いた。
悲しかった。寂しかった。悔しかった。
友達になれたと思った。けれど裏切られた。全部がシィアの一方通行でしかなかった。
届かない。伝わらない。嫌われた。嫌われたくない。悲しい。寂しい。心が痛い。
声を詰まらせ喉を詰まらせ途切れ途切れに訴えるシィアに、トーリは静かに頷き背を撫でてくれた。
**
星が瞬く宵空に響くその遠吠えは、仲間を呼ぶためのものであまり大きくはない。
砂色の狼が発した遠吠えに程なくして、灰色の毛を持つ狼の獣人が一人、建物の屋根間を跳ぶようにやって来た。
「なんだワイズ、まだ獣化を解かないのか?」
ワイズ――と呼ばれた砂色の狼は、灰毛の狼獣人を金色の目で一瞥すると直ぐに視線を元へと戻し小さく唸った。
「…は、そりゃ獣化した方が感覚は鋭くなるだろうけど、他のやつと意思の疎通が出来ねえだろ。……――で、声はかけたのか?」
「…グゥ…」
「そりゃそうだ、伝わるわけねぇよ」
「……」
狼獣人の呆れた声に砂色の狼はまるで舌打ちのように低く喉を鳴らし、視線の先へ向かって鼻先を少し上にあげた、――途端、鼻面にシワが寄る。
視覚より、嗅覚と聴覚の方が優れ、尚且つ獣化によってそれはさらに鋭くなっている。
その鋭くなった感覚が拾った情報に砂色の狼は微かに狼狽する。
どうやら、泣いているらしい。
急に狼狽えだした巨大な狼に狼獣人は胡乱な目を向け、
「まさかと思うが、お前自身が動くことは出来ないからな」
と釘を刺し、砂色の狼はそれを不服として金の目を光らせ低い唸り声をあげる。
だけど狼獣人は引かない。
「お前は駄目だ。その代わり俺の息子を送る」
「……?」
「どうやら興味を惹かれたらしい」
「………」
「そんな顔するな。一応分別はわきまえてるし、戦闘能力も高い」
「……グル」
「性格? ……何とかなるだろ、たぶん」
今度は金色の目に胡乱な光が灯るが、狼にとって上からの声は絶対である。ならば自分が言い聞かせればいいかと結論づけた。
シィアたち三人から少し離れた屋根の上でのそんな会話は、流石にシィアの耳には届かない。
そしてそれが誰のことで何のことなのかなんて当然ながらわかるはずもなく。
砂色の狼は鼻の先にいる存在に届くように再び高く長い遠吠えをひとつ送ると、名残惜しさを振り払うようにブルンと巨体を揺らた。
遠吠えの声の意味、それを理解している灰毛の狼獣人の生暖かい視線を無視してワイズはその場を去る。取りあえず今は。
狼は身内を大事にする。
特に血の繋がった弟の娘であれば尚。




