35.献身と犠牲
晴れない顔のままのシィアにトーリは苦笑を浮かべもう一度と軽く頭を撫でると、今度はウェルネスカへと視線をやった。
「ウェルネスカ、通路の外に狼がいなかったか? 砂色の大きな狼だけど」
「狼? …さあ、見かけなかったぞ。けどまあ狼の獣人ならそこかしこにいるけどな。 大体、お前がバインガレエズの制止を無視して突っ込んで行くから説明に難儀したんだぞ」
しかめっ面でそう話すウェルネスカの言葉でシィアは通路の方を見る。確かにもうあの巨大な狼の姿はない。それよりも、今ウェルネスカは狼の獣人と言ったか? それに先ほどから何度も聞いた『王たる者もの』とも。
シィアはトーリの服の裾を引く。
「他にも獣人がいるの? それと、バインガレエズ…って?」
「ん? ああ…。そうだね、今はシィアの念願だった獣人たちが沢山いてるよ 」
「沢山?」
「そう。バインガレエズっていうのは傭兵部隊の呼び名なんだよ。そして彼らは全員獣人なんだ」
「傭兵部隊…。そう言えばパスクルが話してた、最強の傭兵部隊に依頼したんだって」
「パスクルが? ……なるほど…」
トーリはほんの少し苦い表情を浮かべる。そしてたぶんシィアも。
パスクルが熱く語っていた傭兵部隊によって自分の父親も粛正されるなんて。あの時のパスクルに、この結末を予測なんて当然出来なかっただろう。
複雑な気持ちで黙り込んだシィアから、トーリの視線は再びウェルネスカへと戻る。
「で、周りは今どうなってる?」
「バルド商会の奴らは全員制圧された。今はたぶん捕まってた子供らの解放や怪我人の状況を見てるところじゃないか?」
「じゃあ、この怪我人も報告してくるか」
――と、トーリは視線を下にやった。
流れ出る血は止まったとはいえ、どう見ても状態の芳しくはないロブレンへと。
ウェルネスカも当然部屋に入った時から気づいていた存在だが、その言葉に信じられないと目を見開く。
「怪我人? …生きてるのか?」
「ああ一応。アミュレットで延命中だ。血を補えば一時でも意識が戻るかもしれないから」
「おい、そのアミュレットは…」
「シィアの望みなんだよ」
「シィアの?」
ウェルネスカがこちらを見て、シィアはこくりと頷く。
よくよく考えればトーリが普通にパスクルについて話しているのはおかしなこと。だけど、ウェルネスカと一緒ならそういうことだ。そしてロブレンと会ったことはなくても山羊の獣人ということからその先は察せただろう。
どれに対してのものかわからない、呆れを含んだ小さなため息を吐いたウェルネスカが言う。
「わかった、ちょっと人を呼んでくる」
ウェルネスカが連れてきてくれた人たちによってロブレンは担架に乗せられた。
その際そばにいた、頭の上に耳を生やしたシィアを見て少し驚いたような顔をしたがそれだけで、担架を運び部屋を出ていく彼らの後をシィアもついて出る。
倉庫のような建物は至る所が破壊され、その所々で耳と尻尾をもった男たちが見えた。たぶんそれはバインガレエズの獣人たち。だからこそシィアもあまり驚かれなかったのか。
獣人の男たちは獅子や虎や狼や豹など、屈強な体を持つ全員が肉食であるようだ。男たちはこちらを一瞥するくらいで誰も気には掛けず。
ただ、狼の獣人たちだけは違った。
彼らはシィアを見て軽く目を見開くと、スンと匂いを嗅ぐように鼻を鳴らし、今度は大きく目を見開く。
シィアは何となく居心地の悪さを覚えトーリの背に隠れた。
「シィア?」
どうした?と言うトーリの声に、どう答えてよいかわからずシィアは首を振る。
彼ら、狼獣人たちの視線は値踏みするようなものだ。
『まさか』『こいつが』『でも』『そんなはずは』
声には出されなかった声をシィアは拾う。けれどその意味はわからない。
せっかく会いたいと思っていた獣人たちなのに、シィアは彼らの目から逃れるようにトーリの背に隠れ建物の外に出た。
外はもう日が落ち暗く、空には星が瞬く。それはあれからほぼ丸一日たっているということだ。
あの夜別れたきりのパスクル。ロブレンは家にいると言っていた。ロブレンのことを早く教えてあげなくちゃならない。だけど――、
シィアの視線が徐々に下を向く。
( パスクルに、どんな顔で会えばいい? )
シィアは自分も獣人であることをパスクルに黙っていて、それはあの夜にバレた。シィアの口からでなく驚愕の出来事と共に。そしてその上でパスクルはロブレンに準じたのだ。
きっと、パスクルはシィアに会いたいとは思っていない。
( …他の誰かに頼んだ方がいいかもしれない )
胸の奥に残る痛みがそんな結論を導く。
トーリかウェルネスカに頼もう――と顔をあげると、そのパスクルがこちらへと走って来るのが見えた。
「――父さん!!」
切羽詰まった声をあげ、パスクルはロブレンが乗る担架へと駆け寄る。
「父さん!? 父さんっ! なんで…っ!?」
「おい…坊主、気持ちはわかるが今は早く病院に連れてかなきゃならないんだ」
「…っ、なんで…なんで父さんがこんなことに!?」
「いや、それを俺たちに言われてもな」
と、担架を担ぐ男たちはウェルネスカを見て。その流れからパスクルの視線がシィアの方へと向いた。
思わず固まってしまうシィア。
そのシィアを見止めたパスクルは大きく目を見開き、
「……パスクル…」
シィアの零した声に今度は顔をぐっと歪めた。
「…………せいだ…」
「え…?」
「…シィアの…っ、シィアのせいだ! シィアに…、シィア会わなければ、こんなことにはならなかったんだ!!」
「――っ…」
シィアは息を詰める。代わりに、「おい、少年――」とウェルネスカが低い声を出すが、伸びた手がきゅっと服を引く。
「…シィア…?」
眉を寄せこちらを見下ろすウェルネスカにシィアは小さく首を振る。
パスクルから届く感情――、動揺、困惑、恐怖、怒り。あきらかに死相の見える肉親。切羽詰まった、追い詰められた、心情なのだろう。
シィアは一度口元を引き絞るとパスクルを見つめ、それからゆっくりと口を開く。
「それはシィアのせいじゃないよ」
「…は」
「今度は完全な当事者だね。だからこそ言うよ、そんなのはシィアのせいじゃない」
「――っ」
『そんなの、パスクルのせいじゃないよ』
『そう言えるのはシィアが当事者ではないからだよ』
それはいつかパスクルに言って言われたこと。けれど今回はシィアも当事者だ。だからこそ、理不尽な糾弾にははっきり否と答える。
動揺したように目を見開くパスクルにシィアは続けた。
これはきっと今言わなければいけないことだ。
「シィアが居ても居なくても何れはこうなってたよ。間違ってることはいつか正される。ただ色んなきっかけが重なって今になっただけ。結局、誰かのせいだとか何かのせいだとか、そんなのは責任逃れか考えることを放棄した楽な結論で、解決で、それじゃあダメなんだよ」
誰かのせいかもしれない。何かのせいかもしれない。そしてやはり自分のせいだと思うこともある。
けれどそれならば次にどうすれば良いかを考えることが重要で。目を曇らせて真実や大切なものから顔を背けるのはダメだ。そんなことをすればそれはいつか自分の中で大きな歪みとなる。
この言葉はパスクルに向けたものでありシィア自身に向けたものでもある。
今回、シィアの行動が色んな人に迷惑をかけたのは事実。であるからこそ、そう思う。
「自分で行なった行動の結果は当然自分のせい。だから最善を、最良を、考えなきゃならない。 パスクルだってそうだよ、最初は巻き込まれたかもしれないけど、止めるチャンスはあったよね? この結果を…、こんな結末を迎える前に」
「……」
シィアが言うチャンスとは、あのシィアが捕まった夜のこと。別にシィアを助けてくれなかったことを責めてるのではない。それにあの時、パスクルはシィアへと駆けてこようとしていたのだ。
ただ、その後には繋がらなかっただけ。
パスクルはグッと唇を噛み締めて俯く。握りしめた拳が震えている。
シィアが言ったこと、言いたかったこと。ちゃんと、伝わっただろうか。
自分の考えを言葉にすることは難しい。特にシィアは閉じこもった世界でこれまで生きてきた。人との触れ合いなどおとうさんとおかあさんしかいない世界で。
それでも今回はいつもより頑張って言葉を繋げた。拙いながらもパスクルに伝わるようにって。
パスクルに、ちゃんと届いただろうか?
シィアの視線の先、体の横で握りしめられた拳と同じ震える声が返る。
「…シィアの言うことは欺瞞だ」
「……え…」
「最良? 最善? そんなの獣人が望めるはずないじゃないか。だから父さんのしたことは犯罪かもしれないけど、仕方のないことだったんだ」
「パスクル…」
「それにシィアだってそうだ。シィアの選んだ最良最善が獣人であることを隠すことだったんだろ? つまりはそういうことじゃないか」
「…っ」
「君はいいよ。簡単に隠せるし騙せる。だけど大半の獣人は獣人であることから逃れられないんだ。シィア、君とは違って」
そう言って向けられた目には行き場のない怒りが見えた。
( ――ああ…、…ああ… )
今、それを引き合いに出すのか。
心の奥にあった痛みがまた違う痛みヘと変わる。
それは冷たく寂しい痛み。ここ数日シィアの心を占領していた温かなものが凍り、ホロホロとヒビ割れ崩れてゆく。そして残ったのは、空っぽの空間。けれど心の痛みは更に増した。




