34.心の灯火
シィアは考えるより先に行動した。
開けられた檻の隙間を抜け、体を起こした狼の横を通り抜け、ロブレンの元へと駆け寄る。
「おじさん!」
シィアの呼び掛けにロブレンからの反応はない。見れば瓦礫の破片が深々と腹部に突き刺さっている。そこからドクドクと溢れる出る血、そのせいで既に意識がないのだ。
呼吸は浅く顔色は蒼白。その死相を浮かべた顔からもうきっと助からないと、おとうさんとおかあさんを見送ったシィアにはわかる。
おとうさんの時はおかあさんと二人で、そしておかあさんの時はシィアが一人で。命が消えゆく様を見送った。
人は何れ必ず死ぬ。それは仕方ないことだ。けれど。
狼が鼻先をシィアの方へと寄せ、低く喉を鳴らす。言葉が通じたわけではないが、それは「何故?」と問うている。
相変わらず狼からはシィアに向けての敵意や増悪は見えない。そして、どうしてかはわらないけど、ここまでの経緯を見るにこの狼はどうやらシィアを助けるつもりでここに来たようだ。
だからこそ、自分を捕らえていたロブレンをシィアが気にかけていることが理解出来ないのだ。
シィアは狼に向けた視線を再びロブレンへと戻す。
確かにシィアの中でもロブレンに対する印象は良くはない。でも、死んでしまえと思うほどのものでもない。
だってそんなことになればパスクルが悲しむ。そう、パスクルが一人になってしまう。
本人が自業自得で命を落とすことは仕方ないとしても、それによってパスクルが孤独で不幸せになってしまうのはおかしい。
せめて一言でも、この後を生きるパスクルに納得できる言葉を残すべきだ。
でもシィアには逝こうとする命を留める術なんて知らない。
( どうしよう… )
改めて耳を済ませば、この部屋以外でも喧騒がする。単純に考えれば、この場所に捜査か何かの手が入ったのだろう。そしてこの狼もまた然り。
つまり助けを呼ぼうにも、その相手にとってはロブレンは犯罪者側の人物となる。
それはどうかとシィアが眉を寄せていると、何かに気づいたのか狼が壊れた壁の方を見た。――と同時に、シィアの耳も聞き慣れた声を拾う。
シィアと、自分を呼ぶ声を。
「――トーリ!!」
大きく声をあげたシィアは駆け出す。
急に大きな声を出したシィアに驚き止めようと前に出た狼の巨体を飛び越えて通路へと出ると、その先に、声に気づいてこちらへと向かって来るトーリの姿を見つけた。
トーリだ! トーリはやっぱりシィアを探してくれていた!
シィアはさらに加速し勢いよく飛びつく。それを難なく受け止めたトーリは安心したようにホッと軽い息を吐いた。
「…怪我は?」
「ないよ、シィアは大丈夫――…」
そこで思い出す。トーリの登場ですっかりと頭から抜け落ちていた。慌てて体を離したシィアはトーリを見上げる。
「それよりトーリ、パスクルのおとうさんが死にそうなのっ」
「死にそう? パスクルの…父親が?」
「うんそう、こっちっ」
パスクルだとかその父親だとか、留守にしていたトーリに突然そんなことを言っても通じるはずないと通常ならわかるはずだけど、焦ってるシィアにはそこまで思考が回らず。かと言ってトーリもそれ以上問うことなく少し眉を寄せただけで。
引っ張るシィアにつられ向いた先――、壊れた壁の横には巨大な狼がいた。
「…狼…?」
「うん、よくわからないけど、シィアを助けてくれたみたい」
「狼が?」
「そう。もしかして魔獣?」
「いや、魔力を感じないから違うと思う」
「そうなんだ」
「ああ…」
微かな警戒を持ちつつ横を通り抜ける時、トーリの視線と狼の黄金色の目が合った。
覚えた既視感。それは二度目の邂逅で、トーリの眉が寄る。
シィアを助けた? 彼が自ら?
「――トーリ?」
一瞬足を止めたことでシィアが振り向き、トーリは通路に静かに佇む狼にもう一度視線を置いたが結局何も言うことはなく。小さく頭を振って、シィアに続き壊れた壁から部屋の中へと入った。
部屋にはむせるような血の匂いがしていて、先ほどよりさらに呼吸が浅く小さくなったロブレンの元へとシィアはトーリを連れてゆく。
「トーリ、シィア…パスクルのおとうさんを助けたい。うんん、助けるのはきっと無理だと思うから、せめて最後に、パスクルにおとうさんと話をさせてあげたい」
――と、トーリを仰ぎ見る。
トーリは眉を寄せシィアを見下ろすと、次にロブレンへと視線をやった。
「パスクルの父親がシィアをここに?」
「…うん…、それが仕事だからって言ってた」
「そう…。………それでも助けたいと?」
みなまで言わなくてもトーリには通じた。そしてその声には狼の問いと同じ響きがある。
でもシィアの願いはそこじゃない。
「シィアはパスクルに悲しい思いだけを抱えたまま生きてほしくないから」
今もシィアの中におとうさんとおかあさんの言葉がきちんと残っているように、置いていかれる方は灯となる言葉が必要なのだ。悲しくても寂しくてもそれがいつまでも先を照らすものとなる。
シィアの言葉にトーリは眉を寄せ「パスクルね…」と苦い声を零す。そして。
「わかった」
「トーリ?」
「確かに命救うことは無理だ。けど多少なりとも命を繋ぐことは出来ると思う」
「出来るの?」
「ああ。でもその代わりこれを使わせてもらうよ」
そう言って自らの胸元から外してシィアに見せたもの。それは自分の目の色と同じ石がついたブローチ。シィアは軽く目を見開く。
「それって…」
「うん、レンデルさんから受け取った。シィアが僕のために作ってくれたって、ありがとうシィア」
「……」
自分で渡そうと思って内緒にしてたのに…、と思ったけど、ここに来るにあたってトーリが危険な目に合わないようにとわざわざ渡してくれたのだろう。
「このアミュレットに付与された効果を使う。たぶん半日ほどは持つだろう。ただし意識が戻るかどうかはこの男次第だけど。…それでもいいかい?」
シィアではなく何故か不本意そうにそう話すトーリに了承のために頷けば、小さなため息が返った。
「元々シィアがくれたものだから、シィアがいいと言うならしょうがないか…」
やはり不本意であるらしい声を零してトーリはロブレンの横にしゃがむと、手にしたアミュレットを微かに上下する胸の辺りに留めた。
シィアの目の色と同じ石が金緑に淡く光り、程なくして腹部からの出血は止まった。
「終わったよ、僕らが出来るのはここまでだ」
「うん…」
立ち上がったトーリの横で僅かながら顔色が戻ったように見えるロブレンを見下ろす。けれど当然ながら意識は戻らず、シィアが眉を寄せていると、離れた場所でトーリを探す声が聞こえた。――ウェルネスカの声だ。
「ウェルネスカ、こっちだ」とトーリが呼ぶ。
「トーリ! お前、勝手にさっさと行くな――…て、シィアっ!?」
トーリの声を頼りに通路から顔を覗かせたウェルネスカは渋い顔でトーリを見たあと、横にいたシィアに気づいて驚き駆け寄る。
「無事か!? 体は!?」
「大丈夫、何ともないよ」
「そう…、良かった、…ホント良かった。宿の主人から居なくなったって聞いた時は凄く焦った」
「…ごめんなさい」
「いいや、シィアが無事ならそれでいい」
小さく首を振ったウェルネスカは緩く笑った。でもその顔は少し疲れているように見える。
シィアはきゅっと唇を噛む。トーリもそうだがこのアミュレットからすればレンデルにも大変心配をかけさせてしまったのだろう。シィアの軽率な行動のせいで。
俯き耳を伏せたシィアの頭をフワリと撫でる手。見上げた先のトーリは黙って小さく頷く。
トーリがシィアを責めることは決してない。だからこそシィアは余計に心苦しく思うのだ。




