33.砂色の狼
「…どうして、ここに…?」
シィアの掠れた声に返すロブレンの声は明瞭だ。
「どうしてって、今君が聞いていた会話の通りだよ。僕が君を捕らえてここに連れてきた。ここは仕事先で、君はこれから売られる大事な商品で、その管理を僕が任されている」
「…っ」
聞き間違えようがないはっきりとした回答にシィアは一瞬息を詰め、掴んでいた格子を強く握った。そしてそれを言い切ったロブレンは、あの日共に食事をしていた時と態度は一切変わらない。ただ普通の会話をしているようにシィアからの次を待っている。
「……じゃあ、これまでの誘拐もおじさんが…」
「そうだね、僕であったり他の人間だったりかな」
「どうしてそんなことをっ」
「どうして? それが仕事だからだよ。生きていくためには働かなきゃならないだろ」
「でもそんなことしなくたって…っ」
「それを選べるのは獣人以外だ」
相変わらずの笑顔でありながら一瞬強くなった声にシィアはビクッと体を揺らす。そんなシィアを見下ろしロブレンは言う。
「獣人に選択権はない。だからこそ君も獣人であることを隠そうとしたんじゃないのかい?」
「違う!シィアは――」
好きで隠したわけじゃない、と言いかけたが隠そうとしたことは事実だ。だからこそ何も言えなくなって口を噤むと、ロブレンは少しだけ頬を歪めるように笑った。
「別に責めてるわけじゃないよ、そう思ってしまうのは当然だし、君の容姿であれば隠すことも容易いだろうしね。だけどあまり獣人と関わって来なかったパスクルならいざ知らず、獣人には君が同種であることは直ぐにわかるよ」
同種、人間でなく獣人。
トーリは拐ったのは人間だろうと言っていたけど、それを行ったのは同じ獣人。
「…同じ獣人なのにこんなことを…」
「仕方ないよ、生活があるし僕はパスクルを養わなければならない」
そのパスクルだって『獣人の子供』なのだ、拐われた子たちと同じ。だけどそれを言ってもこの目の前の相手には通じない気がする。
だってロブレンのこれまでの言葉に嘘や躊躇いないのだ。本当に心からそう思っている。
「…パスクルは知ってるの? …おじさんがこんなことしてるって」
パスクルは父親を慕ってる、助けたいと言っていた。それにロブレンも息子を虐げているようには見えなかったし、今、養わなければならないとも言った。親子間に問題はないのだ。
ロブレンは小さく息を吐き眉尻を下げた。
「知らなかったよ、…昨夜まではね」
「昨夜…」
「君を捕らえる時に見られたんだよ。本来ならパスクルが逃げたあとに行動するつもりだったんだけど…。君が思ったより早く飛び出したのは想定外だった」
「そんなの…っ、パスクルまで危険な目に合わせるなんてっ!」
「別に危なくはないさ、あの男も最初から仕組んだことだったんだから」
シィアの憤りは笑って軽く流される。だけどだ、ナイフがパスクルに向けられた時、確かにあの男からは相手を害しようとする気配があった。だからこそシィアは飛び出したのだ。
それにさっきの男だって同じ。仲間でありながらそこには殺伐としたものがある。
「…パスクルは無事なの?」
「もちろん。言い聞かせたから今は家にいるよ」
「……話を?」
「ああ、ちゃんと話したら理解してくれた」
「……」
――理解してくれた、
それの意味するところが、今もまだシィアがここにいることの証。
シィアはきゅっと唇を噛む。
仕方ないことだと思う。こちらから友達だと主張するだけの関係と、本当の家族であるロブレン、どちらを優先させるかなんてはっきりとしている。ただ胸の奥がつかえたみたいにとても苦しい。
シィアの無言をどう受け止めたのか、「それにそろそろ潮時なんだよ」と、ロブレンは続ける。
「『王たる者もの』が動いたようだからね、どうせこれで最後だ。丁度シィアという素晴らしい商品が手に入ったし、バルド様もここらで一旦手を引くつもりだ」
「……」
視線を落としたシィアはきつく格子を握りしめる。
バインガレエズが何かわからないし、バルドなんて人も知らない。
今、自分でわかっていて必要なことは。
「………じゃない…っ」
「ん?」
「シィアは商品なんかじゃない!」
シィアは声を張り上げロブレンを見上げた。
胸の苦しさは消えないけど、そんな感傷で沈んでいる場合ではない。
向こうが家族を大事だと思うようにシィアにだって大事な人がいる。
そう、トーリと離ればなれになるなんて絶対に嫌だ。
「言う通りなんてならないしシィアは戦う!」
「……うん、やっぱりそうなるだろうね。じゃあ仕方ない」
そう言って軽く肩を竦めたロブレンが胸元から取り出したのは筒状のもの――銃だ。前にトーリが持っていたものよりは随分と細身で小さい。
シィアは咄嗟に距離を取る。けれど檻の中にいる限りあの武器から逃げることは叶わない。
耳を横に倒し警戒と威嚇に身を屈めるシィアにロブレンはゆるく笑う。
「大丈夫だよ、だた少し眠っていてもらうだけだから。この場所ももう安全ではなさそうだからね、君が眠ってる間に違う町に移動する」
そんなのひとつも大丈夫じゃない。トーリはたぶんもう帰って来ていて、居なくなったシィアを探してくれてるはずだ。だから今は違う町になんて移動出来ない。
( ここで待っていれば、トーリは絶対にシィアを見つけてくれる! )
でもロブレンはもう引き金に指を掛けていて。焦ったシィアと変わらないロブレンの二人の視線が絡む。
一瞬の静寂、―――けれど、
それは獣人であるからこそ聞こえたざわめき。
シィアの耳がピクリと揺れ、遅れてロブレンもハッとしたように反応する。その弾みで、触れていた指が引き金を引いた。
パシュッ――と、乾いた銃声が響く。
弾はシィアに当たることなく足元の床に刺さり、ロブレンが小さく舌打ちを打つ。弾を外したことに対してのものではない。余計な音を響かせてしまったことに対してだ。
そして、それもまた獣人であるからこそ気づけるもの。
凄まじく重圧のある気配が物凄い速さで近づいて来て、シィアはブワッと毛を逆立てる。
その感覚はサーペントに初めて遭遇した時のものに近い。
( 何!? )
――と、考える間もなく突如、扉の辺りの壁が吹き飛んで、シィアは咄嗟に体を伏せる。
瓦礫が飛散し埃が舞う。
直ぐに状況を確認するべく悪い視界の中で目を凝らすと、檻の目の前に大きな影があった。
「――っ!?」
これが先ほど重圧を放っていた存在なのだろう。
けれど今はその圧はなく。ブンッという何かを振り払った音と風が吹いて一瞬で視界が晴れ、その姿がはっきりと見えた。
それは――巨大な狼。
ビクッと身を強張らせたシィアは耳を下げ息を飲む。
( ……っ! )
檻と同じ大きさくらいの、砂漠の砂のような色の毛皮をもった狼は、こちらに近づくと匂いを嗅ぐようにスンと鼻を鳴らした。
( ………魔獣…、…なんだろうか? )
襲いかかるでもなく、小さく喉を鳴らし黄金色の目でシィアを眺めている。
けれどそれはどちらかと言えば多少戸惑っているような感じで。
大きな前脚が檻に掛けられ驚いたシィアが再び体を揺らすと、何故か向こうも驚いたように一旦脚を離す。
けれど、もう一度そろそろと掛けられた脚によって今度はあっけなく格子は折られた。シィアが力を込めてもビクともしなかったのにだ。
五本程の格子が折られ曲がり隙間が空いた。シィアくらいなら通れそうな、でも巨大な狼では到底無理な隙間だ。そして狼はそれ以上壊す気はないのか、檻から一歩下った所で腰を下ろした。
( ……? )
どういった状況なんだろうか?
( こちらが出て来ることを待ってる? )
出て来たところを襲うつもりなのか。
だけどそんな面倒くさいことをしなくても、この狼の力をもってすれば檻を壊すことなど簡単だろう。
困惑に眉を寄せるシィア。狼はそんなシィアを眺めたまま微動だにしない上に、しまいにはその場に伏せまでしだした。
本当になんなのか?
あまりにわからなすぎで逆に落ち着いてきたシィアは、そこでやっと辺りに漂う血の匂いに気づいた。
その匂いの先へと視線をやる。
そこには、赤い血だまりと瓦礫に半ば埋もれるように倒れたロブレンの体があった。




