30.揺さぶり
粗末な家並みを眺める。大きく賑やかな通りからすればここは影だ。明るい日差しの中から弾き出された者たちが住む場所。もしかしたら北地区よりも状況は悲惨かもしれない。直ぐ隣には輝く場所が広がってるのだから。
トーリは小さく嘆息して辺りを見回す、人影は疎らでここにおいても獣人の姿は見えない。
その視界の中に手を振るウェルネスカが映り込んだ。
「おいトーリ聞いてきたぞ。その角から三軒目だ」
そこが山羊の獣人の家らしい。トーリはウェルネスカが指差す方向に一度視線を向けてから再び赤毛の友人を見る。
「この辺りの住人は獣人が多いのか?」
「さあどうだろう。私が聞いたのは普通の人だったけど。それに人種などに構ってる場合じゃないんじゃないか? そんなことよりも今日を生きることの方が大事だろうから」
苦い顔で答えるウェルネスカ。彼女自身もこの地域に足を踏み入れたのは初めてなのかもしれない。旅人であるトーリよりもここに住むウェルネスカの方が心情は複雑だろう。
言われた家の前に立ち、扉に手を伸ばしたとこでウェルネスカが待ったの声をかけてきた。
「トーリ、やっぱり私が先に声をかける」
「? 別にとって食いやしないぞ」
「わかってる。でも大人の男が、ましてや人間が急に訪ねてきたら怖がるだろ。私は女だし多少はましだ」
「……」
黙ってたらお前も微妙だろ、とは言わない。言ったら酷い目に合うのは間違いないので。
トーリは軽く肩を竦めて前を譲ると、ウェルネスカは蹴れば破れそうな扉をノックした。
……返事はない。
でも中に人の気配はある。これだけ薄い壁の家ならばシィアでなくとも気配は読める。それにこの扉の前で話した声もはっきりではなくても向こうに聞こえているだろう。
「おい、開けてくれないか? 君はパスクルってんだろ? ちょっと聞きたいことがあるんだ」
父親のロブレンが朝出かけて行ったのは聞いている。だから家の中の気配は子どものものだ。
でも、やはり警戒されてるのか返事は返らず、トーリはウェルネスカに名を告げてみればと提案する。もしかしたらシィアが話をしているかもしれない。
「パスクル、私はウェルネスカって言うんだ。そしてここにはもう一人、シィアの保護者であるトーリって奴もいる。シィアが戻って来なくて心配してるんだ。少し話をさせてくれないか?」
カタンと音がして人が近づいてくる気配がする。そして扉越しに聞こえた小さな声。
「トーリ、さん…?」
確認の声にトーリは答える。
「ああ、僕がトーリだ。帰って来たらシィアがいないと聞いてね。君が昨日シィアと一緒だったとのことだけど何か聞いてはいないかい?」
なるべく硬くならないように話しかければ鍵がカチャリと鳴り扉が小さく開いた。その隙間から白い毛に覆われた子山羊の、不安げな顔が二人を見あげる。この少年がパスクルか。
「あなたが、トーリさん?」
「ああ、そうだ。こっちは友人のウェルネスカ」
「…うん、…シィアから聞いた」
「じゃあ早速で悪いけど、シィアの行き先を知らないか?」
「シィアの…」
「そう、だって君は昨日シィアと会っていただろ? 僕のいない時に」
「…おい、トーリ」
ウェルネスカが脇腹を小突く。別に事実を言っただけなのに非難の眼差しを向けられる。まあ私情のひとつも入ってないとは言い難いが。
大体、こいつは昔から小さくて可愛いものが好きなのだ。
再び獣人の少年を見下ろせば小さく震えて視線を泳がす。
確かに傍から見れば大の大人が子供を囲っているような状況だから怯えるのも仕方ないとは思う。けれど、この少年の怯え方はそれとはちょっと違う気がする。
( …少し突いてみるか )
「それで、君とシィアは昼前には付与師の店を出たそうだけど、その後は?」
「……話してたらお昼になったから」
「ご飯を?」
「…うん、うちに招いた」
「それはシィアが望んだのかい?」
「いや…、僕がどうかって」
「へえ、君が」
「――おい…」
またウェルネスカに小突かれたが今は無視する。
「家には君一人で?」
「うんん、父さんが少ししたら帰って来たから、三人でお昼をした」
「父親も? …シィアは進んで席についた?」
「え…、シィアは別に何も…」
「そう」
トーリは少しだけ苦い表情を浮かべる。シィアは完全にパスクルに気を許したのだろう。大方初めて出来た友達だという理由で。
なのでその家族である父親にも警戒心を抱かなかったのだ。
先ほどのウェルネスカの話のせいか、嫌な予感が大きくなる。
それに、この少年は怯えた表情を見せながらも、慎重に言葉を選びながら話している。きっとシィアについての何らかを知っているのだ。いい加減核心をつくべきか。
ウェルネスカはトーリが何らかの意図を持って話していると気づいたのか、眉をひそめながらも一歩後ろに下がり静観の構えだ。
トーリは薄く空いていた扉に手をかけ完全に開けると、扉を塞ぐように立ちわざと圧をかけた。パスクルの体がビクリと慄く。
「さて、じゃあ本題に入ろうか。君、何を隠してる?」
「……っな、何も、隠してないよ」
「そうかな、本当はシィアがどこにいるか知ってるんじゃないか?」
「し…っ、知らない!」
「昨夜君がシィアを呼び出したとか?」
「僕じゃない!僕は何も知らない!」
「知らないで済ますのか、シィアは友達だろ? 気にはならないのか?」
「……!」
「シィアの性格なら君と友達になれたことをとても喜んだと思うんだけどな」
「……っ」
「それでも君は何も知らないというのか?」
「――し、知らないっ、…僕は関係ない、関係ないんだっ!」
「…トーリ…」
突如蹲ってしまったパスクルを見てウェルネスカから声が入る。あきらかに何かを知ってる様子だが、流石にトーリも少しやり過ぎた感は否めない。
一応揺さぶりは掛けたのだしここは一旦引こう。
パスクルはまだ小さく独り言を零している。
「シィアは…他の子とおなじように拐われたんだ。僕は、知らない…僕は…」
蹲ったその姿は小さくシィアと被るものがあり少し不憫に思ってしまい、トーリはパスクル引き起こし共に家へと入るとソファーへと座らす。
「何か思い出したら連絡をくれ。僕は夜明けの星という宿にいるから」
「……」
微かに頷いたのを見届けてトーリは家を出た。
ウェルネスカは少し離れた場所にいる。そしてその顔はとても険しい。少年への言動を咎めるつもりか。
「先に言っとくが、やり過ぎたってのはちゃんとわかってるからな」
「あ? ああ…、それはまあそれとして。そんなことより少しマズいかもしれない」
「マズい? 何が?」
「さっきの少年の言葉」
「言葉?」
どれのことを言っているのか。
ウェルネスカはぎゅっと眉を寄せる。
「シィアには、あの少年…、パスクルにも自分が獣人だとは言わないよう言ったんだ」
「まあそれは当然だな」
「なのにパスクルは、他の子とおなじように拐われた、と言ったな」
他の子――、拐われたのは獣人の子供ばかりだ。だとすれば。
その意味を理解してウェルネスカ同様にトーリも眉間に山を築く。
「……どうするトーリ? 私としては無理に吐かせることはしたくないんだが」
ウェルネスカは甘いと思うが、トーリとて力にものを言わせたくない。獣人といえども子供はやはり子供だ。そして『子供』であるからこそ次が難しい。
これだけ揺さぶりをかければ、大人なら何かしらの行動を起こすだろう。だけど子供はうちに閉じこもってしまうことの方が多い。なのでこのまま次の動きを待つ、では無理だ。
トーリはしばし沈黙する。
手がないわけではない。
「付与師の店に戻るぞ」
「え?」
「店主に協力してもらおう」
「え、あ、おい!トーリ!?」
これと言った説明もせず、慌てるウェルネスカを置き去りにトーリは来た道を戻る。懸念が懸念で終わればいい。だけど最悪の事態を想定して動くことは当然のこと。
きっと動きがあるとすれば夜、そして今は陽が傾き始めたところだ。どちらにせよあまり時間はない。
でも取りあえずは数日前の自分を褒めてやりたいと思う。
本当に、シィアにアミュレットを渡しておいて良かったと。




