29.トーリの憂鬱
店を出たところでウェルネスカが口を開く。
「ところでトーリ、会いにったって、お前その獣人の子の家なんて知ってるのか?」
「いいや」
「おい」
返した答えにウェルネスカからの突っ込みが入るが、行き先なんて当然わかるはずなく。
「ウェルネスカこそ、この町に住んでるんだから何となくわかるだろ」
――との無茶振りに、ウェルネスカは顔をしかめた。
「いや待て待て、この町にどれだけの人が暮らしてると思ってるんだ? 無理に決まってる」
「でも獣人の人数ならそんなに多くはないだろ」
「まあそうだけど…、…まさか総当たりでもするつもりか?」
呆れた眼差しを向けるウェルネスカ。トーリはそれを辞さない気持ちで軽く肩を竦めれば「はあ…」とため息が返った。
「…行き当たりばったりはやめろ。大体この辺りで見かける獣人は大概どこかの商人か貴族に雇われてるはずだ。だから割りと身元はしっかり管理されてる」
「なるほど、じゃあ調べやすいな」
「ああ。だからちょっと知り合いに聞いてきてやるよ。ここらへんでは割りと顔が利く」
「ついてくか?」
「いや、私一人の方がいい。それにそんなにかからないと思うから」
「じゃあそこの店で待ってるよ」
去っていくウェルネスカを見送ってトーリは通りに面したカフェのテラス席へと座る。直ぐに給仕がメニューを持って来たが断って、一応珈琲だけ頼み通りをゆく人々を眺める。
ここは大通りであり行き交う人は多い。けれどその中に獣人は見えない。
この町に関して、昔はこんなことはなかったのにと思いながら、でも――と小さく首を振る。
結局はどこも同じだ。何かを排除しようとする思想はいつになっても、どこにいってもなくなることはない。
現状トーリは、シィアの行方不明をそこまで深刻には考えてはいない。今一番気にすべきはシィアが獣人であることがバレていないかどうかだ。それによってリスクも変わる。
シィアは警戒心も備えているし、身体能力的にもちゃんと戦えるし逃げれる。なので大事には至らないと思うが、なんせ世間に不慣れ過ぎる。
そのために人に対しての精神的な面がまだまだ未熟で、世慣れした者になら簡単に騙されてしまうだろう。
そしてシィアの場合、相手が獣人の子供であると、…いや、獣人の子供であるからこそ逆に、あっさりと気を許しそうな気がする。
なんせ初めての同族だから。
町角からひょっこりと姿を現さないかと辺りに視線を巡らせていると、店の直ぐ横の通りからザワザワとしてざわめきが聞こえてきた。
( …なんだ? )
トーリは眉をひそめる。
ざわめきは徐々に大きくなり、驚きと、恐れと、嫌悪が混じりあった囁きをまとい角から現れた一団。
軽く武装した、体格の良いものばかりが集った一団は、皆が皆頭の上に三角や丸い耳を生やしている――獣人たち。
一番先頭を歩く者は砂色をした狼、続くのも狼や豹、虎や獅子などの肉食の獣面の男たち。ざわめいているのは町の人間たちで、彼らは鋭い眼光を前方に向けて一様に静かだ。
その堂々とした歩みを見せる獣人の軍団にトーリはピンときた。
『王たる者もの』
獣人たちだけで構成された最強の傭兵部隊だ。
彼らがトーリの横を通り過ぎる時、フッと先頭の狼の視線がこちらへと流れた。
黄金色の目が少しだけ細められる。
( ……? )
トーリはひそめていた眉をさらに寄せる。
なんだろう? 一瞬であったけれど、完全に目が合った。それは直ぐに逸らされたが、怪訝という言葉がぴったりな眼差しであった。
だけどトーリ自身彼らの名は知っていても直接関わったことはない。
立ち去る彼らの背を見送っていると、その向こうから赤毛の友が戻ってくるのが見えた。
「…今のって…、もしかして、『バインガレエズ』か?」
やはりウェルネスカもその名は知っていたようで、少し興奮した様子で言う。
「ああ、たぶん」
「たまたま町に寄ったんだろうか?」
「さあ、どうだろう」
「ふーん…、なんていうか…、強者のオーラが反発ないな。あれは一対一で戦いたいとは絶対に思えない」
「そらそうだろう。彼ら数人でひとつの部隊を殲滅出来るらしいからな」
「じゃあそんな獣人にケンカを売ってるこの町の領主はきっと馬鹿なんだな」
「それは馬と鹿に失礼だ」
「確かに。それなら阿呆だな、うん」
大きく頷いたウェルネスカは「まあ、それはどうでもよくて」と話を変えた。
「ちゃんと聞いてきたぞ」
「家がわかったか?」
「ああ」
「じゃあ移動しよう」
ウェルネスカが聞いてきたところによると、山羊の獣人が住むのは南地区の外れのはずれ、あまり裕福でない所謂貧民地区にあるらしい。
「パスクルって息子とロブレンという父親の二人暮らしだそうだ」
「そのパスクルをシィアが助けたのか」
「ああ、シィアからはそう聞いた」
「なるほど。…ところでお前、やっぱり名前も知ってたな」
「あ…」
トーリが据わった目を向けると、ウェルネスカは焦ったように目を泳がせ急いで話の続きを口にする。
「それでだな、その父親はバルド商会の下働きをしてるらしい」
「バルド商会?」
「ああ。最近この国で台頭してきた商会なんだが本拠地はここ、ナドレーなんだよ」
「へえ」
「会長のタイラー·バルドは元々は一介の商人だったんだけど、どうやったのか現領主様からのお墨付きをもらってね。今じゃ色々手広く商売をしていて他のお貴族様とも懇意だ」
「ふうん…」
浅い返事を返したトーリはしばらく沈黙をもったあとに、ウェルネスカへと言葉を返す。
「……で、なんでそんな話を?」
「ん?」
「別に父親の仕事先なんて関係ないよな?」
今はパスクルという獣人の子の名前と、家の場所だけいいはずだ。まあ父親の名前はわかっているに越したことはないが仕事先の情報など必要ない。なのにだ、ウェルネスカはその商会についての話こそに重点を置いたように聞こえた。
だけどウェルネスカはトーリの疑問には答える気はないらしい。ちょっとだけ目を眇めただけで続ける。
「バルド商会は所謂成り上がりだ。だからと言ったらアレだが、真っ当ではないことにも手を染めてるという噂が多々あるんだよ」
そして話の重点を変える気もなさそうだ。
たぶん何かしらの意図があるのだろうが、わざわざ聞かせたということはシィアと関係があるとでもいうのか。
向かう場所まではまだ少しあるし、仕方ないから付き合うかとトーリは会話に乗る。
「商売なんてどうせ後ろ暗いことのひとつやふたつはあるもんだろ」
「それはそうなんだけど…」
ウェルネスカは後半に向かって声のトーンを落としてゆき、トーリへと近づくと肩に腕を回してグッと引く。
いくらウェルネスカがスラリとしていても身長はこちらの方が高いために引きづられるように身を屈めるトーリの、その耳元で密やかに告げられた言葉。
「バルド商会は人も商品として取り扱っている」
「――!」
トーリはハッと体勢を戻し、素早く腕を離したウェルネスカを見やる。
その意味なすところは奴隷だ、奴隷商人であるということ。
「…まあ、あくまでも噂だけどな。でも、火のないところに煙はたたないって言うよな」
「何の手も打たれずに放置なのか?」
「さっき言ったろ? 領主とも貴族とも懇意な商人だぞ?」
「……腐ってるな」
「ああ、臭くて鼻も曲がる」
なら拐われた獣人の子どもの件にも関わってるとみるべきか。そしてそんな商会に、パスクルの父親で獣人である男が仕えていると。
きっと末端であると思うが、末端ならば何も関与してないと考えていいのかどうか?
シィアの状況をあまり深刻に考えていなかったトーリの心に不穏の風が通り過ぎる。
「ウェルネスカには悪いが、…この町に来るんじゃなかった…」
視線を落としそんなことをぼやいたトーリに、ウェルネスカは眉尻を下げて答える。
「ええっと、…スマン」
「いや…、お前が謝ることじゃないし、ただの愚痴だ」




