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世界は僕らに優しくない  作者: 乃東生
〜 淘汰されるもの 〜
27/42

27.内密の依頼

 


 台所に立つパスクルは鍋に火をかけながら、隣ではフライパンにも火を入れ薄く切ったパンを焼いている。そして今、まな板の上でスライスしているのはチーズだろうか?

 料理勉強中のシィアからすれば、三つ同時に作業が出来るなんて、と驚くばかりだ。



「パスクルは料理出来るんだ」

「父さんと二人だからね、凝ったものでなければある程度は出来るよ」

「凄い。シィアはまだトーリに習ってるところだよ」

「えっと、そのトーリっていうのがシィアの家族?」

「うんそう、シィアの一番」



 満面の笑みで答えるシィア。その声に宿る絶対的なものに、パスクルがチラリとこちらを見て、心なし眉尻を下げる。



「そのトーリに、獣人()と会うって言ってるの?」

「うんん、今トーリはいないから言ってないよ」

「ええっ! …それって大丈夫?」

「大丈夫、って?」

「僕と…、獣人と会うことだよ」

「トーリの友達のウェルネスカには言ってるよ。それに、もし()()()()()()を言ってるならトーリはそんなこと気にしないから。 獣人だとか()()()だとか」

「――!?」



 急に焦った様子でパスクルが振り返る。



「…シィアっ、それは大きな声で言わない方がいい。その言葉は禁句に近いからっ」

「え? その言葉って…落し子?」

「……」



 パスクルは無言のままに頷く。

 『落し子』について、そう言えばトーリにもハッキリとは何なのかを聞いてなかった。

 けれどパスクルの反応もズハールの大人たちとよく似ていて、あまり気軽に聞いてはダメな気がする。

 眉をひそめながらパスクルは言う。



「下手すると咎められて捕まっちゃうから気をつけて」

「そうなんだ」



 あの時の自分が置かれた状況を思い出せばそれは確かにあり得る。だからもし尋ねるとするならトーリと二人の時がいいだろうと、そこは軽く頷いて話の流れを元に戻す。

 


「ね、それじゃあパスクルのおとうさんは?」

「え? 父さん?」

「どんなひと?」

「ああ…。…うん、そうだなぁ、おとなしい人かな。めったに怒らないし、いつもにこにこしてる。まあ、それは顔立ちのせいなのかもしれないけど」

「パスクルはおとうさんが好き?」

「好きだよ。父さんは僕のために一生懸命働いてくれている。だから僕も早く大きくなって父さんを助けたいんだ」



 そう答えるパスクルの声には揺るぎない信頼と希望がある。パスクルの自然と浮かんだ笑顔につられシィアの頬もあがる。大切な人を助けたいという気持ちは誰も同じだ。

 

 シィアも手伝うと声をあげ、言われた食器をテーブルに並べていると玄関の扉が開いた。



「ただいまパスクル」



 そう言いながら家へと入って来た人物は台所に立つ二人を見て、パスクルと同じ茶色の目をパチリと瞬いた。



「…驚いた、パスクルの友達かい?」

「違うよ父さん、シィアは――」

「うん、パスクルの友達」

「シィア!」

「何? だってさっきも言ったよね、シィアはパスクルを友達だと思ってるって」

「それは聞いたけど、僕は答えてないよ」

「いいよ、シィア勝手にするもの」

「いや、そういうことじゃなくて…」

「あー、ええっと、取りあえず君はシィアで、パスクルとは友達なんだね」

「うん、そう」


 

 堂々巡りの予感にか、二人の会話に唐突に割り込んだ人物――パスクルの父親の声に、シィアは大きく頷き。パスクルはまだ何か言いたげではあったが、開いた口から零れ出たのは小さなため息。



「……じゃあ丁度父さんも帰って来たしご飯にしよう。 父さん、シィアも一緒でいいよね?」

「ああ。パスクルのご飯を目の前に駄目だとは酷だろ? シィア、パスクルのご飯は美味いよ、いい匂いだろ?」



 ローブを脱いだパスクルの父親はシィアを見る。パスクルが言っていたように少し目尻の下った笑っているような顔立ちで、やはりパスクルと似ている。

 ただ一瞬、ほんの一瞬、何か違和感を感じたが、それを掻き消すようにシィアのお腹がグゥと大きな音を立てた。まさしく立派な返事だ。



「お腹は正直だね」

「シィア、もう出来たから席に座りなよ」

「……」



 明らかに生暖かさを含んだ親子の声に、シィアは頬を赤らめすごすごと席についた。

 


 シィアのお腹を鳴らすほどにいい匂いがしていたパスクルの料理は確かに美味しく、少食なシィアでもペロリと平らげた。

 食べ終えたシィアが「ごちそうさまでした」と両手を合わせると、パスクルが不思議そうな顔をする。



「食べる前もしてたけど、不思議なお祈りだよね、それ」

「これはトーリが教えてくれたんだよ。お祈りじゃなくて、食べ物対してや作ってくれた人、つまりはパスクルに対しての感謝の気持ちなんだって」

「へえ、変わってる。ズハールではないよね? どこの国の作法なんだろ」

「うーん…、シィアも知らないや」



 にこにこと二人の会話を聞いていたパスクルの父親が「――ところで」と話に加わる。



「そのトーリっていうのは誰なんだい?」

「シィアの家族だよ。今は一緒にいないらしいんだけどね」

「うん、明日帰ってくる」

「それじゃあ今は一人なのかい?」

「宿のおじさんにはトーリが話してくれてるし、トーリの友達のウェルネスカも近くにいるから一人じゃないよ」

「ウェルネスカ? ……魔術師の?」

「うん、そう。知ってるの?」

「随分優秀な結界師だと町の噂に聞いたことがあるよ」

「へえ…」



 そうなんだとシィアは目を丸くする。噂になるぐらいウェルネスカは優秀なのか。


 「…でもそうか、じゃあ残念だなー」と父親。



「ん?」

「良ければ夕食も一緒にと思ったんだけど」

「ああ…」



 正直、その提案はとても魅惑的だ。言ってはアレだが宿の食事よりもパスクルの食事の方が美味しいし、食堂で一人で食べるよりもよっぽどいい。だけど宿の主人が既に用意してくれてるはずだ、それを無碍にすることは出来ない。

 眉尻を下げたシィアを見てパスクルが言う。

 


「父さん、急にそんなこと言ったってシィアだって困るだろ」

「まあ、それもそうだね。また今度食べに来たらいいよ」

「うん」



 この町にどれだけいるかはわからないけど、またチャンスはあるだろう。その時はトーリも誘ってみよう。


 パスクルが食器を洗うのを手伝って、美味しいお茶を淹れてくれるというのでパスクルの父親と共にソファーの方へと移動すると――、

 


「ねえ、シィア。少しお願いがあるんだけど聞いてくれるかい?」



 座ると同時にパスクルの父親が身を乗り出すようにそんな話を切り出す。



「お願い?」

「ああ、そう。今日の夜こっそりと出て来ることは出来るだろうか。もちろん他の人には内緒でね」

「内緒で? 何があるの?」

「うん、実はね…」

 


 パスクルの父親はさらに身を乗り出すと声をひそめた。



「どうもパスクルは虐められてるようでね、今夜呼び出されたみたいなんだよ。でも僕は仕事で抜けられなくて。勝手な話だけど、出来ればシィアに様子を見てもらって、危なそうなら助けを呼んで貰えないかなと思って」

 


 その話にシィアは眉を寄せる。確かにパスクルが虐めを受けていたところはシィアも見ている。――だけどだ。

 シィアは台所で忙しそうにするパスクルをチラリと見て、再び視線を戻すと少しだけ眉尻を下げた。



「おじさんの話は、()だよね? どれかはわからないけど嘘があるよ」

「嘘?」

「シィアにはわかるから」



 パスクルの父親は微かに目を見開くと「なるほど…」と零し、今度はスッと目を細めた。そうするとパスクルが言ったように顔立ちのせいか笑っているように見える。



「じゃあ本当のことを言おう」

「本当…?」

「ああ。パスクルにはまだ言ってはいないんだけど、ちょっと僕の仕事を手伝ってもらおうと思ってね」

「おじさんの仕事を?」

「そうなんだ。とても急なんだけどそれは今夜で、そして僕は別に仕事があるっていうのも本当なんだよ」

「…そうなんだ」



 言うようにここまでに嘘は見えない。では呼び出されたというのが嘘だったのか。でもなんでそんな嘘を?

 疑問をありありと顔に浮かべたシィアにパスクルの父親は眉をハの字にする。



「だけど今は物騒だろ。パスクル一人だとちょっと不安でね。心配症だと言うのはわかってるんだけど」

「ああ…」



 なるほどと、今度頷いたのはシィアだ。完全に獣人とわかるパスクルが夜に一人になるだなんて無謀にも程がある。親が心配するのも当然だ。



「だからと言って君に手伝ってもらえと面と向かって言えばあの子は断りそうだから。気を遣うだろうし、たぶん男としてのプライドが許さないだろうと思う。だから出来ればこっそりと見守っていて欲しいなと」



 男としてのプライドはちょっとよくわかないけど、それは確かにと、なんだそんなことかとシィアは眉をあげる。



「うん、わかった。別に構わないよ。どこに何時にいけばいい?」

「シィアはどこに泊まってるんだい?」

「夜明けの星亭だよ」

「ああそれなら――」



 パスクルはおとうさんを助けたいと言っていた。だったら仕事の手伝いが出来たらきっと喜ぶはずだ。そしてそんなパスクルをシィアも応援したいと思う。

 結局、どこに嘘をつく必要があったのかはわからないが、まあそれは別にいいだろう。

 そして内緒の密談はパスクルのお茶が届くまで続いた。

 



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