23.獣人の少年
「宿の人にもウェルネスカにもちゃんと言ってるから、何かあった場合は頼るように」
「うん」
「ああそれと――、」
「トーリ、早く行かないと時間なくなっちゃうよ?」
「う…っ、………、わかった…、行ってくるよ」
「ご飯と睡眠も」
「ああ、わかった。じゃあ」
宿の前で手を振るシィアを一度振り返り、軽く手を上げたトーリは朝の忙しい雑踏の中に消えた。
その光景にシィアはきゅっと眉を寄せる。留守番にはあまりいい思い出はないけれど、今回は別に危ないところに行くわけではない。だからきっと大丈夫だ。
それにたった三日、『三日間だけ行ってくる』とトーリは言った。二度と会えないわけじゃない。
もう見当たらない後ろ姿を探すのは止めて宿へと戻る。
それじゃあ、これからどうしようか?
大人しくしてるとは言ったけれど部屋にずっとこもっているのもどうだろう。なんせ引きこもりは飽きるほどやって来た。今は外に出て世の中を知ることが必要だと思う。だって自分は色んなことを知らな過ぎるから。
部屋に戻ったシィアは、ぱっと視界に入った荷物のない隣のベッドを見て耳と尻尾を下げる。さびしいのは当然だとしても一人だとどうしても部屋が広く感じる。
何となく心許なくなり胸元にしまい込んだアミュレットをきゅっと握りしめて、――そうだ!と思いつく。
直ぐに行動を起こし、軽快に階段を駆け降りてきたシィアを見て宿屋の主人が声をかける。
「出かけるのかい? 兄さんからちゃんと話は聞いてるよ、何かあったら遠慮なく言ってくれ。それと夕食は六時からだから」
「うん、わかった」
返事を返しシィアは宿を出た。
宿屋の主人が言った『兄さん』とは、もちろんトーリのこと。それが一番尋ねられた時に説明が簡単で、見た目にも丁度いいとそういうことにした。だから今はトーリとは兄妹で家族。例え仮だとしても嬉しい。
そう言えばトーリは幾つなのだろう? 今度聞いてみよう。
さて――と、軽快に足を進める先は付与師のおじさんのとこだ。場所ははっきりとは覚えていないけど、匂いと勘で何とかなる、…と思う。
………ならなかった。
完全に迷子である。
暫くは匂いを追えていたのだけど、段々と増える匂いに途中からわけがわからなくなってしまった。でも宿の名前は覚えているので誰かに尋ねれば戻ることは出来るだろう。
( 仕方ない、教えてくれそうな人を探そう… )
そう思い、細い路地を人を探し歩いていると何処からか騒がしい声が聞こえた。
「何でお前みたいな奴がここにいるんだよ!」
「そうだそうだ!北地区に行けよ!」
「ここは人間が暮らしてるとこだぞ!獣人は帰れ!」
「そうだぞ!さっさと帰れ!」
「帰れ帰れ!」
見つけた先ではうずくまった一人を三人の少年が囲んでいる。所謂喧嘩だろう。ただし囲む三人の少年たちからは嫌な悪意を感じる。
それよりも――、
( 獣人、って言った )
囲われている人物は少年たちが邪魔でよく見えない。
どうしようか?シィアより体の大きい少年たちだけど蹴散らすことはたぶん簡単だ。でも騒ぎになってしまっては自分にとっても、あのうずくまった獣人らしき人にとっても良くない気がする。
シィアは辺りを見渡して、放置され柄のなくなった錆びた鋤を見つけた。それを持って石畳みをガンガンと叩く。
「――っ!!」
「な、何!?」
「ヤバい! 早く逃げようぜ!」
少年たちが慌てて立ち去るのを見送ってシィアはまだうずくまったままの人影に近寄った。
「……大丈夫?」
話しかけるとビクッと肩を竦め、頭の上にある白い耳が小さく揺れた。獣人の子、であることは間違いない。
シィアはもう一度声をかける。
「あいつらはもう何処かに行ったから」
「……もういない?」
「いないよ」
ホッと小さな息が漏れ強張っていた肩の力が抜けた。そして顔がゆっくりと上げられる。
辺りをキョロキョロと見回すその顔は完全に白い毛に覆われていて、不安げに揺れる焦げ茶色の目の瞳孔は横に長い。
そう、山羊だ。山羊の獣人であるらしい。
まだ少し不安げな目はシィアの方を向く。
「君が…、助けてくれた?」
「追っ払っただけだよ」
「…ありがとう」
「怪我は?」
血の匂いはしないが打撲とかそういうのはあるかも知れないと尋ねれば、山羊の獣人は立ち上がり手足を動かしてから小さく頷いた。
「大丈夫。それに僕らの体は君たちと違って頑丈だから」
『君たちとは違って』
少し突き放すようなその言葉からわかる、この山羊の獣人はシィアのことを人間だと思ってるらしい。要するにさっきの三人組と同じ。
確かに服を着てる体以外はどうしたって人に見えないこの獣人に比べれば、フードを被っただけで人に見えるシィアとでは大きな差がある。ただその差が、シィアに複雑な表情を浮かべさせる。
結局、自分は人間にも獣人にもどちらにもなれないのかと。
「――あ…、あの、ごめんっ」
急にそんな声が耳に飛び込んできてシィアは目を瞬く。
「え?」
「…や、あの、せっかく助けてくれたのに嫌な言い方して…」
「えっ、何も気にならなかったけど?」
「でも難しい顔してたから…」
「ああ…」
シィアは眉尻を下げて首を振った。誤解させてしまったらしい。でもきっかけは確かにその言葉ではあったのだけど。
「全然関係ないよ、シィアちょっと考え事してたから」
「シィア…ってのが君の名前?」
「うん、そう」
「僕はパスクル」
「パスクル?」
「そう。シィアはもしかして旅行者?」
「そうだよ、ズハールから来たの」
「ズハールから? …へえ、そうなんだ」
「パスクルはずっとここに住んでるの?」
「ああ。生まれた時からずっと。父さんと二人暮らしなんだ。シィアは? 当然家族で来たんだよね?」
家族という言葉にローブの下の尻尾が揺れる。その上で満面の笑みだ。
「うん、そうだよ」
「でも今は一人だね。もしかして迷子とか?」
「あっ!」
そうだ、そうだった。
でも丁度よい、パスクルに聞けばいいじゃないか。幸いなことにここにずっと住んでるって言ったし。
シィアはパスクルにその通りに迷子だと話し、付与師のおじさんの店を尋ねた。
「付与師の店?」
「そう、丸っこくてパン屋さんが似合いそうなおじさんがいる店なんだけど」
「ああ。それならたぶん西地区の三番通りにある店じゃないかな」
「西地区…」
「そりゃあ言ってもわからないよね」
シィアは大きく頷く。出来れば案内して欲しい。それをそのまま伝えればパスクルは難しい顔をする。
「案内出来たらいいんだけど…、実はこのあと用事があって…」
「それなら仕方ないよね」
しゅんと耳を下げるシィア。たぶん顔にも出てたのだろう、パスクルが慌てて取り繕うように言う。
「あ、明日なら案内出来るよ!」
「ホント!」
「うん、明日は一日暇だから。シィアは何処に泊まってるの?」
「ええっと、確か、夜明けの星亭?」
「南地区のだね。当然今はそこもわからないよね?」
「…うん」
「じゃあ取りあえず大通りまで案内するね」
そう言ってパスクルは服のフードを引っ張りあげてシィアと同じように被る。ただし前のシィアのように目深にして。
路地を行くと徐々に人の姿が現れ出し、それと共に視線も増えてゆく。チラリとこちらを見てヒソヒソと囁き合う。聞こえないと思っているかも知れないが獣人には丸わかりだ。当然パスクルにだって。
先ほどまでたわいのない会話をしていたパスクルも人が増えるにつれて口をつぐみ、大きな通りに出たところでピタリと足を止めた。
「シィア、後はこの大通りを真っ直ぐに行って五つ目の筋を右に曲がった通りに宿はあるから」
「うん、たぶんもうわかると思う。ありがとうパスクル」
「こちらこそごめんね、最後まで案内出来なくて」
「いいよ、それと明日はどうする?」
「え? ああ…。じゃあ明日の十時にまたこの辺りで待ち合わせでいい?」
「わかった」
「じゃあね、シィア」
「うん、また明日」
互いに手を降ってパスクルは元来た路地へと戻って行った。
それと同時に纏わりついていた嫌な視線も解けてゆく。
喧嘩…じゃなく一方的な暴力とパスクルに向く視線。その意味をわざわざ尋ねなくともシィア自身が身をもって知っている。
シィアはきゅっと口元を結び宿へ続く道を行く。その途中、覚えのある匂いに気づき早足になったシィアは宿の前で見知った人影を見つけた。
長い夕陽色の髪をひとつにくくった、スラリとした人物がシィアに大きく手を振る。――ウェルネスカだ。




