22.シィアの疑問
「…参ったな」
ウェルネスカの家を後にして、今いるところは南地区の比較的賑やかな場所にある宿。
シィアとしては獣人のコロニーがある北地区が良かったのだけど、ウェルネスカが話した、『獣人の子供が拐われる案件』――のせいでトーリは速攻で場所を変えた。その上に、今零された言葉。
シィアはベットに腰掛けるトーリの前に立つ。
「シィア誘拐されるほど弱くないよ?」
「え?」
「だから元の宿でも大丈夫」
「いやそれは駄目だけど…、え、何、どうした?」
「トーリ、『参った』って…」
「――え、や、ああ…。…いや、それはまた別の件で」
眉尻を下げたトーリがポンポンとベッドの上を叩くのでシィアは隣に座り、トーリは視線の高さを合わせるように膝に肘をつき口を開く。
「この町からちょっと行ったところに遺跡があるんだよ」
「遺跡…」
遺跡とは過去の人が残した貴重な資料なのだとトーリは言っていた。そしてトーリと一緒に行くことでの遅れの原因というのが、その遺跡たちへの寄り道なのだ。
一度、何故遺跡に寄るのだと尋ねたら『探しもの』をしているのだと。
「だからシィアにはこの町で暫く留守番をしてもらおうと思ってたんだよ、ウェルネスカもいるし。だけどあんな話を聞いたらなぁ…って」
それで参ったということらしい。けれど結局はやっぱりシィアが足を引っ張っている。それならば。
「シィアもついて行っちゃダメ?」
「んー…、別に構わないんだけど…。一度こもると食事とか睡眠とか色んなことを疎かにしちゃうからなぁ」
トーリはそんなことを言う。それこそダメだろう。
「にしても、タイミングが悪すぎる…」
再び零したトーリは額に手を当てる。今度のは完全に『案件』についてだ。そしてそのことで、シィアはトーリに尋ねたいことがあった。
「トーリ、どれいって何?」
シィアの言葉にトーリは額にあった手を外しギョッとした顔でこちらを見る。
「えっ! シィア聞いて――…や、結界は張ったはずだし。………そうか、ウェルネスカ…あいつか…」
はぁ…と大きなため息を吐いたトーリ。
というのも、あのウェルネスカの一言のあと、シィアは一人部屋を出された。この先の話をシィアにはちょっと聞かせたくないからという理由で。
直ぐ様不満を口にしたけれどトーリはどうしたって折れそうには見えず。ウェルネスカの興味深げに注がれる眼差しに何となく居心地悪くなって渋々ながら従った。
一階に移動する。けれどシィアの耳をもってすれば、ここだろうと外だろうと声は聞こえる。それはトーリも承知だ。なので届いた第一声がこれ。
「ウェルネスカ、声を遮断する結界を張ってくれ」
「はあ? 大げさだなぁ」
「シィアは耳がいい。離れてたって聞こえてる」
「だろうけど。別にいいんじゃないか。獣人である限りあの子だって知っていた方がいいだろうし」
「お前この件がどういう意図で起こってるか知ってるだろう?」
「はあまあ、クソくらえだけど、そうでしかないからなぁ」
「シィアにはまだそこら辺を見せたくない」
「早かれ遅かれ何れどこかで知るぞ?」
「……」
「……わかった、わかったって。睨むなよ」
直ぐに『――パシッ』と音が鳴った。玄関のところでも聞いた音だ。上の部屋から不思議な圧を感じる。
( …なるほど、これが結界… )
でもそれならもう聞こえないのかと、階段の一段目に座りペタンと耳を伏せたのだけど――、
「それで、いつからこの国は奴隷制度が合法になった?」
「嫌味か? どこも合法じゃないって知ってるだろ。世界条約で決まってるんだから、…建前上はな」
「…領主は動かないのか?」
「つい最近代替わりしたんだよ。新しい領主は獣人を良く思ってない」
「それで黙認か」
「何にせよ、大人の獣人には敵わないからと子供を狙うとこが胸糞悪い」
――何故かハッキリと聞こえている。
結界を失敗した? でもそれならば好都合だ。シィアはピンと耳を立てる。
「それで、目的は労働か?」
「それと小さいうちなら愛玩目的もあるだろうよ」
「だったら余計に北地区には近づけないな…」
「まあ、あの子に関してはフードを取らなければいい。見た感じは人と変わらないし」
「いや、シィアは可愛いから危険だ」
「おぉ…。そこに異論はないけど、…お前のそれはどこからの目線だ?」
呆れたようなウェルネスカの声と共にプツンと会話が途切れた。
そこからは待っていても何も聞こえなくなったのだけど、どうやらこの現象はウェルネスカがワザとしたらしい。トーリの大きなため息と最後のセリフからすれば。
ウェルネスカの行動の理由はわからない。けど、シィアだって知っておかなくてはいけないことなのだと思う。だってシィアも獣人なのだから。
トーリは「あー」とも「うー」とも言えない声を漏らし口を幾度が開閉したあと、あきらめたように大きく息を零した。
「…シィアが関わることじゃないんだよ」
「でも拐われたのは獣人でしょ? シィアと同じ」
「そうだね。でもウェルネスカと話してたことが確実だとは限らないから」
「どれい制度が、って言ってた」
「うん…」
トーリは再び肘をついて口元を覆うように指を組み視線を伏せた。
「奴隷っていうのはね、その個人の人権や権利、自由を奪って己の所有物とする行為だよ。当然相手の意思などお構いなくね。労働に従事させたり戦争に駆り出したり」
「勝手に?」
「そう、勝手に、強制的にね。そのために拐ったんだろうと思う」
眉を寄せたシィアはトーリを覗き込む。
「何で子供を?」
「大人は既に自分の世界を作ってしまってるからね、子供の方が素直で洗脳……扱いやすい」
「…ふうん…。…でも、何で獣人なの?」
「ウェルネスカが言ってたろ、人が持たない力を持ってるからだよ。つまりは役に立つ。――それと、」
トーリは一旦言葉を切る。そして覗き込むシィアと視線を合わせた。その薄灰色の目は躊躇いが見える。
「…それと?」
促すように繰り返せば、トーリは目を伏せるようにシィアから視線をそらした。
「同じ種族じゃないからこそ余計に非情になれる」
「……それは…」
それは獣人を拐ったのは人間だということを言っているのだ。
まだ目的も何もそうと決まったわけじゃないけれど、トーリのそんな態度を見ればほぼ確実だろう。
トーリは何度目かわからない深い息を吐いた。
「人間の歴史には常にそれがある。ただし今は世界中で奴隷は禁止されてるんだけどね。けれどそれも表向きだけで、完全になくなることはない」
「……どうして?」
「便利だからだよ」
「便利」
「そう。自分は苦労することなく利益を得れる。一度味わった甘い蜜はなかなか手放せないものなんだ」
甘い蜜の例えはシィアにもとても分かりやすく。ぎゅっと眉を寄せ何とも言えない顔をしたシィアに気づいたトーリは苦笑を浮かべる。
「だからといって当然許されることではないし、全ての人間がそれを享受しているわけではないけどね。真っ当に生きてる人が大半だろうと、…思いたいかな」
最後の一言が希望で終っているのはトーリ自身が完全には信じ切れていないのかもしれない。人間は善と悪、どちらも持っていると言い切ったトーリだから。
「何にせよ、シィアは北地区に近づいては駄目だからね」
「…わかった」
忠告に、シィアは素直に頷く。フードを被っていたら獣人とはわからないだろうけど、もしもって場合もある。それに自分の欲求を押し切った上で拐われるなんてことになればトーリに迷惑をかける。
シィアとしてはトーリの邪魔はしたくない。だから――。
「……シィア、一人で留守番する」
「ん?」
「危ないとこには行かないし、大人しくしてる。だからトーリは遺跡に行ってもいいよ」
「え? や、シィア?」
だけど、トーリもちゃんとご飯と睡眠取るっていう条件は絶対だ。そこは譲れない。
躊躇いはどれに対してか。再び形にならない声を幾度が漏らしたトーリは額を押さえ長く深い息を吐き出す。そして小さく「わかった…」と了承の声を零した。




