15.失態
( ……ああ…、しくじった… )
頭に重く響く鈍痛に、小さく呻き声を漏らしてトーリは意識を取り戻す。
覚えているのは、激昂した誰かによって後ろから頭に衝撃を加えられたところまで。
そして今の自分の状況といえば、手足をロープで縛られ、どうやってかトーチカの外壁に固定されている。しかも、首を回して見上げれば、このトーチカはまだ破壊されていないもの。わざわざ場所まで移動させて拘束したらしい。時間稼ぎの生贄的な要員か?
たかだか人間一人、まあ多少は腹の足しにはなるだろうけど、残念ながら自分はサーペントの餌にはなり得ない。
なので今夜もサーペントが来るなら、それは真っ直ぐに町へと向かうだろう。そうなると、町にいるシィアを避難させねばならない。
――というのにこの状況。
トーリは小さく息を吐く。
別に煽ったわけではないが結果的に煽ったことになってしまった。
そこそこ大きなオルンの町。自分が知らなかったということは少し前は小さな町だったのだろう。
魔獣と共存しながらもここまで大きくなった町。ただ大きく豊かになってゆくと、さらにと欲が出てくるのは人間の性か。
町のさらなる発展のために魔獣が邪魔だと結論付けた、――故の今の結果。
正論は、受けとめる側によっては言葉の暴力ともなる。そんなことはわかっていたのに、何故か無性に腹立たしく思ってしまった。
おかげでこのザマである。
幸いなことに手は前で縛られている。体を回るロープで腕は動かし難いが、足側を動かせば靴に手は届いた。
身体検査の甘さは本来こういったことに慣れていないのだろう。伊達に長年旅を続けてはいない、トーリは靴底のすき間に仕込んでいた刃で手首のロープを切ると残りのロープも切断した。
自由になった手で、殴られただろう頭部分に触れてみる。髪がゴワゴワしているのは血で固まっているのか。傷はもう完全に塞がっているので痛みはないがトーリは顔をしかめる。
血の匂いは洗い流しても完全には落ちないので、このままシィアの元に戻ればバレてしまうこと確実だ。
今度は深く息を吐く。
姿形に似たところはひとつもないけれど、シィアは彼女とよく似ている。
他人が怖いせいか人見知りで臆病、そのくせ寂しがり屋なため、手を伸ばしてくれた相手に見限られないように人一倍気を遣おうとする。
ある意味卑屈で、ある意味憐れな、記憶の中にある悲しそうに笑う彼女。シィアとは違うとわかっていても気づけば重ねてしまう。
だからだろうか、今度こそどうにか幸せなってもらいたいと思うのは。
であるならば悠長なことをしている場合ではない。
トーリは浮かべていた自嘲の笑みを消して太陽の位置を確認するよう顔をあげると、街の方、夕日を背にこちらへと駆けてくる人馬が視界に入った。
**
「トーリ!!」
シィアは大きく声をあげる。だけど遠くに見える人影――トーリには届かない。なのでもう一度身を乗り出すように大きく叫べば、手綱を掴んでいた手がシィアを引き戻す。
「あっ――ぶないって!」
「でもっ!」
「馬の駆ける音で気づくから!」
そう言ってシィアを元の位置に戻したのはロナーだ。シィアは今ロナーが操る馬の前へと同乗している。というのも、町を飛び出して少し行ったところで、ロナーがシィアを追い掛けて来たのだ。しかも、宿から二人の荷物も引き揚げていて、トーリの元まで連れて行ってくれると言う。
よくは知らない人、でも躊躇ったのは一瞬で、トーリの元へと連れて行ってくれるならとシィアは直ぐにその提案に乗った。
ロナーが言ったようにもう少し近づくとトーリがこちらへと顔を向けた。
だけどトーリの顔が怪訝なものから驚いたものに変わるにつれ逆にシィアの眉が寄っていく。シィアの優秀な鼻が血の匂いを嗅ぎ取った。
馬の歩みが止まると同時に飛び降りトーリに駆け寄る。
「トーリ! 怪我した!?」
「あ、ああ…まあ、うん、ちょっとしくじってね」
「しくじっ…?」
「でも大丈夫だよ、もう傷は塞がってるから」
「でもっ!」
「それより――」
シィアの声を遮り、宥めるように大きな手を二回ほどポンポンと頭の上で跳ねさせた後、トーリの視線はシィアの後ろへとそそがれた。
「何故、ロナーさんがシィアを?」
「あ…、いや、…それより頭は? 塞がったって…、本当に大丈夫なのか?」
「ええ、大丈夫です。僕は特殊なので」
「特殊たって…」
「そんなことより話を戻しましょう。どうしてシィアをここに? まさか僕と一緒にサーペントの餌にしようとでも?」
( サーペントの餌!? )
シィアは驚いて耳としっぽをピンと立てる。トーリはうっすらと笑ってはいるがその眼差しは冷たく、どこか冷え冷えとした空気を醸し出していて。怪我のこともそうだが、どういう意味か尋ねようにも何となく口を挟める雰囲気ではない。
躊躇っている間にも話は進む。
「そ、そんなことはしない! 違うんだっ!あれは申し訳なかったと…っ、…止めることが出来ずにっ。まさかあんな暴挙に出るとは、…すまない…」
馬を降りシィアの背後に息を潜めるように立っていたロナーは慌てて大きく首を振り、次に項垂れるように頭を下げた。
シィアにはよくわからない会話ではあるが、ロナーの言葉と態度からすれば二人の間――でなく、一緒に行った人たちとトーリの間で何かがあったのだ。そしてロナーは頭と言ったか?
二人が対峙している間に少しだけ体をずらしトーリを仰ぎ見たシィアはハッと息を呑む。視線の先には白髪に絡む赤黒い汚れ。
「トーリ! 頭に血が…っ!?」
「――え? …あ…」
シィアの悲鳴のような声に、驚いて振り向いたトーリから一瞬で冷たい雰囲気が霧散する。
しまった…というような顔になり、泣き出しそうなシィアをぐっと喉を鳴らし見下ろした後、戸惑った顔を向けるロナーを一度見やってから再びシィアへと視線を戻した。
「あー…、シィア、大丈夫だって言ったろ? 頭の傷は血がよく出るもんなんだ」
「……痛くない?」
「痛くないよ」
「本当?」
「ああ」
シィアはじっとトーリを眺めるが、言うように、トーリから痛いだとか辛いだとかの感情は窺えない。それでも、ぎゅっとトーリの服の裾を握りしめ見上げるシィアに、トーリは小さなため息と共に声を零す。
「僕のことよりも、…シィア気づいてる?」
「…?」
「フード、被ってないって」
「………、――!!」
バッと勢いよく頭に手をやると、フサッとした自分の耳に触れた。そう言えば、町を出て直ぐにフードがはずれた気がする。
――ということはだ。
今の今までシィアの耳は出たままだったことになる。
「………」
今更ながらにフードを被り直し、トーリの後ろに隠れたシィアはロナーを見る。けれど男の顔は戸惑いはあっても嫌悪感は見えない。
大体そんなものを向けられていたら、トーリのためとはいえシィアとて馬に同乗などしていなかっただろう。
「あ、あの…えっーと…?」
いまいち状況がわかっていない男の呟きに、作戦通り怪我の件からシィアの意識を逸らせたトーリがまたロナーへと視線を合わせる。だけどもうそこに冷たさはなく。軽く眉をあげたトーリは、小さく諦観のため息を吐いた。




