10.魔獣
火を起し、炎が安定したら水を汲んだ鍋に浄化石を入れ火にかける。トーリは夕食の準備に取りかかりながら魔獣についての話を始めた。
「魔獣っていうのはその名前の通り、『魔力を持った獣』だよ」
「魔…獣…?」
「うんそう。 前に魔力の話をしたよね? 人間が魔力を持ってるように、他の生き物にも魔力を持つものがいる。それが魔獣だ」
「へえ」
「生き物だけじゃない、植物だって、それに生命のないものにだってそれは宿るんだ」
「生命のない?」
「そうだな、例えば――」
トーリは一旦言葉を切り、二本の細い棒を指先で持つと、くつくつと鳴りだした鍋からゴツゴツした石を器用につまみ上げた。
「これもそのひとつ。石に魔力が宿ったものを魔石と言って、これは浄化石という名の魔石。用途は知ってるだろ?」
「水を奇麗にする」
「そう、シィアが前に見つけた集光石だって魔石の一種だ。ただしあれはそのまま使うというよりは魔道具師の加工が必要だけれど」
「ふーん…」
「で、話は戻るけど」
石を鍋から取り除き、今度はナイフを手に取ったトーリは野菜の皮を剥きながら続ける。
「魔獣は同種の獣よりも力が強く体も大きいんだよ。それでさっきシィアが捕まえれると言った蛇も、魔獣になるとサーペントと言うんだけど、体長は平均でも五ムート(※)あって胴回りはシィアの横幅よりも太い。その上で一番厄介なのは――」
「厄介なのは?」
「攻撃性が高い」
「…襲ってくる?」
「たぶんね。まあ絶対とは言い切れないけど」
シィアは眉を寄せる。確かにトーリが言うようなサイズの蛇では捕まえることなど出来そうにない。
なら武器があればどうだろう?
シィアは自分の手元を眺める。手には小さめのナイフを持っていて野菜の皮と格闘している。まだまだ練習中であるために随分と分厚い皮になっているけどそれは御愛嬌。
小さいとはいえ自分の爪よりは刃先の長いナイフ、これならばいけるだろうか?
そんなシィアの考えを見透かしたようにトーリが言う。
「シィア、魔獣と出会った場合は基本逃げるのが鉄則だから」
「あっ」
「まず出会わないのが一番だけど、出会ってしまったら戦おうとせずに逃げることを真っ先に考えること」
「……はい」
「うん。それにたぶんシィアは僕らより気配に敏感だろうから、そういった危険予測も養っていこう」
「…ん、わかった」
外の世界を知らないシィアにとってはトーリが生きていく上でのお手本となる。なのでそこは素直に頷く。
奇麗に剥かれたトーリの野菜も歪なシィアの野菜も全部鍋に放り込む。
シィアが手を出せるのはここまでで、最後に仕上げていくのは当然のようにトーリだ。それでもおかあさんに教えてもらっていた時とは違い、今は真面目に勉強中のシィアではある。とは言え上達への道は長そうだ。
食事を終え片付けをして、焚き火の調整しているトーリから先に寝るように言われたのでシィアはいそいそと寝床へとあがった。
待ちに待ったハンモック。先に張ったものの少し斜め上に張ったものがシィアの寝床だ。
張り出した枝を登りハンモックに収まる。上を見上げると、天蓋のように繁った葉に焚き火の炎がゆらゆらと陰影をつけ、パチパチと小さく爆ぜる音が心地よい。
ハンモックに多少興奮していたシィアだが、程なくして、眠りの中へとあっさり落ちていった。
夜半、シィアのハンモックが微かに揺れる。
「………?」
「シィア、起きたかい?」
「…トーリ…?」
「しっ、大きな声は出さないように」
「…?」
目を擦り起き上がったシィアは瞬間ブワッと毛を逆立てた。
何だろう? 物凄く嫌な気配が近づいてくる。
固まったシィアをトーリは布のようなもので包み、何事かと尋ねようとしたら、再び「しっ…」と声をひそめさせた。そのあと、木の下を何か大きなものが引き摺るように進む。
これはもしかして。
無言のままにトーリに視線を送ると、小さく頷かれた。
それから少しして、離れた場所で激しい水音と動物のけたたましい鳴き声が響き、シィアはペタンと耳を閉じ自らの手で塞ぐ。それでも、悲痛な断末魔の声を塞げはしなかったけど。
どれくらい経ったか、トーリがシィアの肩を叩く。
「シィア、もう大丈夫だ」
告げられた声でそっと手を離し恐る恐る耳をあげる。確かに、さっきまであった嫌な恐ろしい気配は感じない。
シィアはすぐ側にいるトーリへと視線を向けた。
「…今のは魔獣?」
「ああ、さっき話してたサーペントだよ。あの湿地帯はやはり縄張りだったみたいだ」
「…何か襲われてた…」
「うん。水場に来ていた何かの動物だろうね」
「…食べられた?」
「たぶん」
トーリはさらりと言う。弱肉強食は自然の摂理。魔獣相手でなくとも日常的に起こり得ることだ。今だって、もしかしたら食べられてたのはこちらだったかもしれない。
だけど、先ほどの断末魔の声を思い出しシィアはちょっとだけ耳を倒す。
「取りあえず今夜はもう安全だろうからシィアは寝てもいいよ。夜明けはもう少し先だから」
「………」
「…寝れない?」
耳を後ろに倒したまま頷くと、「まあ、仕方ないか」と零したトーリは布に包まったシィアをひょいと持ち上げた。
「わっ!」
シィアにとっては顔の高さであったハンモックもトーリからしたら胸元辺りだとはいえ、軽々と持ち上げられて驚く。
「まだまだ軽いね。シィアはもっと食べた方がいい」
そう言ってトーリは枝分かれした広い股部分にシィアを抱えたまま座り込んだ。幹にもたれたトーリの体の前にシィアが収まるような格好だ。
「落ちると危ないからね。それじゃあ、眠くなるまで話でもしようか? 何か聞きたいこととかあるかい?」
「聞きたいこと…」
聞きたいことと言われれば、今はあのサーペントという魔獣のことだろう。
「トーリは、さっき湿地帯?が縄張りだって言ったけど、シィアたちが通った時に襲われなかったのはお腹が空いてなかったから?」
「お腹が空いた、か…」
トーリが小さく笑うと体も揺れ、抱えられたシィアも一緒に揺れる。
「そう考えると生理的な欲求だから仕方ないって思えるな」
「違うの?」
「まあ少しはあるかもしれないけど、サーペントは基本夜行性なんだよ。昼間はたいてい巣にこもってる」
「ふーん、木に登ってたから今は襲われなかった?」
「それも少し違うかな。でも木に紛れて隠れてたってことにはなるか。 シィア、蛇にはね、ピット器官ていうのが備わっていて熱を感知出来るんだ。生き物の体温を感知出来る。だから気休めだとは思うけどシィアに布を被せた」
「へえ。トーリは物知りだね」
「僕には時間が幾らでもあったからね。本から人から経験から学んだんだよ。シィアもこれから沢山覚えていけばいいさ」
トーリの言う通りに、シィアにはまだ知らないことが沢山ある。学ぶべきことも。
今回のことだって、トーリに起こされなければシィアはサーペントの存在に気づかなかった。気づかないまま腹の中、なんて可能性だってあった。
耳も鼻も人よりいいと自負していたシィアは少ししょげる。圧倒的に経験値が足らない。
しょんぼりとしたシィアはトーリに体を預ける。それを眠くなったと思われたのか、トーリの手が一定間隔で優しくシィアの背を叩く。おかあさんがシィアを寝かしつける時によくやっていた動作だ。
これだけ近づいていてもやっぱり、トーリから生命力らしき匂いは感じないが、それはもう言わないことにした。
だってトーリの心音は規則正しく刻まれているし、トーリの腕の中は温い。
叩くリズムが良い子守唄になり、そのせいか、眠れそうになかったはずなのに少しづつ瞼が重くなる。
そんなボヤけた思考の中で思い返す。
トーリは生き物の体温を感知出来ると言った、だからシィアに布を被せたのだと。
………じゃあ、トーリは?
※一ムート = 一メートル




