臆病者の選択
昔からずっと、逃げてばかりだった。
無難な道ばかり、選んできていた。
そろそろ、変わりたいと思う。
変われる道を、選びたいと思う。
――それが、どんなに人並み外れていたとしても。
「そうかい……ミヒトも旅立つ時か。寂しくなるねぇ」
「はは……すみません。お世話になりました」
頭を下げ、今まで面倒を見てくれたおじさんに礼を告げる。
「いいのいいの、若いモンは夢追ってナンボよ、達者でなー」
笑顔で見送って貰い、ミヒトは再び頭を下げて家を出た。
数枚の衣服や薬草といった最低限の荷物を背負い、振り返ることなく故郷を去る。
それはありふれた旅立ちの姿――であるが、ミヒトが向かうのは、彼等とは逆の道。
「……貴様もここを立つのか?」
「ぎゃっ!?」
悲鳴を上げて振り向けば、赤髪の優秀な少年が、訝しげにこちらを見ていた。
「そんな声を上げることないだろう……、……」
何やら考え込み、少年は顎に手を当てた。
(な、なんの用なんだろう……?)
ミヒトがまじまじと様子を伺っていると、少年は「そうだ」と発する。
「この近くにギルドのある街は一つだけだ……。行き先は同じだろう、俺が護衛してやる」
「えっ!? なっ……!!」
――お前そんな性格じゃなかっただろ! むしろもっと人の心をケチョンケチョンに折るような、他人に興味が無い感じだったじゃないか!
「勘違いするな。出来損ないとはいえ同期に野垂れ死なれたら折角の門出にケチが付く」
――だから、今そんな急に優しくされても困るんだって!!
困惑に動揺、それからイラつきと複雑な感情がせめぎ合って固まったままでいるミヒトの態度をどう受け取ったのか、少年は冷たくあしらって背を向けた。
「俺だって魔法も使えるようになったし、一人でも戦えるって!」
このままじゃマズいと食い下がるミヒトに、冷えた瞳が振り向いた。
「魔法? ……ほんの数日前までひよっこだった貴様が? ……ほう、もしも本当だと言うのならば、何か攻撃魔法を使ってみるがいい」
見透かすような眼光を受け、背筋が冷える。
先日失敗したあの日から、一度も魔法の練習などしていなかった。
(できるわけが、ない……)
恥を掻く前に謝ろうか、それともやるだけやってみるか、そんなマイナス思考に陥りかけて、ミヒトはハッとして頭の中に掛かる黒い雲を振り払った。
(……いや……)
――ここで諦めて、落ちぶれたままで終わるのか? この村で過ごすのも今日で最後。それなら、失敗してもいいから、挑戦して行くべきではないのか――?
自分を奮い立たせ、ミヒトは勢い良く魔法を詠唱した。
掌の前に、赤い魔方陣が浮かび上がる。
「バーニング!」
放たれた小さな炎弾は、一瞬だけ勢い良く飛び、煙となって霧散してしまった。
「……ふん……」
呆れて鼻を鳴らす少年は、ほんの数秒後に、肩を跳ねさせた。
爆音と共に、修行の的に使っていた案山子が激しく燃え上がったのだ。
「なんだこの、魔法は……!?」
一瞬炎が消えたように見せかけ、時間差で遠くに炸裂させて相手の不意を突く魔法――驚愕に目を見開きながらも、初めて見たこの現象を、そう理解した。
しかし、一番驚いたのは魔法を撃った張本人だ。
(えっ? ……なんだ、今の……!?)
煙となって魔法が消えて、いつも通り失敗した……と思っていた。
(もしかして、色々なヤツと関わった影響で、魔法が使えるように?)
自分の手をじっと見るミヒトを余所に、赤髪の少年は苦虫を噛んだような顔をした。
「……どうやら、少し貴様を見くびっていたようだ。……先の言葉、撤回しよう。今後俺達はライバルだ、無闇に手は貸すまい」
吐き捨てて、一度も振り返らず去って行く背中を(まあ、もう会うこともないだろうけど……)と内心で思いながら、見送る。
心が弾むような想いで一歩踏み出した時、突如傍に合った草むらが揺れた。
「危なかったですね。迎えに来ていて良かったです」
草陰からこっそり顔を出して、マリオンがくいと手招きする。
彼の手の甲や顔に浮かび上がっていた紋様が、消えていくのが見えた。
「……もしかしてさっきの……」
「これでも夢魔なので、魔法は得意なんですよ」
中々器用でしょう、と得意気にされ、「ありがとう」と礼を言いながらも、(魔法が使えるようになったわけじゃなかったのか……)と、がっくり肩を落とすミヒトに、小さな手が差し伸べられた。
「えっと……、昨日もお会いしましたけれど。改めまして、マリオンと申します」
「ああ……。こちらこそ、俺はミヒト。改めてよろしく頼むよ」
挨拶を返すと、マリオンはにっこりと笑って、こっちです、と道を案内してくれる――
***
洞窟までの道を二人で歩く中、ミヒトは隣を歩いているマリオンの横顔をなんとなく見つめていた。というのも、やはりどう見ても子供にしか見えないからだ。
(……コイツ、本当にインキュバスなのか?)
しばらくそうしていると、マリオンが不思議そうに振り向いた。
「なんでしょう……、僕の顔に何か?」
どうやら視線に気づかれたようで、怪訝そうにする彼と視線が交差する。正面から見るとますます魔物には見えないな、と、じっと顔を見て思う。
――なんだか、急に瞼が重くなってきた。頭にもやが掛かったように思考が薄らいでいく。けして悪い気分ではなく、春のまどろみのように、心地よく身を預けたくなるような。
すると、目の前のマリオンが、急にハッとした顔になって――
“カッ!”
顔の前で十字架が光り輝き、ミヒトは眩しさに意識を覚醒させた。
目の前では、マリオンがなんだか申し訳なさそうな、少し困った顔をしている。
「ごめんなさい、大丈夫ですか? うっかりしていました……」
「今のは……?」
光の影響でチカチカする頭で尋ねると、マリオンは気まずそうな顔をした。
「興味とか、好奇心とか、そういう気持ちを持って僕の目を見ると……、その、魅了されちゃうんです。僕、コントロール出来なくて……」
なるほど、それで、と納得すると同時に、もし彼が魅了に掛かりかけていることに気づかなくて、あのまま完全に魅了されたらどうなるのか。恐怖半分で聞いてみた。
彼は少し視線を彷徨わせると、露骨に目を背けながら答えた。
「……まあ、永続ではないですよ。手が塞がってなければ先のように治せますし」
“どうなるのか”をあえて答えずその先だけ告げた彼が『察してくれ』と言わんばかりに気まずそうな目を送って来るので、それ以上突っ込む気にはなれなかった。
「しかし、見つめ合うだけでアウトか……、以外に経験豊富だったりするのか?」
「何聞いてるんですか……」
殆ど初対面に近いが、夢魔相手だし良いだろうと思って振った話題で思いの外ドン引きした顔をされ、ミヒトは慌てて先の発言について補足した。
「い、いや! だって夢魔って人の精力を食べるんだろ!?」
「ああ……、らしいですけど、僕はそういうのしたことないので」
「……サリーみたいに、何か問題でもあるのか? 女性が怖いとか」
あのダンジョンメンバーには前例があるだけにそう尋ねると、マリオンは「いえ……」と口元に手を当てて考え込むような仕草を見せてから、改めて口を開いた。
夢魔が人を襲わないことにどんな理由があるのか、なんとなく気になるところだ。
「ほら……なんというか、魅了とか、そういう一時の感情で女性にそういうことさせるのって、どうかと思うんですよね」
「めちゃめちゃ普通の理由だった!」
まあ確かに正論ではあるのだが、腑に落ちない。本当にこの少年が夢魔なのだろうかと改めて疑問を抱くが、先ほど魅了されかけた以上疑う余地は無いだろう。
「精力とか食べなくても問題無いのか……?」
当然の疑問に、当人は「さあ……」と他人事のように答える。
「今のところ大丈夫です。半分人間だから、というのもあるでしょうが」
「えっ!?」
今度こそ驚いて声を上げるミヒトに、マリオンは首飾りを持って見せた。
「母が人間なんです。シスターだったんですけど……、禁断の恋、みたいな」
……言われてみれば、先ほどの魔法も十字架を媒体にした聖魔法だった。それに、思想も至って常識的だ。そんな彼が、一体どうして、魔物としてダンジョンに居るのだろうか?
疑問が浮かんだが、なんだか聞いてはいけないことのような気がして、言葉を飲んだ。彼自身が『禁断の恋』と表現したのは、それなりの理由があるように思えたのだ。
彼もまたこの話を長く続ける気は無いようで、ところで、と話題を変えた。
「ミヒトさんっておいくつなんですか? ご家族が心配なさるのでは?」
「あー……、確か今年で十七だ。他はどうか知らないけど、俺のとこじゃ珍しくないさ」
子供に年のことで心配されるなんて、となんだかむず痒くなり、頭を掻いて答える。
「俺んとこは昔から村単位で勇者育成に協力してたとかでさ、小さい頃から学びの過程で戦闘訓練受けて、優秀な奴は十歳超えたら街で本格的な訓練受けたりして……」
そこまで口にしたところで(俺はその『優秀な奴』ではなかったんだけどな……)と自虐的な気持ちになり、声のトーンに少し影が落ちる。
「……まあ、うん。十八歳までに、皆街に出るのか、村で暮らすのか決めてるから、旅立つんだったら俺くらいの年が普通……、普通だな」
思えば、今まで挑戦することから逃げて、あまりにも普通過ぎる人生を送ってきたものだ。その上、才能も無いのに、諦めることからさえも逃げ続けて、この年まで……。
「ああ……、俺って本当、普通のやつだったんだな……」
急に卑屈になっていくミヒトにぎょっとして、マリオンがまあまあ、となだめる。
「大切なのは過去よりも今ですよ」
ダンジョンのボスをやるなんて、並大抵の決意では出来ないことだと諭されて、流れでそうなったとはいえ、なんだか気恥ずかしくなって来る。
「十七――僕と同い年でダンジョンの主だなんて、すごいですよ!」
「は、はは、そうかな……、ん!?」
調子付きかけていた気分が吹き飛び、ミヒトはまじまじとマリオンの顔を見た。
「……お、同い……年……?」
「あ、着きましたよ!」
呆然とするミヒトを置いて、マリオンは洞窟の方へ駆けてゆき、手招きをした――
少しばかり投稿遅れました。ごめんなさい…!