ダンジョンのボスに なりますか?
「ダメですよサリーちゃん、急に襲い掛かったりしたら」
「うっ……、ティナが大騒ぎするから、敵だと思ったのデス!」
敵意の無い人間に襲い掛かろうとしていた吸血鬼、サリーがセイレーンにたしなめられ、言い返しながらもバツが悪そうに細剣を鞘に仕舞っている。
その光景をミヒトが手持無沙汰に見ていると、ティナと呼ばれていたセイレーンが、申し訳なさそうに振り向いた。
「ごめんなさい、サリーちゃんは悪い子ではないのですけれど、少しばかり喧嘩っ早いというか、血の気が多くって……」
「ワタシはいつも貧血気味デスヨ?」
血、飲めないし! と何故か得意げにするサリーを「そういう意味ではなく……」とセイレーンが呆れて見つめ、ふとミヒトの方を見ると、ぺこりと頭を下げた。
「どうも失礼いたしました。……名乗りが遅れましたけれど、私はティナと申します。よろしくお願いしますね、ええと……」
「ミヒトだ。えっと、その、よろしく……?」
たどたどしくセイレーン――ティナと自己紹介を交わしたのち、ティナがきょとんとミヒトを見つめながら、首をかしげた。
「そういえば……、ミヒトさんはどうしてこちらに?」
問いかけられたことで目的を思い出し、ああ、と答え始める。
「スライムに誘われたんだ。この洞窟にスライムはいるか?」
「はい、たくさん」
彼女の視線を追うと、様子を見ていたスライム達が一斉に岩陰に隠れた。が、どれもこれも、あのやけに肝が据わった一回り大きなスライムとは全然違う。
「……いや、もっとこう、言葉を話すのが上手いんだけど、アホで、間の抜けた顔の……」
顔を半分だけ出して様子を伺うスライム達を一瞥しながら、頭に例のスライムを思い浮かべて説明していると、サリーがぽんと手を打った。
「もしかしなくても、あのスライムではないデスか?」
「……ああ、あの……?」
「うん、たぶんその……」
曖昧な会話をしていると、部屋の入り口の方から元気な声が聞こえてきた。
「たっだいまー!」
見れば、所々に汚れのついた一回り大きな薄緑色のスライムが立っている。
「野良犬に追いかけられて散々だったよー……、あれ? 皆集まってどうしたの?」
「あああアイツだー!」
「きゅぴっ!?」
自分を指差して叫んだミヒトを、スライムは目を真ん丸にして見つめた。
「あ! 勇者さんだ勇者さん! よくぞここまで辿り着いたな!!」
「もうそんな空気じゃないし、そもそも俺勇者じゃないし……」
「どうだこのダンジョンの立派な魔物達はー!」
「聞けよ!!」
勇者〝見習い〟のミヒトの言葉には耳も貸さず、一方的に喋り続けるスライムを見ながら、ミヒトの隣でサリーが、そういえば、と口を開いた。
「スー。なんか地図をドロップしてくるとか、意味わかんないこと言ってたデス」
「そうそう! 今日さ、この勇者さんに倒されて、地図を落としてきたの!」
「倒されたっていうか当たり屋まがいのことされたんだけどな」
「はぅ……スーさんがご迷惑を……ごめんなさい……」
ティナの心の底から申し訳なさそうな謝罪を聞いて、慌ててフォローする。
「い、いやいや、こっちも色々行き詰まってて、むしろ良かったっていうか……」
口に出していたら目を逸らしていた現実を思い出してしまい、声色が暗くなる。
「あれ? どうかしたの? 勇者さん」
――こちらを純粋な瞳で見つめるスライムは、俺のことなんて何も知らない。
俺は、勇者じゃないんだ。見習いという言葉で誤魔化していたけれど、魔法の一つも使えない勇者なんて……
「ねえ、勇者さ――」
「違う!」
……否定の言葉を口に出してから、自身の声色に酷い苛立ちが混ざってしまっていることに気が付いた。目の前で唖然としているスライムを見て、バツが悪くなり目を逸らす。
「……さっきも言ったけど、俺、勇者なんかじゃないんだ。なれないんだ、俺には……」
俯くミヒトを励まそうと、ティナが湖の中から「そんなことありませんよ」と声を掛ける。彼女の眼差しは真剣そのものだ。
「なれない、だなんて、自分が諦めてはだめです! 生きて前を向いていれば、人生何があるかなんてわからないのですから」
ティナに続いて、スライムも、励ましの言葉を投げかける。
「そうだよ! 努力があればなんでもできるって誰かが言ってたし!」
しかし、その言葉は、ミヒトにはほんの少したりとも響かなかった。
「大丈夫? 努力があれば? 俺が努力していないとでも……?」
先程までの態度からは考えられないほど、ミヒトは冷たく吐き捨てる。
「したさ。諦めなかったさ。それがどうだ? 幼馴染は飛び級で、同期にはどんどん置いていかれ、先生にすら別の道を探すように言われたんだ」
無責任な励ましの言葉は、時に罵倒より鋭い刃物となる。深く傷ついた様子のミヒトを見て、ティナとスライムが、神妙な面持ちで俯いた。
「お前に、お前らに……モンスターなんかに俺の何がわかるんだ!!」
ここまで言って、ミヒトはハッとして周囲を見た。目の前ではスライムとティナが申し訳なさそうにしゅんとしていて、少し離れた場所でサリーも不安そうにしている。
言い過ぎたと内省しながら、ミヒトは声のトーンを落とした。
「使えないんだよ……魔法が……親父は使えたのに……才能がないんだ……!」
文脈の乱れた、支離滅裂な悔しさが放出された後、静寂が訪れる。
皆が言葉を探している中、遠慮がちにスライムが前に出た。
「で、でもでも! 見てたよ、キミが立派な魔法を使うとこ!」
それはフォローのつもりだったが、それは不安定なミヒトの心に再び火をつける。
「立派な魔法……? これが……!?」
スライムに向けられた掌から、魔法陣が浮かび上がる。
驚いた顔をする一同を無視して詠唱を完了させ、煌めいた魔法陣から炎魔法が飛び出る。
「ピッ……」
魔法は一直線にスライムに向かったかと思えば途中でふらりと減速し、数十センチほど離れたところでコーンが弾けるときのような軽い音を立て、小さく弾けて消失した。
「……ほんの数メートルすら維持できない、この炎球魔法がか……!?」
――馬鹿にしているのか。そう言わんとしている目で、ミヒトはスライムを睨みつけた。
ギリ、と歯ぎしりが鳴る中、スライムはおろおろと体を揺らし、後退する。
「でも……。ごめんね、スー、スライムだから。力も、魔法も、なんもないスライムだから、わからないの。……だからね、魔法が使えるのって、やっぱり格好良いと思うんだ」
伏し目がちに伝えられた言葉を聞いて、ミヒトは自分の態度と悩みがスライムにとっては残酷で、鋭いものだったと気が付いた。
(そうだ……。俺だって、このスライム達のことを何も知らないじゃないか)
謝罪しようとした時、ぱしゃりと水音を立ててティナに話しかけられた。
「大丈夫ですよ、魔法が上手く使えなくても」
急に何を言い出すのかと呆気に取られるミヒトを前に、宣言する。
「私、セイレーンだけど歌えません!」
ぽかんと口を開けるミヒトの前で、続々と魔物達が飛び出した。
「ワタシはヴァンパイアだけど噛み付けないデース!!」
「スーはスライムだからバトルになったら死ぬしかない!」
物凄く明るく、とんでもなく致命的なことを言うものだから、ミヒトは先程まで抱えていた重い気持ちを忘れ、目を白黒させるばかりだ。
「は!? いや、歌えないセイレーンって……なら戦い挑むなよスライム!!」
混乱状態に陥るミヒトの前で、ティナがそっと自分の胸に手を当てた。
「――でも、それでも皆、こうして生きているんです」
ハッとした顔で、ミヒトが三匹を見る。
「生きていたら良い事はたくさんあるのデス! 大丈夫ダイジョーブ!」
「だからね、だからね、気にしなくても良いと思うの!」
「…………」
満面の笑みを浮かべるサリーに、安らぐような微笑みを浮かべるティナ。目元を引き締めキリッとするスライムにつられて、ミヒトの顔も綻んでいった。
「……ありがとう、あと、さっきはごめん」
悲しげに微笑みながら謝罪するミヒトの顔を、スライムが覗き込む。
「だからきっと、キミも勇者に」
「いや、……それはもう諦めたんだ」
スライムの言葉を遮って、寂しそうに笑いながら、言葉を続ける。
「やっぱり、夢だけじゃ生きていけないよ。……俺に勇者は無理だ」
そこまで言って、ミヒトはふと周りを見て、ぽりぽりと頭を掻いた。
「そんな顔しないでよ。……大丈夫、そりゃちょっと……いや、かなり残念だけどさ、きっと俺にも向いてることがあると思うし、前向きに行くよ」
しゅんとする魔物達にそう告げ、ミヒトはそろそろ帰ると言って、背を向けた。
「……ねえ」
スライムに呼び止められ、足を止める。
「勇者以外にやりたいことって、もう決まってるの?」
聞かれ、考える。
――最も現実的なのはおじさんの後を継いで薬草農家になることだが、それじゃあ偉大な勇者だった父に顔向けが出来ない。……無論、農家だって立派な仕事なのはわかっている。けれど、それでも、やっぱり……農家になるのは、最終手段にしておきたい。
(天国の親父と母さんに自慢出来るような、俺にしか出来ないこと……そんな仕事が、見つかったらいいんだけど……)
思い悩むミヒトの前で、スライムがぴょこんと跳ねた。
「やることないならさ、ここでダンジョンのボスやるってどうかな!」
「……へ?」
ぽかんとするミヒトを余所に、それは良い考えだと他の二人も騒ぎ始める。
「さすがスーさんです。私も人間さんのお仲間が欲しいと思っていました」
「おー! 敵を欺くにはまず味方からとも言うデスし、大歓迎デース!」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
このままでは仲間になったことにされてしまうと、慌てて割り込む。
「急に魔物のダンジョンに……しかもボスとして入るなんて、いくらなんでも無茶だ!」
「でもでも、楽しそうだと思わない?」
わくわくした顔で肩に乗ってきたスライムを見て、「そりゃあ……」と言葉に詰まる。確かに、目標を見出せないまま畑仕事に精を出すより刺激的ではある、けれど……。
様子を見てあと一押しだと思った魔物達は、一気に話を進めていく。
「やることは簡単ですよ。ただ皆さんの様子を見て、指示を出して頂ければそれで……」
「後はお買い物デス! 人の町に行ける魔物は少ないから助かりマスネ!」
「お金はあまったやつ全部あげるよ! スー達お金には興味ないもん!」
質問しようとしていたことを次から次へと先取りし、魔物達はキラキラと期待で溢れた瞳をミヒトに向け、囲む。
(……こ、断りづらい……)
ミヒトがはいの一言を選択するまで、そう時間はかからなかった――