血塗れの大聖女は、失われる命を救いたい!
思いついたので、年末の休みに書き上げました。
楽しんでもらえたら、幸いです。
◆◆◆◆◆
そこは、戦場だった。
魔の森から溢れ出る魔物を人里まで到達させぬ為に建造された堅固な砦。
その前で、迫り来る魔物の侵攻を食い止めるのは国の守護を担う騎士たち。
剣で、槍で、斧で、魔物を屠る音が響く。
矢で、砲で、魔術で、魔物を滅する音が響く。
このために鍛錬を積んだ騎士とはいえ、
この時のための武具を身に着けているとはいえ、
いつまでも無傷のまま戦い続けられるとは限らない。
「ギャアアアアアオオオオオ!」
「ぐあああ?! くそっ。こいつ……!」
魔物にとどめを刺し、若い騎士の緊張の糸が切れたほんの一瞬。死角から走ってきた狼型魔物が騎士の右ひじに噛み付いた!
「ランベルト! 動くな! フッ!」
先輩騎士からの『動くな』という指示に、痛みをこらえながら従うランベルトと呼ばれた騎士。
先輩騎士の振るった剣は魔物の首に吸い込まれ、魔物を絶命させる。
「ぐぅう……」
「ランベルト! 意識はまだあるな? 歩けるか?」
「大丈夫です! 助けてくれてありがとうございます、マルティーノ先輩」
「よし、救護所まで下がるぞ」
魔物の動きに警戒しつつ、砦近くまで撤退する二人の騎士。
砦の門扉をくぐると、そこにもまた戦場が広がっていた。
怪我で後退した騎士たち。ランベルトのように負傷したものの意識があり自力で歩ける者や、意識がなく荷車で運ばれる者もいる。
走り回る神官と聖女。癒し手である彼らは砦内の訓練場に天幕を張り、臨時の救護所としている。その中で治療を行い、騎士を戦場に復帰させてくれるわけだ。
しかし――――。
「先輩、いつもと天幕の位置が違いますね」
「あぁ。それに、色もいつもと違うぞ。向こうは白でいつも通りだが、こっちは緑に黄色に赤……」
訓練場内に張られている天幕は、騎士が遠征時に使う大型のものと同じだ。
白い天幕の周りには、治療待ちの騎士たちがたむろしている。
一方、三色天幕の方には外で待っている騎士はいない。
「さて、ランベルト。どちらの天幕へ行く?」
「えっ? えぇっと……」
迷う。
白い天幕へ行ったところで治療されるのは当分先だろう。かといって、三色天幕は人が少ないのが不安を煽る。
逡巡していると、私たち二人を追い越して三色天幕に足音高く進む騎士が一人。
「おい! 治療だ! 大聖女を呼べ!」
三色天幕の前に待機していた救護班の聖女に、必要以上の大声で怒鳴り散らしている。
(それだけ元気なら治療なんていらないだろ……)
言われた側の聖女は、そんな大音量の声など聞こえていないかのような飄々とした表情のまま反論する。
「……此度の戦場で、大聖女の御力はいざという時のため温存されるべきです。診たところ貴方様の御怪我は軽傷。大聖女でなくとも、神官や聖女の治癒魔術で充分に完治出来ましょう」
「――っ。私は辺境伯家分家の騎士だぞ! 最優先で治療されるべきだ!」
「我々救護班には、国王陛下と辺境伯閣下から治療の優先順位に関して、従来の身分順から治療の優先度順に変更する許可を頂いております。これに反対するということは即ち、国王陛下と辺境伯閣下に反旗を翻すことと同義になりますが、よろしいか!」
聖女が指さす先にはこの場に不釣り合いな豪奢な看板が立っており、そこには国王陛下と辺境伯閣下の署名が書かれた書類が二枚貼り出されていた。
「――っもういい!」
そんな捨て台詞を吐くと、偉そうな騎士は白い天幕の方へ肩を怒らせながら歩いて行った。
「ふぅ……。あ、そちらの騎士の方、お待たせしました」
「あっはい」
聖女がパタパタと近づいてくる。さっきの毅然とした態度とは一転、穏やかな表情だ。
「ちょっと失礼。《診察》」
「わっ」
聖女の言葉と共に、私の全身に魔力が通った感覚があった。
「なるほどなるほど」
ぶつぶつ呟きながら、持っていた黄色い紙にサラサラと書くとその紙を私に手渡してきた。
「こちらを持って黄色の天幕に入り、中の者に渡してください。治療を受けられますよ」
「あ、ありがとう――」
礼を言って黄色の天幕に向かって歩こうとした時、荷車を押す集団が来た。
「すまない! 治療を頼めないか?! 向こうの天幕の連中に断られてしまったのだ!」
「――すぐに赤の天幕へ! 荷台に乗せたまま中へ!」
「感謝する!」
……荷台に乗せられた騎士は、左腕が上腕半ばから先が欠損、左脇腹も大型の魔物が噛み付いたのか抉れていた。
あれでは、助かる確率は低いだろう……。
「ランベルト、行くぞ」
「……はい」
マルティーノ先輩に促されるまま、私は黄色の天幕に入った。
天幕の中は、布でいくつもの区画に仕切られていて、外の喧騒から隔離されたようでひどく静かだった。
想像との違いに呆けていると、若い神官が近づいてきた。
「負傷された方ですね。用紙を拝借します」
「あぁ……」
「……4番の区画に入ってください。そちらで担当の者が治療いたします」
「ありがとう」
用紙を返却され促されるまま奥に進むと、4と書かれた看板がある区画は布が閉め切られておらず、中を伺うことができた。
「しっ、失礼する」
緊張でつっかえてしまった。
中にいたのは聖女と神官が一人ずつ。私たちが入ると、神官は入り口の布を閉じた。聖女の方は私に近づくと用紙を覗き込んでいる。
「お、突風狼に噛みつかたか。ふむ、なるほどなるほど。よし、そこの椅子に座ってくれ。噛まれた方の腕は台座に乗せるように」
「は、はい…… 」
私は指示通り椅子に座り、痛みが走らないよう慎重に腕を台座に置く。しかし。
「あれ? 痛みが無い……?」
「ん? あぁ、『鎮痛の香』を焚いているからね。痛みは感じにくくなっているはずだよ」
なるほど。聖女が首飾りのように香炉を提げていたのはこのためか……。
「さて、まずは狼頭を取り除くところから始めよう。少し肉の焼ける臭いがするが我慢してくれ。《魔術刀》」
そう言うと、彼女の人差し指の先に小さな魔力が半円状に形成された。
それを狼の口に近づけると、ジュウという音と共に肉をどんどん切っていった。
速い。的確に腱の部分に刃を入れている。
私が見惚れている間に狼の上顎と下顎が切り離され、私の腕は狼の牙の拘束からようやっと解き放たれた。
「ふぅ……。ありがとうございます」
「いえいえ。続いて、怪我の治療に入ります。《浄化》、《中回復》」
治癒魔術をかけられたが、傷口が塞がる気配は無い。
「では、回復薬をかけます。少し、しみますよ」
「――――うっ」
覚悟はしていても声は少し漏れた。それでも、傷口が塞がっていく様子を見ると安心できた。
「残りの回復薬は飲んでください。……以上で治療は終了です」
彼女はなにやら書類に記入しだした。
回復薬を一息にあおる。肘を曲げたり伸ばしたりしてみる。
うん。大丈夫。
「骨に入っていた罅も治したので、剣を振るう場合は違和感が残るかもしれません。大事をとる場合はこちらの書類があれば安全な後方に送られますよ」
渡された書類に視線を落とす私。
「ありがとうございます」
「はい。次の患者に備えるので退室をお願いします」
「あ、はい。お世話になりました」
「世話になりました!」
先輩と一緒に天幕を出る。
「さて、私は前線に戻るが、ランベルトはどうする?」
「……私は――」
前線に戻るか後方に下がるか迷っていると、赤色の天幕から一人の神官が飛び出した。
「すみません! お手すきの騎士の方はいらっしゃいませんか!」
「おう! ここに二人居るぞ!」
「有り難い。天幕の中へ! 少々手を貸していただきたい!」
神官の後に続いて入った赤い天幕の中は、戦場だった。
砦外で鼻にこびりついた血の匂いが、ここにも漂っていた。天幕で区切られている分、においの濃さはこちらのほうが上か。
「――食いしばる力が強いと歯が割れることがあります。なので、こちらを噛んでおいてください」
「うむ。わかった――モガ」
案内された区画では、台に横たわった騎士が布の塊を噛んでいた。
「……先輩。あそこにいる方、先ほど助かりそうもない怪我で運ばれていきましたよね」
「あ、あぁ……。だが、生きているな。腕は無いままだが」
同じような怪我人と見間違えたかと思ったが、半円状に抉られた大鎧は先ほど見たばかり。見間違うはずもない。
だが、そこから覗けたのは綺麗な素肌だけだ。先ほどは腹の中身が見えていたというのに。
「騎士のお二人! こちらで患者を抑える手伝いをお願いします!」
そう私たち二人の呼びかけたのは、血塗れの聖女だった。
神官や聖女が身に纏う白い制服の半分以上が、返り血であろう赤黒い血で染まっていた。
そして、彼女ほどではないにしても、他の神官や聖女も制服に返り血がついている。
あぁ、戦う相手は違うのだろうが、ここもまた戦場なのだ。
「どのように抑えるのが一番良い?」
「腕に再生魔術を掛けるのですが、患者が暴れることが予想されるので腕が動かないように抑えてほしいのです」
「お、おう。わかった」
先輩が左肩辺りを押さえ、私も慌てて横たわる騎士を押さえにかかる。
「では、いきます!」
聖女が左腕付近に手をかざすと、淡い魔術の光が腕を包んでいく。
すると、上腕半ばで千切れていた左腕がじわりじわりと伸びて――いや、治っていく。
「おぉ……」
ある種神秘的な光景に気を取られていると、下で押さえつけている騎士がもぞもぞと動き出し、次第に痙攣のような震えに変わり、最終的には暴れるのと遜色ないほど動き回る始末。
「もっと! しっかりおさえこんで!」
「は、はい!」
「おう!」
聖女の叱責は至極ごもっともだ。ともすれば鎧を着こんでいる私と先輩を跳ね除けかねないほど体を動かしているのだから。
私たち二人は、体の上に乗るような姿勢で抑えにかかる。
「ギギギギギ――」
布を嚙まされた騎士の食いしばった口から聴いたことのない音が聞こえる。
表情も、『苦悶』という表現がしっくりくるほどだ。
と、押さえつつ観察していると、騎士の抵抗がふっと無くなった。
「大聖女様! 患者の意識が無くなりました!」
「! 好機ですね。このまま一気に治癒します!」
その言葉で、聖女が放つ魔術光が胴回りほどの大きさから、腕回りほどの大きさに変わっている。
しかし、治る速度は段違いだ。
そして――腕が完全に元通りになった。
「……ふぅ。処置完了。気付け薬を嗅がせて起こしたら、書類を渡して後方に移送して」
「はい、大聖女様」
他の神官や聖女に指示を出し終わると、治療していた聖女が私たち二人に向き合う。
「騎士のお二人、ご助力いただき感謝いたします」
「い、いえ……」
「こちらこそ、同僚の騎士の命を助けて頂き感謝いたします」
返答が紡げない私をしり目に、先輩はそつのない返答をしていた。
「……しかし、私も以前に治療部隊の世話になりましたが、こちらの天幕ではやり方を大胆に変えられたようですな」
「えっ、そうなんですか先輩?」
「おう、前までならあれほどの負傷なら『回復不能』として治療すらされないだろう」
先輩の言葉に血の気が引く。
魔物と戦う時、後々治療が受けられると思っているから多少の無茶もできるのに、それが無い場合があるのなら士気にも関わる事柄じゃないか!
「ええ。従来の治療基準で運用すれば、部隊の損耗も多大なものになるでしょう。それを改善したくて私は、新たな基準で運用される治療部隊を作ったのです」
「ですが、部隊単位とはいえ基準を変えるなど簡単に許されるとは……」
「だからこそ、私は国王陛下から勅命を頂いたのです」
天幕の前に掲示されていた書類はそういうことか!
「国王陛下から『褒美は何がいいか?』と聞かれた時、すぐさま『机上の空論を実績のある理論に変える機会が欲しい』と答え、ここに派遣されました。しかし、実績作りのためとはいえ治療に手抜かりはありません。私の手の届く範囲において、救える命は救います!」
今回の実績により治療部隊の運用が、王国の身分順の治療から緊急度順の治療に大きく転換することになる。
この改革の中核をなしたのがクリス・エヴァンゼリン騎士爵。
王国に三百年ぶりに生まれた大聖女である。
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