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5)上位貴族が払うべき見えない税

ローレンス家の馬車に揺られ、フィンリーは数日ぶりの学園に向かっている。

エレノアとして誰にも怪しまれることなく過ごさねばならないと思うと、今になって緊張してくる。

ただ、今日のところは午前だけで帰ることになった。

ローレンス公が、まだ身体も本調子ではないから午前だけにしておきなさいと言ってくれたのだ。

エレノアの姿でなるべく人と接触したくないからそれでよかった。

男女でクラスが分かれている、それが理由でもないがエレノアにどんな友人がいるのかまるで知らない。

エレノアから聞いた二人の友人も、名前と顔が一致しなかった。

女性はみな同じように見える。

学園の門前で馬車が止まり、従者が昼に迎えに参りますと頭を下げた。

教室に向かって歩いていく途中、ひとりの令嬢が駆け寄ってきた。

茶色の髪を低い位置でまとめている、これはエレノアの話によってブランシュ嬢であろうと推察する。


「エレノアさま! ご体調が悪かったと先生がおっしゃっていて驚きました。もう大丈夫ですか?」

「……ええ、ありがとう」

「創立祭にご参加になれなかったこと、とても残念でしたわ。エレノアさまのドレスを楽しみにしておりましたのに」


なるほど、ローレンス公はエレノアを単なる体調不良と学園に伝えたようだった。

エレノアが選んでくれた今日のドレスは、袖が手首までありスカートは脛が隠れるくらいの長さがあって怪我をしている箇所は見えない。

学園に定められた服はなく、華美ではないものというぼんやりした決まりがあるだけだ。

公爵家の二人が急に揃って大怪我となると、どうしたのかと勘繰られるのは避けられない。

エレノアを体調不良としたローレンス公の細やかな手回しにさすがと思った。

そういえばエレノアは創立祭にどのようなドレスを着る予定だったのだろう。

婚約者がいるフィンリーの友人は、タイやチーフを婚約者のドレスの色に合わせたと言っていたことを思い出す。

エレノアはそんなところでもフィンリーをまったく婚約者として意識していなかった。

そしてそれはフィンリーも同じで、エレノアのドレスに思い至ることもない本当に名ばかりの婚約者だった。

ブランシュ嬢と歩いていると、黒髪の令嬢もやってきた。

こちらはクラリス嬢に違いない。


「わたくしもエレノアさまのドレスを拝見したかったですわ。そういえばフィンリーさまもご欠席でしたの。公爵家のお二人がいらっしゃらないのでパーティの開始直後はざわついていました。

そういえばフィンリーさまは大怪我をなさったと伺いました。エレノアさまもご心配でしょう」

「ええ、本当に……心配ですわ……」

「分かりますわ、今日のエレノアさまは元気がありませんもの」


フィンリーは自分の名前が出てきてギョッとしたが、語尾を濁して下を向いておく。


「エレノアさま、どうか元気を出してください。いつものようにフィンリーさまのお話をいたしましょう」

「そうでしたわ! わたくし兄から偶然聞いたのですが、フィンリーさまの研究ノートが実験室に忘れられていて、確認のために中を見た兄があまりの達筆に驚いたと。すぐに先生に届けたそうですが、わたくしこの話を聞いてエレノアさまにお話ししなくては! と思っていたのです。

どうでしょう、少しはお元気になりました?」

「そ、そうですね……」


お元気どころか背中がゾワッとした。

俺が達筆? そんなふうに誰かに言われたことはなかった。

自分に限らず貴族であれば、幼少の頃から手習いを始め多くのことを厳しく学ぶよう躾けられる。

文字などきれいに書けて当たり前で、別段褒められるようなことでもない。

何よりここまでの話の流れの意味がさっぱり分からなかった。

理由が分からないが褒められたようではあって、その分からなさ具合が居心地悪い。


「うふふ、エレノアさまにとってお菓子よりもフィンリーさまのお話ですものね」

「フィンリーさまのお話の後は胸がいっぱいになって大好きなお菓子も食べられなくなるエレノアさまがお可愛いので、わたくしたちもついフィンリーさまのお話を探してしまうのです」


教室に入って席につくと、フィンリーは先ほどの会話を思い出す。

どうやらエレノアと友人たちが自分の話をしていること、そして何故かそれはエレノアにとって大好きなお菓子以上であるということ。

冷静に自分に都合のいい部分を取り除き、聞いた話の事実だけを並べてみても、

「大好きなお菓子」「以上」の「フィンリーの話」となる。

言い替えると、

「フィンリーの話」は「お菓子以上」に「大好き」。

フィンリーは自分の頭に手を突っ込んで、今並べた言葉をワーッとかき混ぜてしまいたくなった。

まさか令嬢たちと一緒にいると、自分の背中が痒くなるような話をずっと聞かされるのだろうか。

そしてエレノアはそれで胸がいっぱいになって菓子も食べられなく……なる……?

フィンリーは顔が熱く火照るのを感じた。

だってそれでは、まるでエレノアが俺のことを、その……好きだと言っているみたいではないか……。

入れ替わってしまう前の学園でのエレノアを思い出そうとすると、もう遠い昔のことのようにぼんやりしている。

すれ違うことがあっても目を伏せられてしまうので、エレノアの笑顔は思い出そうにもそもそも最初から記憶に入っていない。

エレノアに興味を持たれていないと意識するのは自分にとって少々嫌なことだった。

それならば、なるべく近づかないでいれば気持ちを平らに保つことができる。

婚約者であることは誰もが知っていて、フィンリーの友人たちはエレノアの噂を拾ってくればそれを自分に面白おかしく話した。

試験の結果が張り出されると、俺が見なくてもエレノアの順位はすぐに知ることになる。

成績のいいエレノアだが、常にトップを守り続けているわけでもない。

エレノアに勝ててもいないのに、エレノアの順位が下がれば嬉々として自分の耳に入れてくる。

学園内で一緒に過ごしている友人たちではあるが、そうした連中とどこか自分の中で一線を引いているつもりだった。

エレノアの友人令嬢たちと少し話して自分とエレノアの違いがはっきりした。

エレノアは、俺の話題を喜んでくれて友人たちも悪口どころか俺の『いい話』をエレノアにしていた。

俺はと言えば、婚約者に興味を持たれていない男と思われるのが嫌なあまり、エレノアのあまりよくない話を呼び込んでいたようなものだ。

周囲の人間が悪いのではなく、そうさせてしまっていたのはまぎれもない自分だった。


「……小さいな……」


口の中で押し潰すような独り言だった。

胸の奥に重い石を詰め込まれたようにずっしりと痛む。それを抑えるように胸に手を当て、ハッとしてすぐに離した。

そういうつもりではなく……。

先生の足が自分の前で止まった。


「まだ体調は優れないかな? 

もう私の授業は終わった。あまり無理をしないほうがいい」

「……先生ありがとうございます、大丈夫です」


午前の授業をなんとかやり過ごし、クラリス嬢とブランシュ嬢に今日はこれで帰ることになっていると伝えた。

ひとり中庭を歩いていくと、聞き慣れた声に立ち止まる。


「あら、フィンリーさまの婚約者さまがいらっしゃるわ」

「一人でいるとは珍しい、いつも三位一体像のようなのになぁ」


フィンリーの友人たちが、植え込みの向こうで声を掛けてはこないが明らかにこちらに聞こえるように話している。

まあ、公爵令嬢であるエレノアに声を掛けることができる身分の者はその中にいない。

学園内は比較的そうしたマナーは緩やかではあるが、それはごく親しい間柄の場合である。


「一人で創立祭に出るのがお嫌で体調不良ということになさったのかと思っていたけど、あまり顔色が優れないご様子ね。体調不良は本当だったのかしら」

「そりゃあ相手にされていないとは言っても一応は婚約者なんだから、フィンリーが大怪我をしたと聞いたら顔色も優れないよ」

「あら、大怪我をしたと聞いたらそうかもしれないけど、フィンリーさまが婚約者さまにそんなお話をすることがあるかしら?」

「うーん、二人が話しているところを見たことがないけど、さすがに婚約者なんだからさ、澄ました顔はしていられないだろう」

「フィンリーはどうだろうね。他人行儀で取り澄ました公爵令嬢より、優しく触らせてくれる平民嬢のほうがよかったりして」

「男の人ってすぐそういう話になるんだから! 淑女に聞こえてしまうわ」

「そうだよ、聞こえたら大変だよ、公爵家が黙ってないぞってね」


聞こえてしまったのではなく、聞かせようとしていたことはすぐに分かった。

メイジー嬢と、メイジー嬢と縁続きだというジェイクの言葉が下品すぎて聞いていられない。他の者たちもジェイクの言葉に、声を上げて笑っていた。


「でも聞こえたところで何の問題もないわ。あの方は気に入らなければこちらに何らかの手を下せる立場にあるのだから、腹が立ったのならそうすればいいのよ。

フィンリーさまにだって言いつければいい。こんな意地悪を言われましたってね。

でもただでさえ婚約者に興味のないフィンリーさまにそんなことを言えば、興味がないというのが軽蔑するに変わってしまうから、どうせあの方は何も言えないの。

たまたま上位貴族の家に生まれただけなのに何でも手にすることができるなんて、こういうのは上位貴族が払うべきただの見えない税よ!」


メイジー嬢は勢いが止まらないという感じに長々と言いたいことを吐き出した。

さすがに『こういうのは上位貴族が払うべきただの見えない税』という言葉に同意する者はいないのか、そこで話が止まる。

フィンリーはよせばいいのに、植え込みの向こう側に滑り出た。

そして『ごきげんよう』と誰にというわけでもなく声を掛け、そのまま振り返らずに馬車へ向かう。

連中が文字通り息を呑む音が聞こえたが、エレノアの後ろ姿に誰も挨拶を返してはこなかった。

あの者たちは俺の前でもあんな感じだ。

上位貴族を相手にどこまで『お遊び』が許されるか、うかがうような真似をしてくる。

俺がそれを適当に流して受け入れたように見えれば、自分は公爵家とざっくばらんに付き合える人間だという対外的なアピールになると思っている。

こちらが顔色を変えれば、冗談なのに公爵令息様はお心が狭いなどと揶揄するように言い出す。

そしてその怒りが本気と見れば、そんなつもりはなかった友人同士の戯言だったと周囲にだけ同情を買うように言って回る。

聞き流しても怒ってみせても俺にとっていいことはひとつもない。

だがエレノアに対してもあんな態度でいるとは知らなかった。

俺に向かっての言葉よりさらに下卑た言い方だった。

階級社会の鬱憤にプラスして、本来自分たち男のほうが女性より優位であるのにと言いたげな悪意までが込められていた。

何か言い返してやりたかったが、エレノアであるこの姿でそんなことはできない。

せいぜいさっきのように、涼しく挨拶をするくらいのことしかできなかった。

連中が黙り込んだところを見ると、少しはエレノアとして声をかけた意味もあったと思うが、そんなことで意趣晴らしには少しもならない。

奥歯が砕けるかというほどぎりぎりと噛みしめる。

俺とすれ違うときにエレノアがいつも伏し目がちだったのは、俺と一緒にいる者たちから日頃こんな言葉を聞かされていたということも、理由のひとつに違いない。

それに気づかず、エレノアを守ってやることもしなかった俺は、あんなことを言う奴らとつるんでいる同類に見えただろう。いや、実際同類だったのだ。

ああした連中に馬鹿にされるのが嫌でエレノアに婚約を白紙にと伝えてしまったのだから。

自分に呆れてどんな言い訳の言葉も浮かばなかった。

エレノアと話がしたい。

今すぐエレノアにただただ謝りたかった。


門まで行くと、ローレンス家の馬車がフィンリーを待っていた。


「少し寄りたいところがあるのだけど」


フィンリーはエレノアがこういう言い方をするかどうかも分からないまま、従者にそう伝える。

馬車は賑やかな街並みで止まり、フィンリーは焼き菓子が買えるという流行りのティールームのドアを開けた。

甘いバターの匂いがフィンリーの鼻先をくすぐる。

菓子が好きだというエレノアにここの菓子を買ってみたかった。

最近話題のティールームのようで、いろいろなビスケットやりんごの焼き菓子が美味しいらしい。

まあ話題の出どころが先ほどのメイジー嬢なのが今となっては少し気になるが、旨い菓子に罪はない。

これを一緒に食べながら話をしたい、きっとそれは長くなる。

フィンリーが知らないエレノアの話を、身体がエレノアになったフィンリーは何でも知りたかった。

小さなビスケットをつまみながら、濃く入れたミルクティーを一緒に飲むところを想像して、フィンリーは知らぬ間に顔が緩む。

真っ白の包み紙に緑のリボンが巻かれている箱を渡され、そういえばエレノアの部屋には緑色のものがたくさんあったと思い出す。

エレノアは緑色が好きなのかもしれない。

この箱を少しはにかみながら受け取るエレノアを想像しようとしたが、姿は残念ながら自分だったなと思い出して、ほんの少しうんざりした。

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