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2)目覚めたらエレノアだった

──頭が割れそうに痛い。

いや、これは割れているに違いなく、自分の頭に怖々触れてみたがとりあえず割れて何か出てしまっているということは無さそうでほっと息をつく。

まぶたを開けるにもまたズキンと鋭い痛みが走った。


(ここはどこだ? 俺はどこにいる?)


なんとか目を開けて、部屋に焦点を合わせる。見覚えのない淡い緑色の天蓋のついたベッドに居た。ガバッと身体を起こすと巨大なフォークを頭頂部に刺されたような痛みを感じ、頭を両手で抱え込む。

その、抱え込んだ『頭』に今度は強烈な違和感を覚えた。

髪に指を突っ込むようにした、その指通りがおかしい。するすると指に長い金色の髪が絡んでいる。

ハッと自分の服を見ると、見覚えのないモスグリーンのドレスを着ている。


(見覚えがないも何も、そもそも何故俺がドレスを着ているのか)


何か叫びそうになって口元を押さえたとき、


「エレノア様! お気づきになりましたか!」


駆け寄ってきた一人の侍女らしき女性が、フィンリーの身体を揺さぶった。


(エレノア?)


「よかったです、本当に……。このままお目覚めにならなかったらとナタリアは胸が張り裂けそうでした! そうだ、旦那様にエレノア様がお目覚めになったことをお伝えしなくては!」


侍女はそう言うとものすごい勢いで部屋を出ていった。

残されたフィンリーはゆっくりとベッドから降りた。あたりを見回しても何の見覚えもない部屋だということが分かっただけだ。

フィンリーはズキズキする頭をフル回転させて状況を理解しようとする。

壁に掛けられている木の実の装飾がある鏡に映った自分は──間違いなくエレノアだった。

金色の腰まである長い髪、子鹿のようなフォーン色の瞳が真っ白な顔の中で不安そうにフィンリーを見つめている。


「エレノア……」


思わずその名を口にした声は、しっとりとしたエレノアのものだ。

フィンリーは、理由は分からないがエレノアの姿になっており、おそらくローレンス家のエレノアの部屋にいる。

思わず『自分の』両腕を抱く。華奢で細い腕なのに柔らかい。右の手首と肘までの箇所に痛みが走った。右腕はひじまで白い布が巻かれている。

鏡の中でしなやかな曲線を描く身体に思わず触れそうになって、フィンリーは頭を掻きむしってそうしなかった。


「俺の身体はどこにあるのだ?」


エレノアの声と自分の口調があまりにも不似合いで、自分の身体を取り戻すまではエレノアのように話さないとならないことに気づいた。

のろのろとベッドに戻って腰を下ろす。

気を失う前のことを思い出そうとしたときにドアが開き、侍女を先頭に何人かがなだれ込むように入ってきた。


「エレノア様、まだ起き上がってはいけません。先生がいらっしゃいましたのでこれから診ていただけるそうです」

「エレノア、気がついてよかった」


前にすっと出てきてフィンリーの手を取ったのはエレノアの御父上であるローレンス公だ。ずいぶんと久しぶりなせいか、その面立ちは少し痩せたように感じる。

医師は失礼しますと光沢のある布を身体に掛けて、その上から触れていく。時々鋭い痛みが走るが、折れている感じではない。


「エレノア様、ご気分はいかがですか、何かご不調なところはございますか?」

「……頭が痛む……痛みます。それと、右の手首と腕が痛い、です」

 

フィンリーは途中で言い直した。エレノアの口調というか、女性の話し方がすっと出てこない。


「頭部に傷はありませんが打った痛みがあると思われます。右手首はおそらく転落の際に捻るなどしたと推察されます。また、右腕はひじにかけて大きめな切り傷がございます。そちらはお眠りの間に処置をいたしました。

それにしてもあのような高いところから転落なさったとは思えないほど、大きなお怪我はございません。それもこれも、婚約者であるフィンリーさまが身を挺してお守りくださったおかげでしょう」


(俺が、身を挺して守った? エレノアを?)


「……今、その……フィンリー……さまは、どちらに……」

「フィンリー殿はおまえと一緒にうちの馬車でここに運ばれ、今は客間で眠っているよ。カートフォード家には、すぐに使いの者を出した」


ローレンス公がそう答えた。


「あの……フィンリーさまに、お会いしたいのですが……」

「そうだな、エレノアも心配であろう。自分のことより婚約者殿の身を案ずるところは、まったくもっていつものエレノアだ。どうだ、エレノアは頭を打ったようだが直接的な痛み以外の問題はなさそうか?」

「そのように思いますが、なにぶん頭ですので今後も経過観察が必要かと」


中身がエレノアではないという大問題が発生していることを言い出すわけにはいかなかったが、とりあえずエレノアの身体に重大な問題はないようで少し安心する。

それよりも、ローレンス公の『婚約者を案ずるところはいつものエレノア』という言葉に引っかかる。

俺のことを案ずるどころか、話しかけられたこともほぼ無いというのに?

違和感をそのままに、フィンリーは身体を起こした。

身体がエレノアで意識が俺であるということは、俺の身体にはエレノアの意識があるということで、どうなっているのか一刻も早く確かめたい。


「どうか、フィンリー、さまのところに……連れていってください、お願いします」


自分の身体を確認するには、エレノアとしてローレンス公に頼み込むしかないのか。

俺と入れ替わってしまったエレノアは、もう起き上がれたりするのだろうか。



「まだフィンリーさまはお目覚めになっておりません。フィンリーさまはお嬢さまをお抱えになった状態で階段をゴロゴロと落ちたそうで、左足と右腕に大怪我をなさっております。

そうですね、エレノアさまがお立ちになってふらつかないようでしたら、フィンリーさまのいらっしゃるお部屋に行かれてもよろしいかと。ただしすぐにお戻りいただきます」

「ではわたくしが付き添います!」


侍女が元気よく言うと、薄い羽織ものを肩に掛けてくれた。

つややかな室内履きにそろりと足を入れる。

なるべく女性のように歩こうとしたが、腰も足も痛くてそれどころではない。

あまり痛がる様子を見せるとベッドに戻されるかもしれないので、なんとか侍女に付いて歩いた。


「フィンリーさまはこちらのお部屋でお休みになっています。わたくしは扉の外で控えておりますので、何かございましたらお声がけください」


大怪我をしたという自分の身体に対面するとあって、喉が渇いて貼りつくようだ。

ベージュを基調とした落ち着いた客間の奥、ドアの無いアーチ型の壁の向こうにベッドが見え、おそるおそる近づいていく。


(俺だ……)


自分を見下ろすという何とも言えない状況の中、身体がどうなっているのかをまず知りたくて掛け物をめくった。

顔をぶつけたのか額が青紫色になっている。今朝選んだシャツのボタンが二つ外されており、めくられた右の袖の先はエレノアと同じ白い布が巻かれている。添え木がしてあるところを見ると折れたのか。

左足も同様に膝から足首にかけて添え木が白い布で巻かれている。

そっと掛け物を元に戻した。柔らかく軽く、美しい刺繍がほどこされた上質な掛け物で、俺はここで大事に扱われているようだ。

額に小さな汗がいくつも浮かんでいる。

そっと『自分』の額に触れると熱を帯びていた。


「……フィン……リー……さま……」


自分が自分の名前を呼んでいるのを聞いて、身体がびくっとした。

そうだ、中身はエレノアなのだ。


(……直前に婚約の白紙を伝えた、そんな俺の名前を……熱にうなされながら呼んでいるのか)


この身体に起こっている痛みや苦しみは、すべてエレノアが引き受けている。

そう思うと申し訳ない気持ちとなんとも言えない別の気持ち、何故か涙が浮かんできた。


こんなことになる直前に、自分はエレノアに婚約を白紙にしたい旨を伝えた。

そこに至るまでのさまざまなできごとを頭の中に並べていく。

エレノアがもうずいぶん長いこと、自分を避けていた。

そのことで自分の周りにいる者たちにからかわれることが多くなった。

二人の間に何かあったのではないのか?

もしかして無理やり何かしようとして嫌われたのでは?

いつも級友二人とだけ排他的に過ごしているエレノアは、陰でフィンリーの悪口を言っているのではないか?

そんな言葉をいつも聞かされうんざりしていた。

こうして具体的な言葉にしてみると、どれもただの憶測に過ぎないのかもしれない。

でも、避けられていたのは事実だった。

周りに人がいてもいなくても、エレノアは目を伏せてにわか雨が通り過ぎるのを待つように身を小さくしてした。

そんなエレノアを見るたびに自分は嫌われているのだと思い知らされた。

そのたびにフィンリーはエレノアの手を掴んでその小さな傘から引っ張り出したい気持ちになったが、一度もそうすることはできなかった。

互いの家が決めた婚約者だということが、重石のように心に積まれ沈んでいた。

二年時に転入してきた男爵令嬢が、フィンリーの友人の一人を通じていつの間にか自分たちの輪の中にいるようになった。

男同士のからかいの言葉でフィンリーがエレノアの嫌がることをしたのではないかという話になったとき、でも婚約者からのそうした接触は女なら嬉しいはずです、自分は女なので絶対そう思いますと言い切られた。

男の人には分からないかもしれないけど女なら……男爵令嬢にそう言われるたびに自分がエレノアから侮辱されているような気分になった。

そういう思いをずっと心の奥に抱えることに疲れ、あのときエレノアに婚約を白紙にしたいと言ってしまったのだ。

幼い頃は手を取りあって遊んだこともあったのに、婚約者となってから友人よりも遠くなった。

もしかしたら、自分は何か大きな間違いをしたのではないか……。

婚約を白紙になどと伝えてしまって本当によかったのか……。

フィンリーは自分の過去の言動に、急に自信がなくなった。

うなされながら自分の名前を呼ぶエレノアに動揺している。

痛みに耐えるエレノアの手に、おそるおそるそっと触れてみる。

それはただ、あくまでも自分の手だった。


「エレノア様、カートフォード家の方々がお見えになりました」


部屋の外から先ほどの侍女の声がした。


「失礼する」


部屋に入ってきたのは父、そして後ろに母もいた。それとフィンリーの従者のセオドアが続く。


「エレノア嬢……」


傍から見ると、エレノアが婚約者である自分の手に触れている、ということになる。


「エレノア嬢も酷い目に遭ったというのに、あなた、フィンリーのことをこんなに心配してくれて……どうか泣かないで」


父も母も膝まずいてエレノア姿の俺ごと、俺の姿でうなされているエレノアを抱きしめる。


「我が息子ながら婚約者であるエレノア嬢を、身体を張って守ったこと、誇りに思う」


父はこういう人だった。

涙もろく傷ついた猫や鳥などに心を痛め、いたいけな幼子をよその子どもであってもまるで祖父のような目で慈しむ。

何かそういうスイッチでもあるのか、母とエレノア(俺)の肩をポンポンと叩きながら涙ぐんでいる。


「旦那さま、自分が少し離れた隙にこんなことになってしまい、大変申し訳ございません……この償いは……」

「それについてはフィンリーの意識が戻ってからまた話を聞くことになるだろう。今はとにかく目覚めるのを見守るしかない」


セオドアが深々と頭を下げている。

父があまりセオドアを責めている声色ではなくて、少し安堵した。

図書室から出てくるエレノアを見つけたときに、従者としていつも傍にいるセオドアを自分が遠ざけたのだ。

教室に本を忘れたから取りに戻ってくれないか、たしかそんなふうに言った。

エレノアに婚約を白紙にしたいと伝える場面を誰にも見られたくなかった。かといって、わざわざエレノアをどこかに呼び出すのも気が引けて、あんな形にしてしまった。

そのせいでセオドアが責任を感じてしまっていて胸が痛む。

そんなことを思っていたら、また涙がこぼれた。

エレノアの身体であって、まだあまりうまくコントロールができない。


「エレノア嬢、そんなに心配してくださって……」

「意識が戻らないがこのまま連れて帰るとする。これ以上ローレンス家の厄介になるわけにもいかぬであろう」


『俺』を連れて帰る? 

それでは目覚めたとき、中身のエレノアが困るのではないだろうか。

身体がかなり傷ついているうえ、中身が『俺』だと知ったらどうなるのか。

俺自身も俺の身体のことを把握していたい。

そして何より、目覚めたエレノアと俺は話す必要があるのだ。

どうやってこの状態から二人で脱却するのか、このままであるならお互いどうしたらいいのか、別々の家にいるわけにはいかない。


「ちち……いえ、カートフォード公爵さま、どうかフィンリー……さまが目覚めるまでここでお預かりすることをお許しいただけませんか。今、この状態で馬車に乗せるのは危険ではないでしょうか。

フィンリーさまがお目覚めになるとき、わたくしはそばについていたいのです、どうかお願いいたします……」


「エレノア嬢……そこまで思ってくださるのか……。分かった、ローレンス家には迷惑をかけるが、フィンリーが目覚めるまで面倒を頼むことにする。おまえもそれでいいな?」


エレノアの涙が父の何かのスイッチを連打したのか、父は母にそう言うと、母も何度もうなずいた。


「どうかあなたも無理をなさらないで。フィンリーが目を覚ましたら、早馬を寄越してくださいね」


母はそう言いながら、エレノアである俺の手を握る。

これまで俺に対してこういう姿の父と母を見たことがなかった。

子供の頃は、熱を出せば母が看病してくれた記憶がうっすらあるが、それ以降は下男が着替えなどの世話はしてくれるが、基本ひとりで寝ているだけだった。

何か二人を騙しているようで少し居たたまれない。


「ライリー、待っていた!」


ローレンス公が父の名前を呼びながら部屋に入ってきた。

二人は従兄弟同士で公の場以外ではいまもこんなふうに名前で呼び合い、仲がいい。


「まだフィンリー殿が目を覚まさないことは、本当に心配だ」

「そのことなんだが……今、エレノア嬢からフィンリーが目覚めるまで動かさずにいたほうがいいと提案を受け、そうさせてもらおうかと思うのだがよいだろうか」

「もちろんだとも。意識がない状態で無理に動かさないほうがいい。頭を打っているのに揺れる馬車に乗せるのはよくないだろう。当方の医師がきちんと診るから心配はいらない。エレノアもずっとフィンリー殿のことを案じている」

「先日は、家内が病で伏せていた際にもエレノア嬢が見舞ってくれ、珍しいフルーツをいただいたな」

「ええ、ええ。手編みのショールもいただき、娘がいないわたくしは感激いたしました」

「エレノアはフィンリー殿のことになるとその調子で、なんだかもう嫁に出したように思っているところだった。こんな時にグレイスがいてくれたらよかったのだが」


父と母とローレンス公がこんな状況の中で何故か笑いあっている。

グレイスというのはエレノアの亡くなった母君だ。

ローレンス公は亡くした妻の名前を口にしても、湿った雰囲気をまとっていない。

奥方が亡くなってから何年も経つが、ずっと独り身のままだった。

それにしても、エレノアが母を見舞ったとか果物とかショールとか、俺は何も知らなかった。

自分だけのけ者のようだ。

もう嫁に出したようだとは、ローレンス公は大げさではないだろうか。エレノアは俺には話しかけてもくれないというのに。

ともかくこのまま『俺』がここに居られることになってよかった。

中身はエレノアなのだから、自分の家にいると分かれば安心するだろう。

それに自分の身体が意識を取り戻すときに自分がそばにいないなんて冗談じゃない。

その身体は俺のものなのだから『俺』が離れるわけにはいかないのだ。

そうして父と母とセオドアは、明日の朝一番に衣類や目覚めたときに必要な物を届けると言って帰っていき、俺もエレノアの部屋に戻った。


「さあもうお休みになってくださいませ」

「フィンリーさまが目覚めたら、夜中でもいいので教えて、ね」

「かしこまりました。フィンリーさまのお部屋についている者に後で話をしておきます。

明日の朝の湯浴みはいつもどおりでいいと医師に伺いましたのでいつもどおりの時間に参ります」

「……ええ、わかったわ、ありがとう」


湯浴みと聞いて心臓が口から飛び出るかと思った。

やはり湯浴みといったら、まあその……服は脱ぐ……よな。

婚約者ではあるが、エレノアとは口づけどころか手を繋いだこともない。子供の頃は手を取り合って庭を駆け回ったが、それは手を繋いだとは言えないだろう。

そんな俺がエレノアの服を脱いだところなど見ていいはずがない。

しかも俺は婚約を白紙にと伝えた男なのだ。

だがいつまでも身体を洗わないわけにもいかないだろうし、かといってずっと目を瞑って湯浴みをするのも何かおかしい。

それまでに俺の身体が目を覚ませば、どうにかして元に戻る方法を思いつくかもしれないので、朝起きたらすぐにエレノアが眠る部屋に行こう。


侍女が用意した容器で顔を洗った。手首と腕の傷が痛み、ただ顔をすすぐだけなのに簡単ではない。

どうにか顔を洗うと、侍女が就寝用に髪を整えてくれる。


「ではエレノアさま、おやすみなさいませ。痛みなどでなかなか寝付けないかもしれませんが、どうか少しでも眠れますように」

「ありがとう、おやすみなさい」


侍女が音もなく扉を閉めると、考え事をする間もなく眠りに落ちた。


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