1)婚約を白紙にと告げられて
たくさん感想をいただきありがとうございます!
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とても感謝しております、ありがとうございました!
ノーリス王立学園は閑散としている。
明日の創立祭に向けての準備で授業はない。
朝から装飾をする者たちが忙しくしていたが、午後にはそれも終わり行き交う人もまばらになった。
エレノアは図書室でゆったりと過ごしたくて、いつものように登園した。
誰の目を気にすることなく、好きな本に没頭していたら図書室が閉まる時間になった。
もうすぐ迎えの馬車が来ることになっている。
エレノアは図書室を出て、正門に続く大階段を下り始めた。
階段を上がってくる人に気づき、エレノアは階段の端によけるように立ち止まる。
その人物はエレノアの婚約者であるカートフォード公爵フィンリー・ラッセルだった。
エレノアは目線を下げてそのままやり過ごそうとした。
いつも友人たちと一緒にいるフィンリーが一人なのは珍しいと、エレノアが思ったときに声を掛けられた。
「ローレンス公爵エレノア・ベオーミング嬢」
「は、はい」
フィンリーと学園内ですれ違うことはときどきあるが、エレノアが声を掛けられることはほとんど無かった。ましてやこんなふうに名前を呼ばれることなど、記憶を探っても見当たらない。
(どうしたのかしら、わたくしにご用などあるはずもないのに……)
「君との婚約を白紙にさせてもらいたいんだ、エレノア」
その言葉を頭の中で繰り返す。
婚約を白紙に。
婚約を、白紙に……。
頭の中が真っ白になりそうだった。
(……とにかく、理由をお聞きしなければ……)
「……差し支えなければ、その理由を……お聞かせいただけましたら……」
いつもフィンリーに何も言えずにいた。
婚約者であるのに、自分の気持ちを言えるほど近い距離にいたことはない。
でもこれだけは理由を知らないまま受け止めることはできなかった。
もしかしたら、ローレンス家とカートフォード家の間で何かあったのかもしれない。
(理由が、わたくしにないのであれば、あるいは……)
エレノアはすがるような気持ちで理由を訊いた。話によっては思い直してもらえるかもしれないと。
(こんなに近くでフィンリーさまの瞳を見ることができるなんて……本当に、きれいな宝石みたい……)
こんなときなのにエレノアはフィンリーのジェードグリーンの瞳にくぎ付けになる。
「……理由か……。僕に君と結婚する気持ちが無くなった、端的に言えばそういうことだ。まだ父には君との婚約を白紙にするこの願いを伝えていないが、今夜にでも話すつもりだ」
フィンリーの冷たい言葉に、エレノアは現実に引き戻される。
自分と結婚する気持ちが無くなった『理由』をエレノアは訊いたつもりだったのに、それは答えの言葉の中に入っていなかった。
適当にあしらわれてしまった、そう思った。
何よりも婚約白紙の『願い』と言われたことが、エレノアの胸を突いた。
自分との婚約を白紙にすることが、『願い』であると、そうフィンリーは言ったのだ。
それを『願い』だと言われてしまえば、エレノアにはその『願い』を叶えることくらいしかフィンリーのためにできることはないように思える。
そのことに心臓を絞られるような痛みを感じた。
フィンリーとは学園に入学した頃からあまり話さなくなった。
それまでは親に連れられて互いの家を訪れたときなど、一緒に庭で遊んだり互いの部屋でカードゲームをしたりなどして仲良く過ごした。
それなのに学園生活が始まると、フィンリーのほうからエレノアに話しかけることが無くなった。
二人の祖父は三兄弟で、一番上の兄がこのノーリス王国の前国王だ。
エレノアの祖父とフィンリーの祖父はそれぞれ公爵家で、今はどちらも二人の父に代代わりしている。
フィンリーとエレノアは貴族としての序列が高く、こちらから話しかけなければほぼ相手から話しかけられることはない。
フィンリーは自分より爵位の低い貴族子弟たちと気軽に打ち解け、いつも何人もの学友たちと過ごしていた。
エレノアはあまり他の貴族令嬢たちを従えて過ごすことはなかった。
二人だけ仲がいい令嬢がいて、学園内ではいつも三人で過ごしている。そのことについて排他的だと陰で言われていることをエレノアは知っていた。
社交的なフィンリーに対しエレノアは内向的だった。
幼い頃は親しかったフィンリーがエレノアに話しかけなくなったことを、エレノアは何かあったのではと感じていたものの、それをフィンリーに直接尋ねることはできなかった。
彼が何か自分のことを気に入らなくなったとして、それを尋ねるのは恐ろしくもあり恥ずかしくもあった。
そうしてほとんど話をしないまま、そろそろ三年になろうとしている。
それがまさか婚約を白紙にと言われることになるとは、エレノアは驚いたがそれを口にも表情にも出せなかった。
(もう、おしまいなのですね……)
「近いうちに君の家に、父と一緒に訪れることになると思う」
何も言葉が出ないエレノアに、フィンリーは重ねてそう言った。
婚約を白紙にすることは彼の中で決定事項となっていて、エレノアの気持ちを確かめることもしない。
もうこれ以上用はないという感じでフィンリーがくるりと向きを変え、エレノアも門に向かって階段を下りようと足を踏み出す。
ぐにゃりと階段が歪んで見えた瞬間、まるで黒い緞帳が下りたように目の前が真っ暗になった。
「エレノア!」
キーンと耳鳴りがしてその向こうでフィンリーが自分の名前を呼ぶ声が小さく聞こえた。同時に腕を掴まれたようにも思ったが、そこでエレノアの意識は途切れた。
フィンリーがエレノアを引き寄せ抱きとめたまま大階段を転がり落ちたことを知るのは、少し後のことだった。




