中編 江戸川蘭世の物語
「吾輩は君に悪戯をするつもりは無い。せめて何か答えてはくれないだろうか」
「……!」
私はもしかすると、とんでもない奴の隣に座ってしまったのかもしれない。
私の名は江戸川蘭世、先日この学校に転校してきたら、現在進行形で陽キャを越えた怪物に絡まれているれっきとした陰キャである。
「吾輩は、君と友達になりたいのだ!」
「うるさい」
それよりさっきから思ってたけど、この金髪ツインテールは何でさっきから一人称が吾輩なんだよ。喋り方は拗らせた中二病みたいなのに、中身はコミュ力お化けの陽キャ。江戸川コナンもビックリの属性極盛女である。二郎系かよ。
「良かった、吾輩の声が聞こえていて」
「黙っててくれる?」
「君はどこから来たのだ?」
「うるさい、静かにして」
「そんな名前の街があるのか、知らなかった」
こいつ強い、返し方は小学生男子並みなのにメンタルが強過ぎる。
そろそろ周りからの視線が痛いので、うるさい静かにして市出身の私は何も言わずに立ち去ることにした。
「待ってくれ、もう少し話をしないか!」
だが、ツインテールは諦めずに全速力で追いかけてきた。
「成程、昨日もここに行っていたのか」
私は敢えて遠回りをしながら図書室に逃げたのだが、気付いたらツインテールが後ろにいた。ここが図書室でなければ叫んでいたところだった、危ない……
「キモいんだけど、あっち行って」
「まあ良いではないか、君はどんな本を好むんだ」
「あんたには教えない」
「吾輩は動物系の本が好きでな」
「知るかそんなもん」
どうしよう、何を言っても会話が終わらない。地味にマナーを守って小声で話してるのも腹立つ、変な所律儀だなこのツインテール。
私はこの女とテーブルを挟んで向かい合う形で座った。本当はすぐにでも逃げたかったが、どうせ追いかけてくるので諦めて悟りの体勢に入る。
「見てくれよこの猫たちを、可愛いだろう?」
「あ?」
するとツインテールは動物系のジャンルから本を持って来てこちらに見せつけた。本、というよりは写真集みたい。
「可愛い……あっ」
「そうだよな、少し寝ぼけている所も吾輩は良いと思うんだ」
「いや違くて、今のはその……」
「やはり、君とは仲良くなれそうだ」
いけない、つい可愛いとか言っちゃったせいでツインテールに食いつかれてしまった。これでは私がツンデレみたいになってしまうじゃないか。
「そんなのお断りじゃ、このアホツインテールめ!」
そして、私は場所を気にせず大声で叫んでしまった。周りの空気が凍り、一斉に視線が集まって来る。
ごめんなさいすみませんでした、と小声で謝る私に、ツインテールは諭すようにこう言った。
「まあまあ、ここは図書室だから大声は控えなさい」
やめろその目、私を憐れむような目で見るな。まるで私が馬鹿みたいじゃないか。お前のせいだからな、十割お前が悪いから。
「そんなことぐらい分かってるから、もう近寄らないで」
話せば話す程ボロが出てきてしまう。もう自分でも何がしたいのか分からなくなって私は本も読まずに図書室を立ち去った。
できれば、もう二度とあいつとは関わりたくない。
しかし翌日になると、ツインテールは昼食の時間にまで侵食してきた。
「お昼でも食べないか」
「食べるけどあんたとは食べない」
「他の者と食べる方が楽しいぞ」
「私は楽しくないから」
嫌だと言っているのにツインテールはドヤ顔で私の机に弁当を広げ始めた。いちいちこっちを見るなしつこい。
「……私と食べても、面白いことなんて何も無いのに」
ついポツリとそんな言葉が飛び出てしまった。今は疎遠になった親友のことを思い出す。
「君の弁当は肉が多いな、美味しそうだ」
「あっそ」
ツインテールは私の言葉を気にせず、ささみフライを箸で掴んで専門家のように語り始めた。
「昨今は肉を食わないだの糖質制限がどうだの主張する者が多いが、やはり最低限の栄養は必要だと思うのだ。原始的な考えかもしれないが、人と肉というのは切っても切り離せない存在だからね、君はどう思う?」
いやそんな形で話振られても困るから。ここワイドショーじゃないし、本質的な答えを求められても分かんないから。
「それは知らんけど、あんたの卵焼きもまあまあ美味しそうじゃない?」
「うーむ……これの良さが分かるとは君は一流だな」
「は、何それバカじゃないの?」
いかん、ノリで褒めてしまった。ツインテールは先程より誇らしげな顔をして、何度も頷き始めた。
「そういえば、どうして君は隠居なのだ?」
「は、隠居?」
「失礼間違えた、どうして陰キャなのだ?」
こいつ素で私のことをニートだとか言いやがったぞ。というか陰キャになるのに理由なんてあるか、陰キャだから陰キャになってるのに。
小泉みたいな愚痴を心の中で漏らしていると、ツインテールは小さくすしざんまいのポーズを取り始めた。
「世界はこんなにもビッグだ、皆と個性や趣味をシェアして、より自分のアビリティをバァストするべきだと思う」
「横文字使えば良いと思ってるだろ、おバカツインテール」
「だが、吾輩の言いたい事は分かるだろう」
「まあ……」
確かに、と私は思った。友達がいたら体育でも困らないし、行事でも楽しいし、陽キャになるとまではいかないが友達は欲しい、私だって。ただ……。
「今は怖いかな、喧嘩とか」
「そうか、確かにその心持は分かる」
気が付くと私もツインテールも弁当を食べ終わっていた。話の内容はマジで意味不明だったが、意外と退屈はしなかったのかも。
「君の恐怖が無くなるように、吾輩も努力するよ」
「いや、別にそんな努力は要らん」
「お堅い事を言うのはやめなさい、まだ若いのだから」
それでは、とツインテールは去っていった。だが私が心の中でツインテールと呼んでいるのを察したのか、あいつは振り返ってこう付け加えた。
「吾輩はツインテェルではない、夏目美月だよ」
「とっとと帰れツインテール」
別に名前を覚えてないからツインテールと呼んだわけじゃないし、呼びやすいからあだ名を付けてただけだから。
徐々にツインテールに対する態度が優しくなっていることに気付かず、私は今日も彼女とバカみたいなやり取りを続けていた。
「はあ……」
それから二時間の授業は、あまり集中できなかった。訂正、いつもあんまり集中できてないけど、今日は先生の話が頭に入らないくらいに集中できなかった。
終礼が終わると私はいつも西宮戎の福男のように爆速で帰るのだが、今日は廊下でこっそりツインテールの様子を見守ることにした。
いつも他の人と話す時はどうしているのだろうとか、そういった興味が湧いてきたからである。
何か私がストーキングしてるみたいな構図だけど、昨日はあいつが私のことを追いかけ回したんだから、これでチャラだよね、多分。
「ねえ美月ちゃん、昨日の私恋観た?」
「ああ観たよ、ショウ様の決めポーズが良かったな」
「分かる、あれ良いよね!」
あいつ意外と知識の幅が広いんだな、と私は思った。他の人と話を合わせるのは意外にムズい、友達がたくさんいるなら尚更のことだ。
最初は偉そうな言動や私をニート扱いしたのに腹が立っていたが、意外と頑張ってるんだなと私は少し感心した。そうか、そうでもしないと陽キャにはなれないか。
ただ不可解な点があった。ツインテールは同級生たちに手を振って見送ったのだが、いつまでも自分自身は帰ろうとしない。何かの居残りかな、と私は首を傾げていると、お嬢様パーマの少女がツインテールの向かいに座った。
「よっ美月、あの子とは仲良くなれた?」
「ああ、一緒にご飯も食べたし順調と言えるかな」
「それなら良かった」
あの子というのは私のことだろう。何が順調かはさておき、接し方からしてツインテールの相手は幼馴染か親友だろうか。
でもどうして誰もいない所で話しているのだろう、私は何だか不審に思えてきた。私の方が不審者だけど。
「今日も疲れたな……」
「そうね、じゃあいつものやつする?」
「ああ、しようか」
すると親友ちゃんが突然廊下に出て辺りを見回したため、私は今更ビビりまくって隠れた。いつものやつって何だよ。気になって私は再び教室の前に早足で戻った。
「五郎丸のポーズでもする気か……?」
色々と想像を含ませていた私だったが、次の瞬間に反応が完全に消えた。
ツインテールが猫耳を出した、あとついでにスカートから尻尾を生やしやがった。
「いや、やはりこの姿が一番だな」
「そうだね、ちょっと触らせてくれない?」
「もちろん好いぞ」
いや待てそんな当たり前のような反応をするな。何これこいつどうなってんの人間じゃないのかお前何の生物だよ。夢じゃ、夢じゃないよな、頬をつねってみるけどしっかり痛い。あれか、アリス症候群の派生形か何かなのか。まあ私が仮に病気じゃないとして、猫耳と尻尾は完全に猫のそれがくっついている。着ぐるみとかじゃない。写真撮りたいけど絶対バレるよなこれ。粛清されるの嫌だから隠れとくけどこれ世紀の大発見だわ。
久々にキモい怪文書を頭の中で展開させた後、私はもうちょっと近くで見たい欲に襲われた。それが仇になってしまう。
「誰かいるの?」
「おい、そこにいるのは誰だ?」
「うわマズい……!」
ごめんなさいお母さん、私は世界の謎に触れたからもうすぐ消されます。学校にも行けないかも。お父さんは別に良いかな。すまんやらかした。
ハンターみたいな走り方で私は逃げた。本当にヤバい物を見た時、人って叫ぶことも忘れるんだな、本怖も見習え。
「あれ転校生の子だよね?」
「本当だな、隠居の子だ」
だが二人にはちゃっかり姿を見られてしまっていた。マジでどうするんだ明日から。割と絶体絶命な状況の私は、そのまますぐに帰りました。
私は家のドアを開けた後、玄関の壁にしばらく寄りかかって息を整えた。まるで病気のように胸が苦しい。こんなに走ったのは体育の持久走以来か。
「はあ、はあっ……!」
「あら、おかえり」
リビングから母が駆け寄ってきた。要らぬ心配をかけないように、私は平静を装ってただいまと言った。私は何も見ていないと自分に言い聞かせながら、階段を上る。
自室の椅子に座ると、ようやく心を落ち着ける事ができた。と同時に、私は教室で見た光景を頭の中で整理し始める。
要約するとあのツインテールはケモ耳で、親友ちゃんだけがその事実を知っているということだ。なるほど全く分からん。
ケモ耳といってもあいつは私たち人間と何も変わらない様子だった。そりゃあ一人称が吾輩の女子高生とか有形文化財を通り越してギネスレベルだが、それでも人外を感じさせる要素は何一つ無かった。頭良いんだろうな……
親友ちゃんがその秘密を守っていたように、私も誰かに話すつもりは無い。深刻に考え過ぎるのも良くないと思う。友達が魔法少女だったとか、そんな程度に思っておくのが幸せなのかもしれない。
「友達、ねえ……」
色々考えを膨らませているとどうしてあいつは私と友達になりたいのだろうと疑問に思い始めた。
「やはり、君とは仲良くなれそうだ」
「世界はこんなにもビッグだ、皆と個性や趣味をシェアして、より自分のアビリティをバァストするべきだと思う」
もしかしたら、あいつも元は友達がいなかったのかもしれない。ケモ耳とかいう個性を持っているなら尚更そうだろう。
でも親友ちゃんみたいな理解者が現れたことで、彼女の世界は一気にぶわっと広がった。だからツインテールは、もしかすると私の理解者になろうとしているのかもしれない。それこそかつての親友ちゃんみたいに。
まあこれは私の雑魚考察力によるものだから実際は八割違うと思う。何にせよあいつは思ったより悪い奴ではなかったので少し安心できた。
「でも、友達にはなれない」
私は友達を作るのがどうしても怖かった。それは、私が数年前に経験したことがきっかけだった。
私にはかつて伊奈帆という親友がいた。小学校からずっと同じクラスで、住んでいる場所も近所だった。一緒に家でゲームをしたり、ショッピングに行ったり、暇さえあれば私は伊奈帆と遊んでいた。このまま高校も一緒になり、同じ大学を目指して勉強する。私は当たり前のようにそう思っていた。
そんな私を変えたのは小六の時に見たとあるアニメだった。何の捻りも無い少年漫画が原作の作品だったのだが、私はその作品の主人公と、相棒が恋をする妄想漫画を描くようになった。
主人公も相棒も男だった。つまり私は男同士の恋愛が大好きな、「そういう」オタクになってしまったのである。
「ねえ、この二人の恋愛って萌えない?」
「え、主人公とヒロインのこと?」
「違うよ、主人公と相棒だよ!」
中学生になると、自分の趣味を伊奈帆に話すようになった。
少年漫画以外でも、日常系の漫画や教科書のキャラ、さらに同級生の間でもカップリングを妄想するようになっていた。
「へえ、男同士なのに?」
「分かってないなあ、男女の恋愛なんて時代遅れだよ」
加えて当時の私は、自分の趣味が時代の最先端を言っていると思っていたり、他の恋愛をバカにしたり、とにかく自分の考えを押し付けるイタい人間だった。
「そうだ、私漫画を描いてるんだけど読まない?」
「へえ、読みたいかも」
そして二年になった頃、私は自分で書いた漫画を始めて親友に見せた。その親友の苦笑いや、小さな所で生じていたすれ違いにも全く気付かずに。
伊奈帆に渡した漫画は自信作だった。今考えてみると自分の好みを詰め込んだ闇鍋のような作品だったと思っているが、当時はそんな漫画を描いていることが誇らしかった。自分の趣味が、当然のように相手に受け入れられると思っていた。
だが彼女は私の描いた漫画をじっと見て、僅かに眉間にしわを寄せた。どうかしたの、何か変な所でもあったの? 私はようやく不安に感じ始めたが、伊奈帆はしばらく俯いて何も言わなかった。
「今までずっと言おうと思ってたけど、これおかしくない?」
「別に良いでしょ、恋に性別なんて関係無いよ」
「そういうことじゃないよ。どうでも良いけど、こういうのに没頭するのは良くないよ」
心を丸ごとひっくり返されたような感覚だった。伊奈帆と築いてきた友情が床にぶちまけられ、零れ、無くなっていく。
「別に没頭してないけど、何言ってるの?」
「蘭世こそ何を言ってるの? いっつも男同士の恋愛がどうとか言ってるけどさ、はっきり言って気持ち悪いし、友達にも変な噂が流れるからやめてくれない?」
伊奈帆は感情の消えた退屈そうな顔をした。漫画を床に放り投げ、私が何か言う間もなく彼女はその場を去った。
伊奈帆の言葉を受けた私は、もう一度漫画を拾って読んだ。そこには私の思っていたような輝きなんて微塵も無かった。
残ったのは自分の趣味を押し付けた後悔と、親友を失った喪失感だけだった。私は何をしていたのだろう、何のために生きていたのだろう。
「もう、何も考えたくない」
それから私は趣味を封印することにした。自分の「好き」は決して見せない。友達なんて作らない、誰とも関わらない。
だが今でも、伊奈帆に漫画を捨てられた光景が目に焼き付いている。まさにこの場所で、私は一人の友達を失ったのだから。
「ううん、最初から友達になった気でいたのかもね」
課題をしようと机にノートと教科書を広げたが、もう何もする気が起きなくなった。ああ、私ってダメダメだな。
何も上手くいかない。どうせ頑張っても報われないのだから、私は頑張るのをやめた。
翌日になると、ツインテールは寄ってこなくなった。普通に登校して友達とベラベラ喋ってるけど、私の方を向いてくれない。
まあこれで良いんだよ。あいつも私と喋ってる時より楽しそうだし、最初から私とあいつの間には何も無かった。
昼食の時間になると、私は優雅にぼっち飯。いつものように弁当箱を開けると珍しいおかずが降臨していた。その名は海老シュウマイ。
「お母さん……ナイス!」
私はこの海老シュウマイが大好きだ。どれだけ大好きかというと、世界三大珍味を通り越して宇宙レベルくらいは好き。自慢ではないが、何度か海老シュウマイに埋もれる夢を見たことがある。
私はニヤニヤしながらツインテールの方を見た。あいつは
親友ちゃんとご飯を食べていた。何も考えてなさそうなあいつの笑顔を見ると、本当に最初から何も無かったかのようだ。
でもあいつは良く言えばケモ耳、悪く言えば人外だ。別にあいつに興味があるわけではないが、あいつともっと関わりたいという気持ちなんて全く無いが、どういう経緯でケモ耳と尻尾が生えてきたのか、私はそれを知りたくて夜しか眠れない。
何度も言うがあいつのケモ耳は幻なんかじゃない。もし幻だったら黄色い救急車にでも何でも乗ってやる。色々考えたが、やっぱり真偽を確かめるためにはあいつに直接聞くしかない。
海老シュウマイを頬張りながら、私は「その時」が来るのを待った。
しかし昼休みになって、あいつは珍しく熟睡し始めた。
今日は日の光がちょうど良い具合で射しこんでいるため、ツインテールはすやすやと幸せそうに寝息を立てて眠っている。ほっといたらそのまま昇天しそうな勢いである。丸まっている姿はまさに猫っぽかった。
流石に私は寝ている子を叩き起こす程鬼ではない。ただ、何だか彼女の寝顔がとんでもなく可愛く見えてきたのだ。整った顔立ちと赤ちゃんのような無邪気な表情。黙ってれば可愛いとはこういうこと。
触れたい。めっさ触りたい。後先のことを考えず、私は一時的な衝動に襲われた。水族館のアザラシを触る感覚で私は恐る恐る手を伸ばした。まあ実際こいつは珍獣みたいなものだし、そもそも目を閉じて熟睡してるからきっとおさわりしてもバレないだろう。
私は死角から手を伸ばした。だが……
「ようやく君を捕まえる事が出来たな」
「は、えっ?」
ツインテールはノールックで私の手を素早く掴んだ。何だこの状況。しばらくバトル漫画のような沈黙が走る。
「寝たふり、だったの……?」
「いいや、ちゃんと寝ていたさ」
可愛かった寝顔はいつものドヤ顔に変わっていた。何でお前はそんな自慢気なんだよ、てかそろそろ離せ気持ち悪い。
「吾輩は寝ていても、そして目を瞑っていても相手の場所が分かるのだよ。発達した耳のお陰でね」
「耳?」
「そうさ、吾輩は猫人間だから」
ツインテールはあっさり自分がケモ耳だと認めた。わざわざ教室で、堂々と、大きな声で隠す気も無く。デリカシーがあるのか無いのかよく分からなくなってきた。
「驚いたかい?」
「別に、ただ意外だっただけ」
「珍しい反応だな」
まあ嘘だけど。内心めちゃめちゃビビって逃げ出したが、そう答えるのが何となく嫌だった。
「軽蔑、しただろう?」
「元々眼中にないから、バカじゃないの?」
「化け物だと思っているだろう?」
「全然。バカだとは思ってるけどね」
「だって、頭から猫耳が生えるのだぞ」
「だから何だよ、しつこいなあ」
寧ろケモ耳は我々の業界ではご褒美です。とか言おうとしたのをぐっと堪え、頭の中で何とかまともそうなワードを捻り出す。
「人って見かけじゃ決まらないから。どんな姿をしても性悪は性悪だし、良い人は良い人なの」
「吾輩は性悪か?」
「いいや普通ね。五段階評価で三」
するとツインテールは何とも言えない顔をした。てか自分で言っておいてだけどこの例えはダメだな、成績表を思い出して嫌な気持ちになる。
「……でも割と良い人かもね、私に話しかけてくれたし」
「蘭世ちゃん……!」
「は?」
あいつは泣いていた。泣きながら周りに人がいることも忘れて私に抱きついてきた。おうおうどうしたよ。
「ありがとう、君は吾輩の心の友だ」
「いや勝手に友達認定すんな、離れろバカ!」
さらっと蘭世ちゃんとか言うな、恥ずかしい。しばらくするとツインテール……美月は私から離れてこう聞いた。
「ところで、吾輩のどこがバカなのだ?」
「全部」
自覚ナシかよ、そんな子供みたいな目で見ても意味無いからな。そんなこんなで、友達を作らない主義だった私はケモ耳の美月と仲良くなった。
五時間目は国語の授業だった。いつもはこのタイミングで眠くなるのだが、今日は隣に座っている美月がエンターテインメントを提供してくれた。
「夏目、この漢字はどう読むと思う?」
「ほほう」
「分からないなら適当に答えても良いぞ」
黒板には「何為ぞ」と書いてあった。漢文をしっかり学んで人ならすぐに分かるはずだ。もちろん私も秒で分かった。
「答えはなにためぞ、です」
「いいや、違うぞ」
バカが爆誕した。そんなストレートな読みがあるか。しかも何の迷いも無く答えるもんだからこの猫耳は凄い。
とはいえ爆笑している暇は無い。次は私に当たる。
「江戸川、これ読めるか?」
「なにすれぞですね」
「惜しいな」
ごめんなさいバカは二人いました。ちょっと本を読んだくらいで知ったかぶりをしたのが祟った。自分からエンターテインメントを提供してどうする。
「ちなみに読みはなんすれぞ、だ! どうして何々なのかという意味がある反語で、テストにも出るから要注意だぞ!」
先生が意気揚々と解説する中、私は羞恥心で死にそうになっていた。どうして私がこの猫耳と同列なのか。いや、そんなことはあり得ない。
「良いボケ方だったぞ、面白かった」
「お前が言うなバカ」
美月は小声で私にちょっかいをかけてきた。いや、なにためぞよりはまだマシだから、先生にもちゃんと惜しいって言われたし。
こんなノリで本当に大丈夫なのだろうか、私の真面目な心配をよそに時間だけが過ぎていった。
放課後になって私はささっと帰る準備をした。今日はバカをやったからか時間の流れが速く感じた。
「さあ、一緒に帰ろうか」
「結構です」
「遠慮しなくても良いのだぞ」
「今日は良いから、帰る」
美月の提案はやんわり断るとして、今日はいつもと気分を変えたかった。別に用事も無いので、少しぐるぐると回り道をして帰ってみる。
風が気持ち良い。公園で子供が遊んでいる姿は微笑ましく、自分もあんなガキだったな、とか色々思わされる。
さて私は駅のロータリーを歩いているのだが、そこにギターを持ったおじさんが立っていた。何というか仙人みたいな風貌で、五十年山に籠って修行してきましたと言われても余裕で信じられる。地味にカッコいいかも。
でも一番カッコいいのは彼の演奏である。素朴ながら迫力がある。騒がしくないけど音色は豊か。大勢の人が駅から抜けていくが、おじさんには目もくれず立ち去っていく。私は可哀想に思った。みんなもっとちゃんと聞いたら良いのに。
私は財布を出した、五百円玉は残念ながら切らしている。仕方ないので百円玉を一枚取り出し、コイントスの要領でおじさんの隣に置いてあった旅行鞄に目がけて飛ばした。
硬貨はバッチリ鞄に入った。これだけしか無くてごめんなさい、おじさん。もし貴方がコンサートを開いてくれたら、私は十時打ちで最前列の席を予約します。
「ただいま……」
そして私は、いつもと少し違う場所を冒険して家に帰った。