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前編 夏目美月の物語

吾輩はこの地に生れ落ちてから十七年間、普通の人種として暮らしてきた。

姓は夏目、名は美月。最近巷で流行していると聞くキラキラネェムなるものではなく、ごく普通の名前である。大きく声を出して言える程の事でもないが両親とも仲が良く、高等学校の場に於いても友人と普通にやり取りをしている。

ここまで普通という言葉を何度も使ったのは、吾輩が普通の人種とは違う、とある性質を持っているからである。だが吾輩はこの性質を不便に感じた事は余り無い。前向きな性分だからか、或いは人に恵まれたからかもしれない。

これから紹介するのは、そんな吾輩が高等学校二年の時分、とある転入生と出会った話である。


 吾輩が教室に入ると、何人かの同級生がおはようと挨拶をしてきた。すぐに吾輩もああ、おはようと返したが、しばらくして彼女等の様子がどうもおかしいことに気付いた。

 どうかしたのかと吾輩が聞くと、美月ちゃんは何も知らないのかと同級生に聞き返された。今日は転入生が来る日らしい。珍しいこともあるものだと吾輩は目を丸くした。どんな子だと思うと同級生に聞かれ、面白い人なら何でも好いかなと答えた。

「皆さんおはようございます、今日は転校生を紹介します」

 しかし相変わらずここの先生は堅物である。原稿でも読んでいるかのような淡々とした語り口で、時折こいつは人形なのではないかと思わされる。隣町から来た子ですとか、仲良くするようにとかいう言葉を整然と並べ、先生は後ろに下がった。

 扉が開いて転入生が入って来る。吾輩は無作法に肘をつきながらその場を見守っていた。


 転入生は長い青髪の少女だった。こちらに向けて浅くお辞儀をすると、黒板に名を書き始めた。少女は江戸川蘭世というらしい。見慣れない洒落た名に、同級生たちは驚いた。

「よろしく」

 吾輩は何故か、その少女に惹かれる所があった。と言っても名前に惹かれたわけでは無い。

吾輩は一目で、この少女が話下手であることに気付いた。本当は転入して友人を作りたいのに、会話がどうも上手く出来ない。吾輩はその様な者のことを、隠居と呼ぶと最近学んだ。つまりこの少女は、自身の心を開く術を知らない、隠居の者なのである。

吾輩はすぐに、この少女を助けたいと思った。心の中で叫び、立ち上がった。もしこの教室にいるのが吾輩と少女だけなら、迷わず少女に手を差し伸べていたことだろう。

自身の心に嘘をついて、本当の自分を隠すのは勿体無いことだと旧来からの友人に教えて貰ったことがある。一人で生きるよりも、趣向を同じくするものと友人になり、心を通わせる方が、やはりずっと楽しい。

「では、江戸川さんの席はあそこです」

 先生は吾輩の右隣にある空席を真っ直ぐ指差した。一瞬、こちらが指名されているように見えてしまい吾輩は困惑した。成程、隣なら話しかけるには好い席だろう。

 少女は何も言わずに席に座った。吾輩も無言でその場を見守っていたが、実際は早く話しかけたくて仕方が無かった。瞳を輝かせながら新商品に飛びつく若者は、きっとこの様な事を考えているのだろう。

 その後の授業では、吾輩自身でも信じ難い程内容が頭に入って来た。


 昼休憩に入った時、吾輩は何よりも先に少女の方に向かって走った。

同級生の一人がこちらに視線を向けてきたが、吾輩は表情でそれをやんわり断った。申し訳無いが、今は彼女に話しかける事が優先だ。

 吾輩は昼食を食べる時も少女の様子を見守っていた。同級生たちは皆集まって食べる事を楽しみとしていた。だが吾輩が思っていた通り、少女は一人で食べていた。

本当の彼女は孤独が嫌いなのではないかと吾輩は改めて思った。一人で弁当を食べていた時、彼女は心底寂しそうな顔をしていたからである。

孤独が好きならあの様な表情はしない。やはり吾輩は放って置けなかった。

何も言わずぼうっと座っている少女に向かって、吾輩はねえと声をかけた。

だが、彼女は何も言わなかった。もしかすると聞こえていなかったのか、吾輩はもう一度声をかけたが、やはり黙ったままだった。

 吾輩は心配になった。大丈夫か、何処か悪いなら吾輩が先生を呼ぼうと言ったら、ようやく少女は立ち上がった。

「うるさいから、静かにしてよ」

 彼女が放った言葉はそれだけだった。そのまま吾輩の横を通り過ぎ、廊下に出て何処かに歩き去った。

 吾輩は首を傾げた。少女の言葉には確かに驚いたが、そう言って歩き去る彼女の表情がちらりと見えた。

 怒ってはいなかった、軽蔑もしていなかった、ただただ泣きそうで、寂し気な顔をしていた。

 暫く待ったが数十分経っても少女は帰って来ない。これ以上関わろうとしても迷惑だろうから、吾輩は机に座って少し考えることにした。

 本当の彼女はどのような心持なのか、どうすれば心の扉を開いてくれるのか。


 放課後になると、少女は誰とも話さずに早歩きで帰って行った。吾輩はそれを追いかけず、どうせ気付かないだろうが小さく手を振った。

 すると後ろから何者かに肩を叩かれた。振り向くと、そこにはお嬢様のような風貌をした女子が立っていた。

「やっほー、美月」

 この女子は太宰桜子という。吾輩にとって何かと聞かれれば返答に困るが、親友、幼馴染、竹馬の友、そういった具合の人間だろう。彼女とは幼稚園の時に出会った。

 同級生と先生が教室から消えた後、桜子と吾輩は二人きりになった。彼女は椅子を持って来て、転入生の子と仲良くするつもりなのかと聞いて来た。

 無論そのつもりだと吾輩は答えた。あの少女は人と関わるのが苦手な隠居の者だろうから、お節介であっても、吾輩は彼女を助けたいと付け加えた。

 桜子は概ね頷きながら話を聞いていたが、しばらくすると目を白黒させながら、それは隠居じゃなくて陰キャではないかと言われた。そうかもしれない、吾輩はすぐに訂正した。

 吾輩が間違えた覚え方をしていたことはさておき、桜子は概ね吾輩の考えに同意し、出来る事があれば協力したいと言ってくれた。

 そして彼女は徐に立ち上がり、教室を出て辺りを見回した。彼女は吾輩に向かって頷く。言葉には出さないが、誰もいないという意味だと吾輩はすぐに理解した。

 吾輩は頭を少し左右に振り、猫耳と尻尾を出した。


 紹介が遅れたが、吾輩はその名も猫人間という種類の生物である。普通の時は人間として過ごしているが、自分の意志でこの様に猫耳や尻尾を引き出す事が出来る。

 両親も猫人間で、吾輩は自身の正体を隠して生活していた。本当は在りのまま過ごしたかった為、吾輩の心にはいつも陰りというか、やるせない感情があった。それを救ってくれたのは、他でも無くこの太宰桜子という女子だった。

 幼稚園の時分、吾輩はうっかり猫の状態で水浴びをしてしまい、桜子に目撃されてしまった。

吾輩は焦った。大人に言いふらされて大変な事になると吾輩は感じたのか、或いは両親に怒られると思ったのかは覚えていないが、吾輩は火が付いたように泣いた。

桜子は吾輩がなぜ泣いているのかが理解出来なかった。それでも、涙を流す吾輩の傍にいてくれた。

その時に自身が猫人間である事、そしてそれを今まで隠してきたという事を吾輩は全て話した。嫌われるのを覚悟した上で、秘密を全て打ち明けたのだった。

それを聞いた上で桜子は一言、隠し事は良くないと言い放った。自分に正直に、真っ直ぐ生きるべきだと吾輩を励ましてくれた。

一人で生きるよりも、趣向を同じくするものと友人になり、心を通わせる方が、やはりずっと楽しい。これは他でも無く彼女の持論であり、平生の主張であった。

それから、吾輩は桜子と二人でいる時にだけ猫の状態で接するようにしている。時折猫耳を生やす事によって、本当の自分を見失わないようにしている、とでも言っておこうか。どちらにせよ、吾輩の中にあった世界はその時に開いた。

「先ずはあの少女の心をどの様に掴むか、考えて置く必要があるな」

 猫耳を生やした吾輩は水筒の蓋を外し、茶を啜りながら飲み始めた。

 余り長居をするのは良くないので、吾輩は鞄を持って猫耳と尻尾を体内に仕舞った。桜子も一緒に帰ろうと吾輩の後をついて来た。

だが、今日は桜子と帰りたい心持が無かった。吾輩は珍珠を飲みに行くからと嘘をつき、桜子のもとを離れた。

去り際に珍珠とは何だと聞いて来るから、吾輩はタピオカの事だと答えた。


 後になって吾輩は嘘をついた罪悪感が湧いてきたが、久々に一人で帰るので斬新な心持もあった。大層奇妙な事である。

 今日は気分を変えてみたかった。平時は通らない駅の高架下を潜り、少し回り道をして帰ることにした。

 新しい道を通ると不思議だが時間がゆっくり過ぎていくような気がする。吾輩は駅のコンコォスで、ギタァを弾き語る男を見た。

 大勢の者が駅から抜けていくが、その男には目もくれず立ち去っていく。男もまた、通行人を気にせず演奏をしている。

 吾輩は感動を覚えた。哀れに思ったわけでは無い、男の弾くギタァの音色は豊かで、雑踏の中にひときわ輝いて見えたからである。

 吾輩は百円玉を置いてある旅行鞄の中に入れた。男は驚いた顔をしたが、吾輩はこれで飲み物でも買うと好いでしょうと言い残し足早に立ち去った。

 しかし改めて思い出すと素晴らしい演奏である。もしも男が演奏会を開く事があれば、吾輩は一番前の席で彼の奏でる音色を耳に入れたい。

「只今帰りました、帰りました」

 そうして吾輩は、少し肌寒い風に吹かれながら家へと帰って行った。


 翌日になって、吾輩は改めて少女に話しかけることにした。

 吾輩は何度もねえ、ねえと声をかけたが、やはり少女は何も反応しない。

 このままでは昨日と変わらない、吾輩は少女にどのような事を言うべきか考えた。

「吾輩は君に悪戯をするつもりは無い。せめて何か答えてはくれないだろうか」

 少女の目を見て吾輩は言った。彼女はわざとらしく視線を外して横を向いたが、吾輩はその視線を必死に追った。

 どうにか、どうにかして彼女を振り向かせたいという思いに駆られたが、吾輩はその術を知らない。

 友になりたい、江戸川蘭世と。


続く

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