ローズマリー
今、私は高い塀を見つめている。
この、この塀さえなければ…。
「お嬢様、そろそろ中に入りましょう?」
メイドがそう声を掛けて来た。
まずいわ。
このままでは家の中に入らされてしまう…。
敷地を一周したけれど、正面玄関と使用人用出入口しか、私が外へ行くのに通れる場所はなかった。
どちらにも、強そうなおじさんが立っている。
多分、あの人たち、お父様の味方だわ。
どこかに穴がないか、もう一周くらいしたいのに!
「お嬢様、これ、内緒ですよ?」
そう言ってメイドが飴ちゃんをちらつかせる。
…こ、ここは素直に従った方が良さそうね。
いそいそと屋敷に誘導するメイドに近づき、口を開ける。
メイドは慣れた手つきでそれを私の口に入れて、満足そうに微笑んだ。
ああ、美味しい…。
なんて美味しいの…。
じゃなくて!
くっ、今日も私の崇高な目標、「塀の向こうへ行く」を、阻止されてしまったわ!
大丈夫よ。
塀の向こうへ行く為に、やるべきことが屋敷にもあるもの。
次は自分の部屋でお昼寝のふりの時間だわ。
少し前まではメイドの策略にハマってぐっすり眠ってしまっていたけれど、最近は魔法の事を考えると興奮するから成功続き。
今日もきっといけるわ。
今日も何とかメイドをやり過ごし、こっそりお父様の書斎に入り込む。
お昼寝の時間は、部屋に戻るタイミングが難しいけれど本を読み放題だ。
魔法学の本はちょっと難しい言葉が多いけれど、使ってもバレなさそうな魔法は最近こっそり庭で試し打ちしている。
お父様が悪いの。
何回も教えてってお願いしているのに、ちっとも教えてくれない。
こっそり試すしかないんだもの。
魔法の効果によっては、こっそりどころか大目玉を食らうけど。
食らったけど。
あの日は、そう、ちょっと運が悪かったの。
今日も、メイドの目をかいくぐって魔法の本を開く。
最近、「文官の為の魔法学」にはまっている。
庭で試しても、メイドにバレないさり気ない魔法が多く載っているのだ。
落ち葉が綺麗に積み重なる魔法は最近のお気に入りだ。
次は何を試そうかな?
ペラペラとページをめくる。
「ええとこれは『焼却の魔法』、焼却ってどういう意味かしら。まあいいや。」
ふんふんと、使用法を読み暗唱して呪文を覚える。
使用法が対象に掛ける、とある物は何かその物に効果のある魔法だと言うのは経験で知った。
この魔法もどうやら何かに掛ける魔法のようだ。
また落ち葉でいいかな?
そう思った翌日、庭に出ると綺麗に掃除され落ち葉一つ落ちていなかった。
仕方なく、庭の池の底にある大きめの石に掛けてみた。
メイドがこちらを見ているので、メイドの死角を対象にしなければならなかったのだ。
少し離れているので、背を向けて小さな声なら詠唱はバレない。
けれどコポッと小さく気泡が上がるだけで、何も起きなかった。
うーん。
何のための魔法かわかんないや。
「ねぇリンド、落ち葉はどこへ行ったの?」
今日の私の担当らしいリンドと言う名のメイドにそう聞いた。
ちなみに私のメイドは毎日日替わりで5人くらいが交代で傍につく。
「腐葉土にするために、集めて堆肥小屋に入れるんですよ。」
「堆肥小屋ってどこにあるの?」
「見たいのですか?」
「うん!」
メイドは不思議そうな顔をしながらも連れて行ってくれた。
「何か変なにおいがするわ。」
「馬糞なんかも混ぜてますし、発酵してガスも出ているのでしょう。」
「ふーん。」
よく分かんないけど。
小屋は簡単な囲いがあって屋根がついているだけで壁がない。
死角が少ないわ…。
きょろきょろと辺りを見回し、周辺をうろちょろしてみた。
こんな時メイドはあまり移動しない。
私が背中を向けていても、視界にさえ入っていれば寄ってくることはない。
逆に私がしゃがむなどして、この囲いのせいで私の姿が見えなくなると、メイドは見える位置に移動してくる。
私はしゃがんでリンドの位置を誘導してから、堆肥小屋の正面に周った。
今リンドは、私の姿は見えても囲まれた落ち葉が見えない場所にいる。
よし!
私は詠唱しているのがバレないように顔を出来るだけ下に俯け、小さな声で目の前の落ち葉に焼却の魔法を掛けた。
ボボボボボッ!!!
めっちゃ燃えた。物凄く良く燃えた。
葉っぱ一枚にしか掛けなかったのに、なぜか横に燃え広がった。
リンドはすぐさま私を抱えてその場を離れた。
びびびびっくりした。
え、これ火魔法だったの?!
だったら火って書いてよ!
ひとしきり驚いた後は、もう、真っ青である。
うん。
分かってる。
リンド、そんな顔しないで。
角、角が見える。
「お嬢様!!!何したんですか?!!!」
ひぃぃぃ!!
「り、リンド、このこと、お父様には…」
内緒にしてと言う前に、リンドはまくし立てた
「報告しますから、旦那様が帰宅されるまで、“あの部屋”に入っていなさい!!!」
「そそそそれだけは!!それだけはいやぁぁぁぁ!!」
必死で抵抗したけれど、ひょいっと抱えられて、ぽいっと“あの部屋”放り込まれた。
ぴしゃんと扉が閉まる。
扉の前でカタカタと振るえる私。
何が嫌って…、この部屋の何が嫌って…。
そろぉっと後ろを振り返る。
目が合う男性。…の絵画。
「ひぃぃぃ。」
反射的に目を瞑る。
目を瞑っても見られているようなこの感じ。
無理!!
この部屋の壁に飾られているのは、歴代の当主達の肖像画。
歴史が古いせいで、気持ち悪いくらい顔だらけ。
全ての壁に顔、顔、顔。
無理。
ああ、無理!!
ちびる。
ちびります。
もうしません。
もうしませんんん。
うう…ごめんなさい。
ごめんなさいぃぃぃ。
「うあーんあーん」
大泣きした。
どれくらいそうしていたか分からないけれど、お父様が帰ってきたと部屋から出された。
まだ日が高いから、実はそんなに時間が経っていないのかもしれない。
私には永遠にも感じられたけれど。
部屋から出されてほっと安心したのもつかの間。
魔王降臨。
あの部屋と激おこお父様、どっちがマシかな?
うーん…悩ましい。
なんて事を考えながらお説教を聞いた。
今日はいつもよりちょっとお説教が長かった。