3話 ~挑戦~
父の背にしていた壁一面の本棚がいくつかに別れ、それぞれが動き、最後、中央部が左右に分かれると厚い鉄の扉が現れる。
その現れた扉を見て、思い出したのは祖父の遺産に関するうわさである。
それは、丘を買うほどの巨額の資金がどこから出て来たのかということ、残った資産がどうなったかという点で、学生時代、同級生にからかわれたものだ。
ちまたではいくつかの説が流れており、
『大量の金塊にして家に保管している』との金塊説が主流で
『愛人に貢いだので遺産はない』という愛人説。他には
『地下に施設を作った』のではないかとの地下説があったが、
その秘密は実の孫にも秘匿されていた徹底ぶりであり、私自身、存在するとは思っていなかった。
そんなことを考えいる間に、父は金属製のカギを用いて開錠を終えており、下へと向かう階段が現れる。
「伊藤さんはここで」
秘書の伊藤さんを父はそう言って制すると、2人で地下へ向かうことになり、父はその場で地下へと続く内壁に触れた。
すると、白色のある程度の太さを持った光の線が何度も直角に折れ曲がり、下へと続く濃い闇を駆けていくと、不意に足元のフットライトが付く。
「いくぞ」
淡々と告げる父の言葉に続き、2人は歩みを始めるのだった。
一分程経過したのか?
家の中にいるにも関わらず、足元だけを照らす薄明かりの中で、未知の階段を進むという謎の緊張感により、実際の歩いた時間はよく分からないのだが、淡々と先を行く父に遅れないように行くことだけを意識していた。
突然。
「着くぞ」
その声で顔を上げると、視線の先で小さく階段へと光が漏れているのが分かり、その光は歩みを進めるごとに近づいていく。
ついに到着したのは、郊外のコンビニエンスストアほどの坪数がある開放感のある空間であり、広さは50坪程だろうか、奥へと長い構造を持っていた。
また、天井は5メートルほどの高さで床も壁も白色であるために、光沢のある白い箱と言った印象で、天井にはライトが埋め込まれているのか、それが部屋全体を均等に照らしている。
そして、最奥の壁に設置されている円形の像が部屋の印象を決定付けているあれが“味の真実”なのだろう。
さも、イタリアのそれのようだが、ひびなどは入っておらず、デザインのみ参考にしたということが分かる。
違う点を挙げるならば、少しだけ高く設置されているために、自分の胸辺りの高さに像の口が来るようになっているということだ。
加えて、像の正面から一メートルほどの距離に、漆黒の大理石で作られた四角柱の台が設置されているのだが、正面の像は乳白色で、かつ部屋が白で統一されているために、それは部屋の中で明らかに目立つ。
また、一つの角が入り口を向くように設置された台があり、鏡面仕上げが施された面には一枚の白い皿が置かれ、その淵をちょうど真下に投影した位置に鉛筆の持ち手のほどの太さで水色の真円が描かれ、上から見ればその皿にピタリと重なっている。
なお、皿自体の模様は中心から激しい光が放たれたような絵付けであり、金色のみで施されているにもかかわらず、華美でなく上品さを与えている。
「やはり現れたか」
父は隣でそう独り言をつぶいた後、説明を始めた。
「この部屋の使い方は簡単だ。皿に料理を盛り、像の口へと入れて手を引き、像の口が自動で閉じられていれば挑戦完了、たったそれだけだ。
残念ながら、達成された場合は何かが起こると聞いているのみで、実際に何が起こるかは私にも分からない。
何も起きなければ未達成であり、その場合は書斎まで戻り、書斎の扉を閉めた後、この部屋に再び戻ると、皿はこの台の上に戻っているはずだ」
父は顔だけを像に向けて再び語り出し、私は視界に父と像を捉える。
「---私は本当に幾度となく挑戦した。
記憶の限り父の料理を再現し、また、私自身のスペシャリテ(得意料理)を幾度となく引き下げて挑戦していたが、ついには、試練をクリアすることはできなかった。
そして、どうゆう仕組みかは不明だが、遼が20才になったと同時にこの皿が現れなくなったのだ。
結局、課題が何を問いかけるものなのかわからないが、父の課題---」
そこで言葉を止めた父は、顔を戻して告げる。
「いや、試練を見事打ち破り、この先に何があるのかを確かめてほしい。おそらく祖父の本当の遺産がそこにあるはずだ」
そう父に言われ、若くして私は家を継ぐこととなる。
一人息子であるために名義を無理には変えず、秘書の伊藤さんを通して、折を見て次第に変えていくことになった。
それより、幾年。
日本での板前修業に始まり、さらにフランス、イタリアの三ツ星料理店を修行のために渡り歩きながら、時間を作っては祖父の課題に挑戦する。
加えて日本各地で腕を振るうことで、さまざまな料理や食材、生産者や料理人との出会いによって腕を高め、あの日を迎えることになる。
*
67年の4月中旬、未だ課題を達成できずにいた。
地方での仕事が終わり、次の仕事先に行くまでに一週間程のまとまった時間を作ることができた。
この機会に「課題の核心を捉えよう」と望む彼を支えていたのは、直近の数カ月でついに外枠をおぼろげながらも捉え始めたとの思いであった。
課題を突破するために、通常には出回ることのない食材“闇食材”を使用した上で、祖父と同等の腕前に立つことだと彼は考えていたが、冷静に見極めた上でその外枠はすでに満たされているようであった。
一日目、父に教えられた祖父のレシピを仕入れた闇食材を用いて再現し挑戦するも、結果はいつもと同じく"何も起こらない"である。
このレシピは祖父の素朴なスペシャリテで、北海道産ジャガイモを、刺身に使う大根で作るツマ(※刺身や吸い物に用いられる付け合わせ)の要領でジャガイモを麺上に回転させながら切り出し、同じく北海道産のバターで炒る。
次に石川県の能登半島で生産される日本三大魚醤(※魚醤:魚類または他の魚介類と塩を主にした液体状の調味料)である“いしり”を加え、程良く芯が残る程度に火を通す。
そして、うすい豆(※実が大きく上品で繊細な甘みを持ち、同じマメ科のグリーンピースと比べて皮が薄く、青臭さが少ないのが特徴)をベースに作られた緑の鮮やかなソースを皿の下に盛り、そこに信州味噌(※長野県を中心に生産されている米こうじと大豆で作る味噌で、淡色と辛口という特徴を持つ)と木の芽を加えた味噌のソースを作っておく。
お皿にうすい豆のソース、ジャガイモ麺を置き、あしらいに揚げたジャガイモと生の白髪ねぎ、ゆでたコシアブラ(※タラの芽やウドと同じウコギ科の山菜)と、アクセントとなる味噌のソースをかければ完成だ。
イタリアにいた日本人シェフの料理に着想を得たその料理名は“鮮緑 ~石川県産いしり 春の調べ~ ”である。
作るたびに改善点を見いだし、料理としての完成度を高めているにも関わらず、いまだに試練をクリアすることができないことが、一つの確信となり始めていた。
その確信とは、
「今となっては、祖父の味と比べることはできないが、この祖父のレシピに関しての改善点はもはや小さすぎる」
ことを根拠にした、
「祖父のメニュー単体ではこの試練に合格することはない」
との確信である。
そして、その思考プロセスは遼の慢心から来るものではなく、一つの事実である。
少しだけ例え話をしよう。
初心者とプロとの差は果てしなくあることは、だれにでも分かるだろう。
しかし、プロ同士、例えば「二ツ星と三ツ星の差がどこにあるのかを答えなさい」言われたとき、その差をはっきりと答えることは、だれにでも可能な訳ではない。
また、どの星の店、そして星の有無に関係無く、人気店やおいしいと評判のお店では、その一皿と提供に努力しているのは当たり前で、上に行けば行くほどに差は小さくなり、向上・改善の余地は見えづらくなっていく。
しかし、その小さなすき間さえ見逃さず、改善し尽くしてもなお、貪欲にいられる者だけが本物の腕を磨いていける。
そして、この数カ月、どんなに心を穏やかにして臨んでも、逆に触れた紙がその自重で切れる刀のごとく研ぎ澄ましても、改善点を見つけることはできずにおり、続いての2日目、祖父のメニューにはない自身のスペシャリテで挑むが、それも結果を変えるには至らなかった。
その夜、すっかり自分のものとなった書斎でコーヒーを飲む彼は、その苦さが体に染み渡るのを感じた。
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※信州味噌は長野県味噌工業協同組合の地域団体登録商標です。