2話 ~革新的農薬~
「配給を利用した効率的な食の実現こそが、豊かな社会を支える力になる」
という政府の主張を中学現代史として学ばされ、その意識が社会全体に浸透・構成していくと並行して、CM利用は加速を続ける。
その原動力は、農作物・家畜への驚くべき効果であり、その“作用期間と万能性”により従来の農薬というカテゴリーの常識を覆し、同時に世界規模で“万能薬”と呼ばれて国内外を問わず広く認知されていった。
その農薬は植物のタイプを選ばず、米にも、畑の作物にも、果物にさえ有効で、あらゆる農作物に少量かつ驚異的な力を発揮した。
その全く新しいタイプの農薬は政府関係者などの秘密を共有する者達以外にも“偶然”CM(Coherent Material:密着物質)という名前で普及していくのだが、その農薬の性質は最初に触れた作物を記憶、それ以外の生育を阻害するという画期的なものである。
実際には次の手順で使用可能だ。
ビン入りの500g原液に育てたい植物を1g以上入れ、24時間以上放置するだけで溶液は完成する。
作業はたったそれだけであり、さらに推奨の1千倍希釈で使用すれば、通常の500g入りの物では500L分もの農薬が完成である。
そして次の引用は、農産物の国際会議におけるドイツの科学者による発表であり、『最新の農業革新と持続的発展』というテーマで行われた講演である。
「---この農薬はまさに、“人類にとっての革命”なのです。
数世代を重ねても作用は継続し、驚くべき効果を少量で発揮します。
その事実に全世界の農産・畜産関係者が注目し、世界中にこれを使った農業革命をもたらしており、それでいて、人間の体内には24時間しか残留できず、無味無臭でアレルギー反応などの症例も一切ありません。
また、海洋の生態系への影響についても、この農薬に関しては心配する必要はなく、わずか2,3年で全く別のありふれた物質になることが分かっています。
なおかつ、少量で済むためことから大量に海洋へと流出する危険性は極めて小さいという前提があります。
そして、魚類・貝類・その他、海を利用する水生生物へのあらゆる実験でマイナスの影響を確認できなかったばかりか、場合によって生育に役立った結果さえ報告されています。
まさに、これは完成された農薬であり“万能薬”と呼ばれるにふさわしく、全く新しい価値を提供する物質です。
*
最後に、この農薬のさらなる利用や研究が、世界中の貧困さえ撲滅させるカギとなる可能性を持ち、人類の持続可能な発展へと大きく寄与していくことを私は確信しています」
と締めくくられ、大きな歓声を生んだのが、終戦のわずか4年後の2036年であることから、CMの普及は常識を上回る速度であったのだが、その背景には世界中で起こる異常気象や世界人口増加などへの対策として、画期的な農薬が大きな期待を集めたからでもあった。
そんなCM(Control Material:欲求管理剤)を用いた農産物が拡大していった中で、発信源となった日本の台所事情を見ていくことにする。
配給は依然として継続。その依存率は戦後わずかに低下するが、以降は急上昇していくのだった。
その裏には配給の高い満足度と、それに起因する調理への関心の低下があった。
例えば、配給という効率的な食が社会全体に浸透することで、家庭科などの調理体験が見直され機会が減少。学生の知識不足が加速し、食は配給への依存を強めて行くということなどが発生した。
そして、トレンドとなっていく配給は調理を短時間で済ますことができる味もおいしいと評判のスティックタイプの配給であり、そんな状況下では“家庭”というコアな単位で行われる食事の様子などは察すべきであって、昔の様子を知るものにとっては、一部崩壊とも言える状況である。
食事の時間だからと言って家族がそろうことは少なく、作業の合間や帰宅途中にあるコンビニエンスストアでも配給食を購入できるためにそちらで済ませることも多く、食の変化が様式まで及んだ。
しかし、そんな状況下においても、飲食業は存在する。
一つ、日常から離れた時間や特別な食を求めること。
二つ、大切な人との価値ある時間を共有すること。
三つ、外出時でも食事を取ることが必要となること。
のために、飲食業は残ったが、
当然、昔のままというわけにはいかなかった。
*
2054年。
愛知県岡崎市の成人の日。
成人式の会場近くを歩く一人の人物がおり、成人式のために岡崎へと帰ってきていた。
落ち着いたグレーのスーツを着ての祝われる側としての参加である。受付で胸元に花をつけられた後、式場へと向かい群衆へと紛れてしまったのだが、もし仮に彼がいるエリアを上から見ても、服からは特別な個性を感じられない彼を群衆の中から見つけることは困難なことだろう。
無事に式が終了して直接2次会の会場に向かった彼は、手洗いと一体となったフィッティングルームで身だしなみを整え始めたのを、備え付けられた鏡が映し出していた。
その特徴を端的に三つ挙げると、大きい(高身長&厚い胸板)、短髪、奥二重というものである。
そんなパーツから構成している彼の印象を、動物に例えようとすると、サルでも、ウサギでもなく、ゴリラであったのだがそれは“風味”であるというのは断っておこう。
また、仮想の尺度を評価できるメーター(不細工・イケメン・男臭い)を取り出して顔を評価すれば、その針が示すのは、イケメンだが若干男臭いとなる。
他参加者の利用が予想されるので、ノックされる前に目的の作業である、シャツをフォーマルからカジュアルなものに、さらに胸元のハンカチを外すのを素早く終えると、彼は受付へと向かった。
*
2次会の解散後、地元に残った数少ない友人を通して形式的に3次会に誘われたが、父との約束を理由に断りを入れて帰路につく。
外に出れば予報通りに天気は崩れており、車道を行く車のライトが雨の線を浮かびあがらせていた。
そのことを確認した彼は、彼は言いつけ通りにタクシーで帰ることにして、事前に渡されていたお金を元手に黄色のそれを拾う。
「ご乗車、ありがとうございます。どちらまで?」
「○○町のコンビニエンスストアまでお願いします」
「承知しました。発車します」
と言うとメーターのカウントを運転手は入れる。
「今日、岡崎市は成人式だったみたいですね。お客さんもでしょう?」
「ええ。帰りなんです。」
そう、端的に返す。
そのとき会話を煩わしく感じていたために下を向いてゆったりと座り直し、寝ている様子を演出し始めたのだった。
*
「---お客さん着きました」
不意に声が掛けられた。
代金を払って礼を告げ、傘を差して車から出て家に向って歩き始めるのだが、しばらく前に正門を通過したものの、母屋に向かうためにはもう少し距離がある。
そしてさらに少しばかり歩き、帰り着いたのは小高い丘、その中腹に建てられたコの字型の洋館なのだがそれこそ彼の実家で、丘全体が私有地でもあった。
大きな坪数を今でこそ持つのだが、祖父の代まではそうでもなかったらしい。その昔、敷地内には家がまばらに立っていたようだが、それを祖父が丘一帯を買い取ったようだ。
また、料理人として名をはせた祖父であったが、それを不動とした出来事があった。
それは丘の中腹に離して三つの店を立て、それぞれに違うジャンルの料理を提供した上で、その全てで3つ星を獲得するという偉業であった。
祖父の亡き今となっては、店は閉じられているが、店舗等の外観などを公開するに至っている。
多くの名料理人を輩出した店を尋ねて来る人に向けたもので、日中は外部との接続を制限せず自由に店舗周辺を散策できるようになっている。
今では散歩コースとして利用する地元の人と、料理人なのであろう、店を熱心に観察する人や、祖父の墓に手を合わせるさまざまな年代の料理人の姿を敷地内で確認することできた。
そして、家をいずれ継ぐことになる私には、壮大な目標がある。今は亡き栄光の店を再開店させ、その輝きを取り戻すことだ。
実際に何が決定的にそうさせたというわけでないが、幼いころから料理・調理に関する教育を受け、料理をすることが身近であり、生活の一部でもあった。
そんな環境の中で、楽しさが分かったこともあるが、特に記憶の中にある祖父の味が忘れられなかったことが大きかったと晩年の彼は答えたという。
それは“異なる温度の思い”と“温かさ”であり、若い時には不透明であったその理由を次のように語る。
「祖父の作り出した料理と同じ、もしくは超えた料理を自身が作り出したいという気持ち。
それに味という複雑な想像上の感覚を現実へと引き込めたときの自身を襲う充実感が忘れられませんでした。
(中略)
そして、容易に人の想像を超えた料理を常に提供し続けた祖父へのあこがれが私を裏付け、その道を示してくれたことへの感謝を次第に抱くことになります…」
そんな彼を成人式の後に呼んだ父はと言えば、30代前半にして雑誌で紹介される一角の料理人であった。
にも関わらず、政策と食の複合的な知識を買われ、料理人から役人に転身した異色の経歴を持つ人物で、今ではスーツが似合う官僚といった風体で、切れ長の目が良く似合う。
そんな父に呼び出された彼は、さらに父の秘書を加えて三人で成人式の後に実家の書斎に集まる予定であった。
外は小雨が降り続いており、1月という季節の暖房の効いていない冷えた廊下を抜けて父の書斎をノックする。
「どうぞ」
と扉の奥から入室の許可が下りる。
「遅くなりました」
そう断って部屋へと入っていく。すると、入って右側の談話スペースに秘書の伊藤さんがパソコン入力しており、正面の大きな机では父が書類を読んでいるようであった。
父は自身の腕時計にサッと視線をやり、書類を置きながら、
「いや、予定通りだ。椅子に掛けなさい」
と促され、伊藤さんの正面に座わってあいさつを交わす。
パソコンを閉じてフランクに右手を少し上げる彼は30代であり非常に仕事ができる人物だと聞いている。
「遼さん、こんばんは。お久しぶりです」
「こちらこそお久しぶりです。父がいつもお世話になっております---」
そのようなやり取りをしているうちに、父がやってきて書棚となっている壁を背にして上座にかける。
「待たせた。ではさっそく本題に入るとしよう」
そこで一度言葉を区切った父は、身を乗り出して手を組むと再び口を開く。
「遼、この家を継ぎなさい」
父の驚きの宣告は結論からスタートしたため、一瞬の間、思考が停止させられてしまう。
「…え?」
再起動直後のため、そう返すのが精一杯であったにも構わずに畳み掛ける。
「これは遼の祖父が立てた家訓によるものだ。
いわく、
『料理により家を大きくした、東家において料理とは
人生の手段であり、希望であり、野望である。
故に当主はそれらを体現できなければならず、
当主は私の与えし課題に合格すべく努めること。
もし課題を解決できず、料理の道を志す子が成人になれば、
自身の受け継いだ遺産をすべて相続せよ。
これを家訓とし、永代に渡って守るべし』
とのことである。
このような機会を設けたのも、家訓による相続を行うためであり、また私が課題への挑戦権を失った為でもある。
その在処はこの書斎より続く本館の地下であり、ローマにある真実の口のような“味の真実”という名前が付けられた像が“父の最も重要な遺産”を守っているはずだ。
まあ、百聞は一見にしかず。口で言うよりも実物をみてもらった方が早いだろう」
そこで言葉を切った父は、席を立つと、後ろにある本棚のある2つの本を同時に押し込んだように見えた。
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