緑竜
「お母さん、今日、化粧濃くない?」
ドキッ!
「そう? いつもと同じだけど」
流石は女の子、そういう所はよく見ていると思いながら、私は答えた。
娘の学校の三者面談。誰の目を気にする場所でもない。
そう……人の目は。
出会いの話を聞いてから、何となくだが、竜のイメージがはっきりとしてきている気がする。
銀色に輝く鱗だとか、こちらを見つめる銀青色の瞳だとか。
瞳は……ないんだけど。目にあたる部分は全部銀青色。
日本画によくある睨み竜の様にでっかい目ではなく、西洋のドラゴンみたいな切れ長の目をしている。
だからまぁ、最初の頃、星のついた球を幾つか集めると出て来る竜のイメージがしたわけだろう。
それでも感情は読み取れる。
その目と言うか瞳と言うかでこちらを嬉しそうに、優しく見つめられると、何とはなしにほだされて来る。
恋愛経験なし。見合い結婚で、そろそろしないとまずいかぁでお互い結婚したので、こんな目で見つめられたことはなかった。初めて味わう胸キュン感覚。
竜にとって、大切なのは魂であって、器ではないのはわかっている。
顔やらスタイルなど、気にも留めていなさそうだ。
一度、トイレに出てくるのはやめてくれと言った事がある。すると、実に不可思議そうに
”何故だ”
と聞いてきた。
-……恥ずかしいから―
素直に答えた。
”……それは、器を維持する為に必要な行為であろう。何が恥ずかしいのだ?”
-まぁ、そうなんだけどね。匂いとかもあるし-
”人間界の匂いはわからぬ”
へぇ、そうなんだ。
”ここは昼の間、そなたと我が最も身近に感じられる場所だ。そこに来ないでくれとは、我を嫌うているのか、そなたは”
だからぁ、アメリカンクラッカー型の涙流して泣かないでって! なんで、いきなりギャグと言うかデフォルメするのよ!
私が勝手にそんな風に妄想しているだけか……。
-はいはい。わかりました。もう言いません―
”来ても良いのか?”
-ん。いいよ―
もう見られまくっているんだもの、一緒よね。
”そうか、そうか”
ピースサインをどこで覚えたんですか、妄想竜様。
そんな会話をするようになって思う事は、竜にとって「私」は何なのだろう……だ。
「私」と言うのは、現代にオンギャァと生れて、四十数年生きて来た「私」。
夜、眠る前に竜の尻尾の上や、前足の爪の上に乗っかって竜と話をしているイメージが浮かんでくる。
神に呼ばれて入った器の話とかしている私を、それは優しそうな瞳で見つめている竜。
あの瞳がヤバいんだよね……。
入っている器は、虫とか、魚って感じかな。
つまりは、それらと同等なのではないかと。
虫や魚の美醜って……あるのだろうけど、人から見ればそう大差ないように見えるのと同じで、竜から見れば人の美醜もそんなに気にならないのかもしれない。
てことは、「私」はどうってことない存在になるわけだ。
ブスだろうが、デブだろうが、バアサンだろうがだ。
なんだかなぁ、ちょっと虚しさを感じてしまう。感じながら、馬鹿馬鹿しい足掻きと思いつつ、柔軟やら腹筋やらを始めてしまっている私が居る。ついつい、化粧を濃くしたり……。
はぁ、と溜め息を吐きつつ、面談の順番を待ちながら何も見えないのはわかっているのに、空を眺めた。
三者面談、無事終了。まだ一年生だから気楽なものである。受験の話が出てくるとこうはいかないだろうが。
とりあえず、現実は実に問題なく過ごせている。竜が守ってくれているお陰? ……ま、そうしておいてもいいか、と竜に感謝をすべく布団の中に潜り込んだ。
この頃、眠る前のほんの短い間、竜の世界に入りこんで行く気がする。竜が話してくれたあの出会いの空間に。
何もない空間。竜と私以外は本当に誰も居ないし何もない。それでも、心が和む。
いつもの様に、竜の尻尾の毛に包まってほわほわしながら、気になっていた事を聞いてみた。
-ねぇ、二百年前まで、ここで二人でこうしていたわけ?-
それに、どうしていきなり地に降りてきたんだろう? 今の器が壊れるまで、いつものようにここで待っていてもいいわけだろうし。
”いや、そうだなぁ、二千年ほど前か……そなたをここから追い出した”
は? 追い出した!?
-どうして? 私、何か気に入らない事したの?-
”いいや。そなたから、ここから居なくなった者達の事を聞いてな”
-居なくなった……-
ああ、そうよね。どうして私だけがここに残ってたんだろう?
-何処へ行ってたの?-
”「地」であり、「地獄」であり、「天」じゃな。そなたから聞いた話によると”
ふむ……宗教的に言うと、そんな感じになるわよね。
「地」に居るのは、浮遊霊とか、地縛霊とか?
「地獄」は当然、罰当たりの事をしでかしたわけね。
「天」は、一応、死んだら行くと言われている所。
で、どうして私は、その何処にも行かずにここに帰って来てたわけ?
自分のことながら、わかんない!
”殆んどの者は「天」へ行き、「人」になると言った”
少し切なそうに、竜が呟くように言った。
―「人」に……-
”「天」に行き、今までの生での所業に評価を受け、良ければ入れる器がどんどん良くなって行き、最終的に「地」で一番上の器、「人」に入れる。しかし、「天」に行かなければずっと同じような器に入り続けねばならない”
そう言えば、虫とか魚ばっかりだったわよね、私の入ったっぽいのって。つまりは、魂の進歩なし!
う~~~ん。別に進歩しなくてもいいかぁ……て考えちゃってそうだわ、私なら。ここでのんびり寝てたいって。
”そなたは、「人」になれずとも良いのかと聞いた”
-なんて答えたの、私ー
”……「天」に行けば、すべてを忘れる……とな。今までの生も、ここでの事もな”
ああ、やっぱり、ここで寝てたかったんだわ。私ってば、ホント進歩ないわ。
”じゃから、追い出した”
へ?
”そなたが「地」に行った後、完全に結界を閉じた。それまでは小さな魂くらいなら行き来できる隙を作っておいたのだがな”
……それって、私を「人」にする為…………?
”そなたを追い出したはいいが……。その、なんだ……”
頬の辺りをポリポリと鋭い爪で掻きながら、視線をうろつかせて竜は口の中でもモゴモゴと言った。
-何? はっきり言ってくれないと聞こえないー
”そなたが「人」になっているかどうか気になってな。見に行った”
はい?
”ほれ、ずっと「地」でうろついていたり、「地獄」とやらに落ちていたら、何の為に追い出したかわからぬであろうが”
やっぱり、私を「人」にしようとして追い出したんだ。
―それが、二百年前……?-
”いいや……そうじゃなぁ、千二百年ほど前か”
千二百年前って、平安時代、よね。
”その時にあのクッソ大御神にとっ捕まってな!”
クッソって……偉い神様なのよね、、大御神様って。
”見に行ったはいいが、ワチャワチャとここに居た者達より多い魂が地を覆い尽くしていてなぁ。そなたが何処に居るかと探していた時に、大御神がそなたが何処に居るか教えてやる代わりに、竜界の王になれと言ってきやがった”
-竜界の王?-
”何やら竜王の跡目争いをしているらしくて、それを治めて王となれ、とな”
―それで……?-
”仕方がないから、竜王になってやった。「人」となれていた、そなたに会ってからな”
そうだったんだぁ。
”これが、おまえ達の竜界の王になった経緯だ”
はへ? 今のって私に言った……わけじゃないわよね。いつもは私の事「そなた」って呼ぶし、それに「達」って言ったわよね。ここに居るのは私だけ……のはずなんだけど?
見上げると、竜があらぬ方を見ていた。
じっと、動かずに一点を見つめている。
どうしたんだろう? 何を見ているのかなぁ?
私もそちらを見たけど、何もない。
いや……何か……感じる? 何かが、誰かが蹲っているような……。
”いつまでそこに居る気だ?”
竜がついに口を開いてそう言った。
やっぱり、誰か居るんだ。
”やれやれ、やはりばれましたか。出来る限り気配を消していたのですが”
竜!?
暗い闇の中から現れたのは、緑色の鱗をした竜だった。
うっそ! 妄想暴走!?
竜をもう一頭妄想しちゃうなんて!
”ここで、何をしている?”
すっごく不機嫌そうな、どっちかって言うと不穏な空気をまとわりつかせた声で、竜がもう一度問いただした。
あんまり仲が良さそうじゃないみたい、あの竜さんと。
うっ。竜が二頭になっちゃったら、どっちがどっちの竜さんかわからなくっちゃう。
ん~~~~。緑竜と……妄想竜? いや、色で言うなら銀竜かな?
”あなたを見張っていたわけではありません。ただ、俺は俺の役目を果たしていただけです”
緑竜がヤケ気味に言い放つ。
ふぅ……ん。緑竜は「我」じゃなくて「俺」なんだ。話し方も銀竜みたいに固っ苦しくないし。竜にもいろんな竜が居るんだぁ。
”役目?”
”ええ、そうです。他には何もしてません”
”役目とは……?”
緑竜はちょっと躊躇ってから、
”その人間を守る……ですか”
と言った。
へ? 私ですか?
すっと、銀竜の瞳が狭まる。
何、何? 他の竜が私を守るのが気に入らないとか?
”勘弁してくださいよ。本当に俺は命じられた役目を真面目に果たしているだけなんですから”
”誰の命だ?”
”そりゃ……人を守れと命じるのは、大御神でしょう”
大御神様!?
それ……ヤバくないです? 銀竜さんってば、大御神様の事……。
”大御神が!? なぜ、この者を守れなどと命じた!?”
お嫌いのようだから。
”大御神が理由なんて言いますかねぇ”
”言わぬな”
フンっと鼻を鳴らす。
”でしょう? ですが、命に従わないわけにはいかない。特に、俺のような下っ端はね”
ヒョイッと肩を竦める。
と言うイメージがした。竜の肩ってどの辺り?
緑竜がそう言っても、まだ銀竜は剣呑な雰囲気をおさめようとはしない。
”本当ですって。この者の所にあなたが居るのを知って、慌てて身を潜めたんですから”
”それだけか?”
”あ!? それだけ?”
”この者の所に来て、身を潜めただけか?”
こう問われて、緑竜は軽く息を吐いた。
”竜王妃……いや、竜王母様はまだ探しておられますがね。俺っちはそのお役目を与えられていないんで。自分のお役目を遂行するのに手一杯なものでね。ただまぁ……あちらも必死なようなんで、そろそろ見つけるかなぁ……とは”
そこで二頭の竜が睨み合った。
話が見えない。何やら竜の世界で揉め事があったみたい。
で、さて、人間の私はどうすれば……。
銀竜さんが私を守りたい理由は、まぁ話を信じるならわかるけど、緑竜さんは? 大御神様がわざわざ私みたいなどこにでも居る平凡が服着て歩いているオバサンを守れなんて、言うものかなぁ。
……あれ? 占いのおじさんが言った、とてつもなく、どえらくでっかい神様……て、銀竜さんの事かなぁって思ってたけど、もしかして緑竜さんの事だったりして。大御神様から命じられてきた竜さんだものね。ん? あの時、もう緑竜さんは私の所に居たのかなぁ?
”居ましたがね”
へ?
”あの者が言ったのは、我の事であろうな。この竜より、我の方が数倍、気も能力も強い故な”
あ、そうなんだ。
”あなたより強い竜なんて、ここら辺りには居ませんからね”
ここら辺りって、どこら辺りなんだろう。
”ここら辺りは、ここら辺りだな。広い宇宙の中には、もっと強い竜が居るかもしれないがね”
宇宙規模ですか。
てか、私、話しかけた!? かけてないよね!
”ここは、竜の空間。話しかけなくても筒抜け”
え―――――!やだぁ!
”やだぁって。ホント、面白いな、あんた”
面白い……。
その時、銀竜が私の前にズズイッと進み出て、緑竜から私を隠すようにした。
何?
”我の妻に無礼な口をきくことは許さぬ”
は? 妻!? 妻?
一体、いつ私があなたの妻になったのよ!
”そんな! なってはくれぬのか? 我にはそなたしかおらぬと言うのに!”
銀竜はクルリとこちらを振り向き、アメリカンクラッカー型の大粒の涙を垂らしながら訴えてくる。
だからぁ、泣かないの!
ブッと後ろで吹き出す音がした。
”あ、あなたのそんな姿が見られるとは……。いや、マジ、ない!”
緑竜がお腹を抱えて、大笑いするのを必死にこらえている。
銀竜のこめかみ辺りには雨粒型の汗。
ギャグマンガの世界だわよ。
”誰が、誰の妻ですって!?”
銀竜や緑竜より少し高めの声が、竜の空間に響き渡った。
”あなたの妻は、私にございましょう!”
そのセリフと共に、もう一頭の竜が姿を現した。
薄紅色のきれいな鱗の色をした、優雅そうな竜だった。
チラリと銀竜が緑竜を見やる。
”俺じゃありません!”
薄紅竜を呼んだのは自分ではないと、ブンブンと首を振って主張しまくる。
”あなた! ああ、やっとお会いできました! どれほど探しましたことか!”
大声でこう叫びつつ、銀竜の元に駆け寄ってくる。
ん―――。飛び寄ってくる?
それを、銀竜は実に冷ややかな目で見つめている。
”私が悪うございました! あのように小さき人霊くらいお傍に置かれるのを認められぬとは、何と心狭き行いであったかと反省しております。もう何も申しません。ですから、我が元にお帰り下さいまし! 皆も待っております!”
ヨヨヨと泣き崩れんばかりに訴えかける。
ということはつまり、私って、浮気相手!? 愛人!? 不倫関係!?
うっそおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ―――――――!