3話 二人の距離
距離が開いた。幼なじみだった二人の距離。
ほんの一週間前まで、同じテーブルに座り、母親たちを交えて談笑するほど近かった少年と少女。
今では近くて、遠すぎる。
「アロ君、おはよっ!」
春の国の王立学園の朝の一コマ。幼なじみの二人は、ろうかで顔を会わす。
ストロベリーブロンドの少女ルタは、食べたくなるような甘い笑顔を浮かべて、声をかけた。
「おはようございます、ルタ子爵令嬢」
アロンソ少年は軽く頭を下げて、 一歩横へ動く。
少女へ道を譲り、頭を下げたままだった。
「……ねぇ、アロ君。最近、どうして、ワタシを避けるの?」
食べたくなるような笑顔を曇らせ、少女は小首を傾げる。
急によそよそしくなった幼なじみに、くすぶっていた疑問をぶつけた。
「本来の距離に戻っただけです」
頭を下げたまま、顔を上げない。努めて冷静に、言葉を紡ぎだす。
少年の心が、ズキリと痛んだ。自分だって、本当は距離を取りたくない!
けれども、周囲の環境が変わってしまった。
貴族の中で一番下の階級の男爵家の跡取り息子と、王太子の花嫁に内定している娘では、同じ立場に立てないのだから。
なおも言い募ろうとした少女に、冷たい声がかけられる。
「ルタ嬢、男性を困らせる発言をしてはなりません。
あなたは、王太子の婚約者候補に選ばれた以上、未婚の女性として、適切な距離を取る必要があります。
必要以上に近づけば、不貞を疑われ、あなたのご実家、そして、声をかけられた相手の家も迷惑をかけることになりますよ」
「迷惑なんて、かけてないわ!」
「王太子の婚約者候補である以上、もっと自覚を持ってください。
あなたが男性に近づくだけで、過激派思考者に『王太子を裏切った』と見なされ、反逆者呼ばわりされる可能性があります。
反逆者の烙印がおされれば、あなたのお家も、あなたの恋人と見なされた相手の家も、お取り潰しになりますよ?」
王太子の婚約者候補のお目付け役の娘が、いつの間にか少女の後ろに立っていた。
淡々と説明をして、少女を脅す。
「あなたは、目の前の男性を、王太子の婚約者候補を奪った犯罪者にして、処刑させたのですか?
そうでないないなら、気にせず、さっさと通りすぎてください。
王太子の婚約者候補が、人の行き交う廊下の真ん中に立っていると、誰も抜き去ることができません」
一切の反論を許さない口調に、イチゴのような少女は、嫌そうな表現を浮かべながら振り返る。
「ルタ嬢、聞こえませんか? さっさと通りすぎてください。
もうすぐ、もう一人の王太子の婚約者候補が登校してくるので、『わたくしの通行の邪魔をして、なんのつもりですの!?』と甲高い声で怒鳴られる前に、去った方が懸命だと思いますよ」
ルタに負けず劣らず、可愛らしい笑顔を浮かべながら、お目付け役は毒舌を炸裂させる。
どこぞの女優を思わせるように優雅に歩き、さっさと少女を抜き去った。
もう一人の婚約者候補と聞いて、周囲の平民の生徒たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。
お目付け役の後を追い、苺のような少女を抜き去って、それぞれの教室に入っていく。
「……アロ君も、早く教室に入って」
苺のような少女は、顔を強ばらせると、幼なじみに軽く声をかけて、足を動かし始める。
身分を傘にきて横暴に振る舞う、王太子の正室になる予定の、ヒステリー王女が苦手だ。
幼なじみの少女の足が、目の前を通り過ぎたのを確認してから、少年は顔を上げた。
廊下の端にある階段から、王太子と王女の声が聞こえ始める。
「なんですの、あのセンスの無いドレスは! 王女のわたくしを、バカにしていますの!?」
「うるさい、黙れ! 王族が人前で感情を露にするなと、いつも言ってるだろうが!
それから、お前のいつも着ているドレスは、僕の趣味じゃない! 嫁になるつもりなら、たまには僕の趣味にも合わせろ」
「わたくしは、わたくしの着たいものを着ますわ! 指図しないでくださいませ!」
……春の王太子と正室予定の王女が、またケンカをしているようだ。
声の聞こえた者は、少年を含めて、一瞬、全身を硬直させる。
触らぬ神に祟り無しとばかりに、生徒たちは教室へ逃げ込む。
演奏家の卵である、耳の良い少年には、甲高いヒステリー声が、爆音兵器に聞こえていた。
教室に逃げ込み、自分の席に座ると、耳を押さえて、爆音兵器が教室前を通り過ぎるのを待つ。
待っている間、脳裏に、一週間前の母親の台詞がよみがえった。
『これだから、残虐王の子孫は、嫌ですわね。性根が曲がっているのが、丸わかり。
あんな王女より、ルタちゃんが花嫁になった方が、王太子様は絶対に幸せに、なれますわ』
……王女の爆音兵器を、毎日、王立学園で聞けば、母親の意見は正しいと思ってしまう。
同時に、幼なじみのルタが、王女の身代わりにされるなんて、ひどい扱いだとも、思ってしまう。
自分が王子だったら、最初からルタしか選ばないのに……と、歯噛みしながら。