2話 壊れた楽器
麗らかな、春の日差しが降り注ぐ。こじんまりした庭には、春を彩る花がところ狭しと咲いていた。
ここが都会のど真ん中だと、忘れてしまうほど、緑豊かだ。
庭の真ん中には、白いテーブルクロスのかけられた机が一つ。その周りには、三つの椅子が置かれている。
椅子には、二人の貴婦人と、ストロベリーブロンドの少女が座り、午後のお茶会を楽しんでいた。
白いテーブルクロスの上には、甘い匂いを漂わせる、苺を使ったお菓子が所狭しと並べられていた。
三人のおしゃべりを後押しするように、優しいリュートの音色が響く。
机から少し離れた所に陣取り、少年は弦を弾いていた。貴婦人たちの話題は、次に移る。
「それはそうと……ルタちゃん、王宮に呼ばれて、王太子様と謁見されたんですって?」
「おば様、王太子様のハンカチを、お返ししただけですわ」
男爵夫人の質問に、ふわふわのストロベリーブロンドが上下に揺れる。どことなく、誇らしげに。
「そのハンカチって……あの王女が、捨てたんでしょう?
王太子様が、わざわざ贈られたのに、泥だらけになって汚いからって。
ハンカチを拾ってくれたルタちゃんに、お礼を言うわけでもなく、『分け与えてあげる、ありがたく思いなさい』なんて、恩着せがましく言って、押し付けるなんて……舞踏会で有名でしてよ」
「あら、お耳が早い。ええ、娘は綺麗に洗って、王太子様にお返ししましたわ。
受け取られた王太子様は、ショックをお受けになられたと、娘から聞いておりますの」
「これだから、残虐王の子孫は、嫌ですわね。性根が曲がっているのが、丸わかり。
あんな王女より、ルタちゃんが花嫁になった方が、王太子様は絶対に幸せに、なれますわ」
「あら。うちの子が、王太子様の花嫁になどと、おそれおおい。他にも、側室候補は選出されておりますもの」
男爵夫人の心からの本音に、子爵夫人は貴族の微笑みを浮かべて、本音半分建前半分の返事をする。
いつもの光景、いつものやり取り。アロンソの耳にタコができるくらい、目の前で交わされた会話。
突然、おしゃべりな男爵夫人が、息子の方を向いた。
「アロンソ。今、音が半音ズレたわよ?
いくら内輪のお茶会だからって、気を抜くんじゃありません」
「ごめんなさい」
少年は短く謝罪して、演奏を中断する。
母親が女同士の会話に戻ったのを確認して、椅子の背もたれに体重を預けた。
精神的疲れを感じる。軽く息を吐き出し、リラックスしようと試みた。
……その瞬間になって、やっと気付く。
リュートを握る左手に、かなり力が入っていることに。
演奏の止まった幼なじみを、ルタは見やった。
「アロ君、次はセレナーデを弾いてよ」
「……また? ルタって、本当に好きだよね」
「今の流行なんだもん。お願い、弾いてぇ。ねっ?」
甘い苺を思わす声で、少女は語尾を間延びさせながら、催促する。
可愛い、可愛いと言われて育ったルタは、自分の魅力を最大限引き出す方法を、自然と身につけてしまった。
幼なじみの心をざわつかせているなんて、これっぽっちも思っていない。
いつものように、いつもの調子で、おねだりしただけ。
「しつこいな、分かったよ!」
アロンソは、照れ隠しから、ぶっきらぼうに言い放つ。本当は、聞かせたくてたまらないのに。
貴婦人や幼なじみ、それから子爵家の使用人や侍女たちの視線を一身に浴びながら、リュートを構え直す。
年頃の少年に比べると、ほっそりした指先を、弦にかけた。
「痛っ!」
突然、一本の弦が切れた。弦は宙を舞い、ムチのごとく動く。
いきなり右の指先と、顔を叩かれ、アロンソは情けない悲鳴をあげた。
「指、大丈夫!?」
幼なじみが真っ先に心配したのは、演奏家の命の部分。
「……顔も、叩かれたんだけど」
「アロ君の顔なんて、どうでも良いわ。私みたいな顔じゃないんだから。指は?」
「……動くよ、心配しないで」
ハンサムでは無いと、自覚している少年の心を、幼なじみは無自覚にえぐってくれる。
アロンソは、内心ガッカリしながら、「演奏家の命は無事」と、声をしぼりだした。
「あら、馬車の音だわ。お客様?」
「お客様の予定は、ないはずだけど」
ふわふわのストロベリーブロンドを揺らし、音のする方に視線を向ける、ルタ。
母親の子爵夫人は、娘の質問に首を振る。
不思議そうな親子をよそに、馬車は子爵家の前に止まった。玄関の外に、人が集まる気配がする。
「ご令嬢は、ご在宅でしょう?
王太子であるレオナール王子から、ルタ子爵令嬢への贈り物をお持ちしました」
玄関の外でのやり取りが聞こえ、祝福の声と拍手があふれる庭。
少年も、少女も、驚きの顔になる。
違うのは、ルタは喜び。アロンソは、戸惑いの感情が混ざっていたこと。