オヤジの思い出 (ショートショート80)
オヤジの一回忌の法要をすませた夜、たまたまなのか夢枕にオヤジが立った。
「どうして柿の根に埋めてくれんのだ」
オヤジが淋しそうな目で訴える。
夢からさめた私は、オヤジの最期の言葉を思い出した。オヤジは死の直前、病床で母と私にこう言い残したのだ。
「骨は柿の木の根に埋めてくれ」
なぜ、こんなことを言ったのかはわからない。しかし、人骨を庭に埋めるなどもってのほかだ。
オヤジの骨は寺の納骨堂に納めてある。
翌朝。
私は夢のことを母に話した。
するとだ。
母も夕べ、オヤジが夢にあらわれて同じことを言ったという。柿の木の根というところまで同じとは、それが偶然にしてもまことに奇妙である。
「オヤジ、なにかを告げようとして。でも、どうして柿の木の下なんだろう?」
「たぶん……」
母はなにかを思い出したのか、父の子供のころのアルバムを取り出してきた。
「お父さんから聞いたことがあるんだけどね」
アルバムが開かれる。
「これだわ」
母の指が一枚の写真をさした。
それには幼いオヤジが犬と一緒に写っていた。
オヤジは子どもの頃、この犬の亡骸を柿の木の根に埋めたという。
「一緒にいたいのかな?」
「そうだろうね。お父さん、ずいぶんかわいがっていたそうだから」
今となってはわからない。
ただオヤジは、シブ柿である実をちぎり、ていねいに皮をむいて、干し柿をこしらえていた。晩秋、軒下には干し柿がつらなっていたものである。
今回の夢のことがあり……。
私と母は寺の住職に特別に許可をもらい、納骨堂にある骨の一部を柿の木の根に埋めた。
その夏。
残念なことに、柿の木が台風で根元から折れてしまった。
もともとオヤジが子供の頃からある古木。根元が腐り、そこにウロができていたらしい。
「お父さん、思いがかなって眠っていたのに」
母は庭を見て淋しそうに言った。
オヤジを思い出すものが、我が家の庭からひとつ消えてなくなった。
翌年の春。
我が家の庭で奇跡が起きた。二本の若芽が、折れ残った柿の木の根元から伸びたのだ。
あたかも写真の中のオヤジと犬のようである。
私は思った。
若芽が大きくなり柿の実がなったら、オヤジのように干し柿をこしらえよう。
オヤジを思い出すために……。