僕の英雄
明け方ーー正確には午前5時。新たな朝日に照らされた桂香の町
早起きして家族のためにご飯を作る者
仕事に備え既に家を出発しているもの
まだ温かい布団の中で夢見る者
様々な生活の時間が流れる中で朝早くから体を動かし汗を流す者の姿があった
「そうよ! そこでフェイント! 右へ行くと見せかけてーーーー左!」
「ちょっとうるさいよ永愛。近所迷惑だって」
少年の家の前では永愛の熱心な指導が行われていた
どこで買ったのか知らないが首からはメガホンをぶら下げてすっかりコーチ気分である
しかしこのメガホン。実際に使われることはなく飾りである
正確に言えば元々使う予定だったのだが時間と周囲への配慮を考えた結果、永愛を除く全員の意見で却下された
ものすごくガッカリしていた永愛だったがそこは常識を優先しやむを得ないと渋々納得してくれた
はずなのに永愛の声はメガホンなんか使わずともものすごく大きい。気迫の篭った声からは尋常ではないやる気が感じられる
メガホンを却下した彼らの英断によって多くの人々の清々しい朝が守られた
胸を撫で下ろす彼らだったが同時にもしメガホンを使わせていたらと考えると背筋が凍りそうな思いになる
「よーしオッケー! じゃあ休憩挟んだら次行くわよー!」
「だからうるせぇって」
ノリノリな永愛の練習は止まらない。どこで調べてきたというのか、様々な練習メニューで少年を鍛え上げていく
一方幸助や優輝は何をしているかというと敵を想定した障害物役に使われていた
普通ならばカラーコーンを利用したりするのだが流石にそこまでは手に入らなかったようだ
これで特訓に付き合っていると言うのだろうか。多少の疑問は残るがキラメク汗を迸らせ充実感に溢れた少年の姿を見ると自然と笑顔になる彼らだった
「うん! これだけやれば上出来ね!」
「ありがとうございました!」
午前7時。猛練習を終えた少年はお礼の言葉と共に深く頭を下げて家へと帰っていった
午後には自分が所属するサッカーチームの練習があるため朝ごはんを食べたらそれまではゆっくり休むらしい
これから特にすることもない一行は午後、少年の練習を見学しようという結論に至った
「おー、やってるなー」
「昨日のチームに負けないくらい気合い入ってるね」
午後、サッカーグラウンドを訪れた一行がネットの外から覗くと少年の所属するチームが練習を行っていた
練習は始まったばかりのようでまだボールを使った練習はせずランニング中である
しかし既に気合いは充分ということが発せられる声からよくわかる
試合を前日に控えた選手達の緊張が空気を伝わって離れた一行にも肌で感じることができた
「少年もいるね。ちょっと表情が固いような……」
「無理もないわ。明日は凄く大切な試合になるんだから」
心配する彼らをよそに時間は過ぎていく
やがてボールを使い始めた彼らの練習は敵チームに負けないほど達者なものだったがその中で少年だけちらほらミスが目立つ
その度にチームの監督に呼ばれ怒られている姿を見ると一行は胸が締め付けられるような気持ちになった
その後の練習試合でも少年の動きには固さが残ったままで思い通りに体が動かせていないように見える
日が暮れ始め練習が終わり解散となったチームから重い足取りで戻ってきた少年を一行はどんな顔で迎えてあげればいいのかわからない
「よ、よぉお疲れ……」
「頑張ってたじゃない。よかったわよ」
労いや励ましの言葉をかけるが不安に満ちた顔でそう言われても素直に受け止められるはずがない
「朝の練習の時は調子が良かったんですけど……午後になったら急に体が重くなったような気がして……」
表情は曇り俯いてしまった少年
悩みを抱える人に対してどうしてあげればいいのかわからないのがこんなにも苦しいことだとは思わなかった
沈んだ空気の中で優輝だけは1歩前に出て少年の前に立つと膝を少しだけ曲げて目線の高さを落とした
そして真っ直ぐ少年の瞳を見つめながら問い掛ける
「今日の練習は楽しかった?」
「……あんまり楽しくなかったです。自分の思い通りに出来なくて、監督にも怒られて……」
少し悩んだあとで少年は正直な感想を述べた
「じゃあ、今日の練習は楽しくなかったし手を抜いちゃおうとか思った?」
「思ってないです! いつもみたいに一生懸命やりました! でも……全然ダメで……」
次の質問に対して少年は顔を上げすぐさま反論する。それだけすぐに言い返してきたということは少年の言葉に嘘はなく本当に一生懸命だったのだろう
それは外から眺めていた優輝だってよく分かっていた
「なら大丈夫だよ。明日も一生懸命やればいい」
少年の両肩に手を置いて優輝は優しく語りかける
「でも……それでさっきみたいなことになっちゃったらどうすれば……」
少年が心配するのも頷ける。何故ならば明日は彼にとっていつも以上に大切な試合なのだ
好きな女の子が見てくれている前で醜態を晒そうものならばその後に待ち受ける結末など容易に想像出来てしまう
「大丈夫。一生懸命やった奴を笑う奴なんていないよ」
失敗するのは恥ずかしいしそれが好きな人の前となると尚更である
もちろん人としてそれは当たり前の感情であり優輝もそれは充分理解していた
だからといってそこで手を抜いたのならそれはもっと恥ずかしいことだし悔いが残る
優輝はかつて村の為に戦う父親を情けないと見下していた
しかしその直後に言われた言葉。そしてそれを言った本人の戦う姿を見て何もしなかった自分を恥じたことがある
そんな経験を身をもって体験した優輝だからこそ言える、説得力のある言葉だった
「失敗しちゃったって、思いっきり転んで泥まみれになったって……それでも最後まで諦めずに戦う姿を僕はカッコイイと思うな」
優輝の優しくも力強い言葉によって少年の顔の曇が晴れた
「……そうですよね! ありがとうございました! 僕、明日は一生懸命頑張りますね!」
相変わらずの礼儀正しさで頭を深々と下げると少年は軽くなった体で走って帰っていった
深刻な空気が漂いどうなるかと思ったが優輝のおかげで一件落着。皆の顔を覆っていた不安もどこかへ吹き飛んでしまったようだ
「優輝、あんたすごいわね。私はどうすればいいか分かんなくて焦ってたっていうのに」
驚いた永愛が声を掛けてくるが優輝はどこか恥ずかしそうに顔を背けると指で頬を掻いている
「うーん……でもあの言葉、受け売りみたいなものなんだよね」
「へえ~、その人良いこと言ってくれるわね。幸助もそのくらい大人の励ましが出来ないもんかしらね~?」
「うるせぇよ。俺だって悩んでる人の1人や2人くらい速攻で励ましてやるってんだ」
「あんたかなりオロオロしてたじゃないの」
幸助をからかう永愛。2人のやり取りを1歩退いて眺めていた優輝
怒りに任せて吐いた何気ない言葉でもそれがその人の考え方を変えるキッカケになったりする
優輝の言葉、前半はある人に言われた言葉だが後半はその人に対しての素直な思いを言葉にしたもの
恐らく本人はそれが自分のことだとは思ってもいないだろう
「ところで優輝。その人ってのは誰なんだよ?」
「答えるのはちょっと恥ずかしいんだけど強いて言うならーーーー」
あの時の言葉が無かったら優輝は今でも昔と変わらぬ泣き虫で弱虫で逃げ虫だったかもしれない
それからだって何度も助けてもらった
そんな相手に憧れと尊敬の意味を込めて優輝はこう言った
「僕の英雄かな!」




