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季節を彩る時代物短編集

遠州行燈

作者: kagonosuke
掲載日:2010/09/22

初めての投稿です。拙い点はご容赦を。

 高らかな笑い声が、時折、波を打ったように漏れて来る。

 酒が回って溶けたようなとろみを背に乾龍己(いぬいたつき)はすっかり暮れかかった庭先を眺めていた。

 見慣れている筈のこのこじんまりとした庭も西日で茜色に染まっていると全く別の場所に紛れ込んでしまったような錯覚を覚える。

 どうやらちと酒を過ごしたらしい。

 僧侶の持つ錫杖の先を思わせる彼岸花が真っ赤に咲いていた。その紅さが、場違いな印象をもたらしている気がしてならなかった。


 弥之介(やのすけ)に初孫が誕生した祝いに日頃から懇意にしている面々が集まったのが、ちょうど六つの鐘を聞いた後だった。それからもう一刻余りも経っている筈だ。

 普段なら少しの酒では顔色を変えることもなく平然としているのだが、気の置けない仲間内での祝い盃とあって、いつもより随分と早い調子で盃を重ねていたらしい。外見ではなんとも見えない筈だが、身体の中心軸が傾いている気がした。

 そう言った訳で、少し酔いを覚まそうと思い、緩やかに弛みかかった座敷をそっと抜け出して来たのだ。

 虫の音がひっそりとした夜気に震えている。涼やかな風が火照った頬に心地よかった。




「酔い覚ましで御座いますか」

 火の気のない廊下を衣擦れの音がした。

 声がした方に首を回すと、草色の単衣に山吹色の帯をゆったりと締めた月乃が、燭台を手に立っていた。

 月乃は障子が開け放たれたままになっている部屋に入るとその隅に置いてあった遠州行燈に蝋燭の灯りを移した。すると鈍い光に浮かび上がるようにして月乃の仄白い横顔が見えた。

 珍しく薄化粧を施した顔に紅を差した口元がしっとりと濡れている。

 見慣れている筈の顔が酷く艶めかしく龍己(たつき)の目には映った。

「どうぞ」

 水の入った湯呑を差しだされて、それまで逸らさずに月乃を目で追っていたことに気が付いて、龍己(たつき)は慌てて手にした茶碗の水を飲み干した。

「忝い」

 そのまま月乃は、龍己の傍らに腰を下ろした。


 龍己は湯呑を手にしたまま、目の端で月乃を見た。宴の開かれている『奈河之屋』の奥座敷では、弥之介らに勧められていた盃を大分重ねていたらしいのだが、その顔色は相変わらず白いままだった。

「そなたも酔い覚ましか」

 龍己(たつき)が声を掛ければ、月乃は喉の奥で幼子のような忍び笑いを漏らした。

「酔っ払いに見えますか。勧められるままに、どうやら少し過ぎたようです」

「それにしては、顔には出ていないな」

 普通、酒が入ると目元が赤くなったり、果ては首まで真っ赤にして、一目で酔っ払っていることが分かる輩が多い。今日の集まりに招かれた面々も、当の弥之介も、今頃は顔を茹で蛸のように上気させてよい気分になっているに違いなかった。

 それに比べて月乃の横顔は至って涼しげである。化粧をしている所為で、普段周りの女たちから羨ましがられている白い肌が、いつもよりも一層、陶器のように滑らかに見えた。

「藤野さんのようにほんのりと目元が赤くなれば宜しいのでしょうけれど」

 月乃はそう言って、ちらりと隣を流し見た。

龍己(たつき)様もそうでございます」

「なに、大して飲んではいないからな」

「そうでございました。どなたか様はとんだ酒豪とお聞きしておりますもの」

「なんだ。それは」

 月乃は、おどけたように首を竦めて見せた。


「弥之介のやつ、とんだ好々爺になったな」

 精悍な御用聞きの顔はどこへ行ったとばかりに、生まれたばかりの孫を、目を細めて眺めていた今宵の主役の様子を思い浮かべて、龍己は苦笑した。

「本当に。待ちに待ったお孫さんですもの。嬉しくって仕方がないのですよ」

 弥之介と女房のお信の間には弥吉という息子が一人いた。その弥吉ももうかれこれ七年前に嫁を貰い、母親のお信の片腕となって、御上の御用で町中を走り回っている弥之介に代わり、小料理屋『奈河之屋』を切り盛りしていた。

 弥吉夫婦には長い間子が無かった。本人たちも周りももう諦めかけていたという所で、今年になって目出度く男の子が誕生したのだ。

 その報せを聞いた時の弥之介の喜びようはなかった。幼き頃から弥之介夫婦の厄介になっており、両夫婦に肉親のような情を抱いている月乃も、心からその吉報を喜んだ。


 月乃も目を細めるようにして、弥之介の様子を思い出しているらしかった。

「弥吉さんに似たとても可愛らしい男の子ですもの」

「そう言えば、弥之介の奴、自分に似て中々の男前だなどと兵庫に言ったらしい。あれではどちらが本当の父親か分からぬと兵庫も笑っていたさ」

「大きくなるのがさぞかし楽しみでしょうね。無事、丈夫に育ってくれれば良いと思います」

 しみじみとした口調で月乃が吐息のように漏らした言葉を龍己は心に留めた。


 月乃も本来ならば、幼子の一人や二人位いてもおかしくはない年頃だった。はきはきと明るい性質で身のこなしも軽い所為か、傍目には三つ四つも若く見えてしまうが、今日のような日には、ついつい年相応の女としての本音が出てきてしまうものなのだろう。

 嫁にも行かず、独り身でいることに寂しさを感じているのだろうか。


「羨ましくなったのか」

 仰ぎ見た両の目に寂しさを隠そうとするように微笑みが浮かんでいるのを目にして、龍己(たつき)は胸の奥を突かれた気がした。思わず抱きしめてやりたいという衝動を寸での所で堪えて、態と明るく口にした。

「今度、お参りにでも行くか。瑞巌寺(ずいがんじ)は、子供の成長を願って親たちがよく訪れると聞く」

「ご存じだったのですか」

 意外なことを耳にしたというように月乃は目を丸くした。

「それ位は知っておる」

 得意そうに言ってはみたものの、それが定廻りの旦那である橘兵庫(たちばなひょうご)から仕入れた話だろうことは、月乃も気が付いているようだった。

「龍己様の方こそ、早くお嫁さんを御貰いになりたくなったのではありませぬか。瑞巌寺は縁結びの御利益もあると有名なのですよ」

 悪戯っぽい目をして龍己の方へ一瞥くれてから、月乃は独り言のように呟いた。


「………ご縁談が、多くあるそうでございますね」

 不意に耳に入った言葉に、龍己は内心驚いていた。

 上役を通して藩邸でそのような話が二三あったのは事実ではあったが、まだ若輩であるからとの理由で、全て丁重に断っていた。

 それをこのような所で口にされるとは。

 これまで縁談の話があったなどとは誰にも話してはいなかった。竹馬の友である橘兵庫にも告げてはいなかったのだ。


 龍己の心には既に心に決めた女がいた。相手の心の内はまだ確かめたことは無かったが、口に出さずとも、互いに惹かれあっていることは相手の態度から分かっている積りであった。

「一体、どこからそんな話が出て来るんだ」

「専らの噂で御座います。年頃の娘を持つ親たちは、龍己様の所へ遣りたいという心積もりの方が多いとか。中には龍己様のことを色々と御尋ねになる方もいらっしゃるようです」

 龍己は、半ば聞いて呆れ、不服そうに眉を寄せた。

「『奈河之屋』でそのような話が出ているのか。根も葉もないことを。真逆、皆、信じている訳ではあるまいな。大体、何故、町方の者がそのようなことを知っているのだ」

「どなたか様は、お出かけになる先々でも大層おもてになるそうでございますから。そのような御目出度いお話が御座いましても、どなたも不思議にはお思いになりませぬのでしょう」


 何故か雲行きが怪しくなって来て、こうなれば冗談らしく笑い飛ばしでもして話を変えなければなるまいと思って月乃の顔色をそっと窺って見て、龍己はやや狼狽した。

 いつもならこの位の軽口を笑ってやり過ごすことが出来る筈であるのに、龍己を見つめる月乃の目は、いつになく心苦しげに潤んでいた。

 これも酒が回っている所為なのであろうか。

 薄暗がりの中、ひっそりと静まり返った座敷に二人だけでいるということが、いつになく月乃を刺激しているに違いなかった。


 これまで面と向かっては口にこそしなかったが、龍己(たつき)は初めて出会った時から月乃に惹かれる自分を認めない訳にはいかなかった。堀丹波守家中のれっきとした侍として堅苦しく厳しいけじめの中で育った龍己にしてみれば、同じ家中の武家であっても、一風変わった環境で育ったこともあってか、伸び伸びと振る舞う月乃の様子は龍己の目には酷く新鮮に映ったのだった。

「今日のそなたは見違えるようだ」

 それは龍己にしてみれば正直な感想だったのだが、口にするにしては少々間が悪かった。

「お世辞など無理に仰らなくとも」

「私が気の利いたことを言える奴だとでも思うのか」

 やけに突っかかるような月乃の態度に龍己は苦笑をせざるを得なかった。

「さて、存じませぬ。どなたか様は女人には大層お優しいと聞いておりますが」


 龍己(たつき)は何も言わずに月乃の手を掴むとそのまま抱き寄せた。言葉よりも実際に態度で示した方が誤解を取れると思ったからだ。

 鼻先を掠める、匂い立つような芳しい香りに龍己(たつき)は目眩がする心持だった。

「いけませぬ」

 抗いの言葉を口にしてみたものの、心の内は正直なもので、月乃は龍己(たつき)の懐の中にすっぽりと収まるとその身を任せた。

 龍己(たつき)は、相手の肩の力が抜けたのを肌で感じると腕の中の月乃をきつく抱きしめ、ゆっくりと唇を重ねていった。

 薄く開かれた目が、行燈の灯りを吸い取るようにして微かな光を湛えている。

 襟元を割って手に触れる柔らかい丸みを帯びた温かみに、龍己はそれまで抑えていた自制を失いかけていた。

 月乃の方も成されるままに身を任せていた。

 抱き合ったまま圧し掛かるように横になり、龍己の手が草色の単衣の裾を割って上へ伸びようとした矢先、座敷の外の廊下を賑やかな声が近づいてくるのを耳にした。

 その音に弾かれるように月乃は慌てて身を離すと着衣の乱れを繕った。

「先に戻ります」

 そう小さく囁くと龍己が飲んで空になった湯呑と水差しを盆に載せ、顔を俯けたまま台所の方へと戻って行った。




「おう、龍己。こんなところに隠れていやがったか」

 すれ違うようにして月乃の去った反対側の廊下から、機嫌のよい声を響かせて橘兵庫がひょっこりと顔を出した。

 龍己は障子の蔭に映る友人の姿に一瞥をくれると忌々しげに顔を背けた。

「向こうの連中がよ、余りにもお前ぇの姿が見えねぇもんだから、気を揉んじまってな」

 そして声を落とすと、さも愉快気に付け加えた。

「こっちは途中で月乃さんがいねぇってことにも気付いていたから、大方、二人で風にでも当たってるんじゃねぇかって思ったんだがよ。弥之介の奴がへべれけな顔して探してくるなんてぇ言うもんだから、ちょっと様子をな、見に来たってぇ訳だ」

 相変わらずの商売道具然りとなった口の悪さで弁解がましいことを言うと、龍己の傍らどっかりと腰を下ろした。

 そして、目敏く遠州行燈の傍に落ちている鼈甲の飾り櫛に目を止め、手に取ると意味ありげな視線を寄こしながら、それを龍己の膝の上に乗せた。

「どうも無粋な真似をしちまったようだな」

「なに。おぬしが八丁堀の中でもとんだ野暮天だってことはとっくに承知さ」

 お返しとばかりにそう言い放つと、龍己は屈託のない笑い声を響かせて、顰め面をした人の良い友人の顔を眺めた。


「さて、へべれけになった弥之介の顔でも拝みに行くか」

 龍己は膝の上の飾り櫛を懐にしまうと、緩慢な所作で立ちあがった。

 それに兵庫が続く。


 羽織を着た上背のある男二人が去りゆく後姿に仄かな遠州行燈の灯りが差し、長くなった影が障子の上に伸びて、そして消えていった。

 静まり返った小さな座敷の中で、じっという燈心の油を吸う音が聞こえる。

 

 少し離れて、再び賑やかさを増したざわめきが風に乗ってやってきた。

 深まりつつある長月の夜が静かに帳を下ろして行った。


もうすぐお月見ですね。

しっとりとした秋の気配を感じ取っていただければ幸いです。

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