第六十話 武 ー出逢うー
稽古場。
乾いた音。
崩れる。
「……っ」
春日の体が、また浮く。
投げられた…
「今ので三回目」
「同じ動き」
澪が軽く言う。
春日は何も返さない。
(触れられたら、終わる)
頭では分かっている。
だが――
(どうすればいい)
(挫けている間はない…)
畳が冷たい 肌で感じる
(このまま寝ていたい…)
「ねえ」
澪が、ふと口を開く。
うつ伏せに倒された春日が、顔を上げる
「武道ってさ」
「本来は、危うい技術なんだよね」
唐突な言葉。
「使い方を間違えれば、人を壊すことだってできる」
春日は、黙って聞いている。
「でも同時に――」
澪は、小さく息を吐く。
「人と出逢わせてくれる道でもある」
間。
「向き合って、試して、認めて」
「その積み重ねの中で、人はちゃんと変わっていく」
春日は、左手に視線を落とす。
崩された感触。
触れられた瞬間。
それだけじゃない。
(……わからない )
澪は続けない。
「だから不思議なんだよね」
少しだけ笑う。
「相反してるはずなのに、どっちも切り離せない」
静かに。
「武って、そういうものだと思うよ」
沈黙。
春日は、何も言わない。
立ち上がり
もう一度、構える。
ーーーー
再来週には本戦が始まる
きっと澪先輩とも…試合う
お互いの手の内を晒すなんて本来あり得ない
でも、
いまも、澪先輩は自分の前に居てくれる
ーーーー
呼吸。
「さて、もう一回」
澪の声。
踏み込む。
距離を詰める。
来る。
澪の手が、滑る。
――触れられる。
手首。
取られる。
(ここで――)
崩れる。
重心が、外れる。
今までなら。
(止まっていた)
だが。
(止まらない)
そのまま、落ちる。
崩れながら。
前へ。
体が、流れる。
「……っ」
澪の目が、わずかに変わる。
遅い。
浅い。
“切れていない”。
春日の手が、わずかに伸びる。
届かない。
止められる。
完全に、抑えられる。
「まだ甘いね」
澪の声。
春日は、崩れた姿勢のまま。
わずかに、息を吐く。
「……今の」
顔を上げる。
澪は、何も言わない
ほんの少しだけ、口元が緩む。
(“繋がった…”)
春日も、何も言わない。
ただ、もう一度構える。
ーーーー
夜
寮のベッドで寝転ぶ春日
天井を眺める
暖かい 肌で感じる
左手には澪先輩の感覚が残っている…
自分の在り方がわからない
わからないけれど…
今、自分の横には
在り方を知っている人がいる
在り方を迷う人もいる
在り方が…
「本山先輩の剣が知りたい」
声に出ていた…
勝ちたいではなく
「知りたい… 」
無意識に復唱していた…
ーーーーーー
その同じ頃
直伝夢野道場
澪の部屋
澪もベッドで天井を眺めていた
思いは別な所を向いていた
何度も何度も、動きを頭のなかで繰り返す
僅かな動きの違和感を何度も修整する
……修整する
…今の私なら以前の雪に届く
…以前のなら
足りない
「足りない…」
その足りない何かは、まだ分からない
時計を見る…
今日は寝よう…
澪は、ゆっくりと目を閉じる。
(足りないものは、外にあるとは限らない)
一瞬だけ、春日の動きが頭をよぎる。
胸の奥に、わずかな引っかかりが残る。
(……あれも、多分…)
考えかけて、やめる。
静かに、呼吸が整っていく。
夜は、まだ終わらない。




